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70代父と40代娘の親子の会話

父との会話が楽しい。

まさかこんな日が来るとは。
自分が一番びっくりしています。

父のことはnoteに何度か書いてきました。
父と母の不仲は、長いこと私の性格をこじらせる原因の一つとして君臨してきました。
「自覚」の記事を書いた4月の末から、父と母は冷戦状態を5か月近く続けていました。
父の悪態に母が激怒し、父の食事を一切作るのを放棄したのでした。
父は5か月近く、一人で食事をとっていました。

食事を作ってくれない母からこんなひどい仕打ちを受けていると私に愚痴ってきました。
いやいや、仕打ちじゃなくて、食事を作ってもらえないってことでしょ?と言っても、本来食事は妻の役割なのにそれをしないから、自分がしないといけなくなっている。こんなことをさせられている、と愚痴るのです。
自分の食事を妻が作るのは当たり前だと言うのです。
父の考えでは、母がいくら家事をしても、それは最低限の当たり前でしかないのです。
私なら発狂案件です。

それでも食事以外の家事は母が担っていました。

私は父にやってもらうことは当たり前ではないと何度か伝えました。

トイレットペーパーがいつでもあることも。
気持ちよくお風呂に入れることも。
服が洗濯されていることも。

それは分かっているけれど。
長い間蓄積された考えは変えられない。
70過ぎて人は変わらない。

私が父の食事を作ることもできました。
でもそれでは意味がないのです。
父と母の問題は、私が介入するとさらにややこしくなるのは、数年前に仲裁に入って検証済みです。

まだ父は自分のことを自分でできる体力があります。
自分でやってみることで、毎日の食事を作ってもらえるありがたさに気付いてほしい、という思いもありました。

5か月ほど経って、また自分の食事を作ってほしいと、父は母に謝り、冷戦は終結しました。
今まで支えてくれたありがたさも分かっていると。


こんなことは私が知っている限り初めてで、たぶん本当に初めてのことだったと思います。

この日から、父のモラハラな大声も聞こえなくなりました。
70歳を過ぎても人は変われることを、父に実証してもらいました。


価値観というのは、親からの教えだったり、その時代の共通認識であったりすることが多いように思います。
70歳を過ぎた父はその世代特有の考え(亭主関白など)をしっかり持って生きています。
「人に迷惑をかけていはいけません」と言う私の祖母の教えを大切に守っているような人です。


真面目」です。


その真面目さは時に罪深いことを私に教えてくれました。

少し前まで鬱陶しいと思っていた父の話は、私の反面教師になったり、自分の軸を教えてくれるところがあると最近気づきました。
その時代を生きてきた証なのだろうなあと思います。
私は自分が何を選ぶか何が好きかを考えればいいのです。

「日ハムの新監督の記者会見やってたみたいだけど、どう思う?」

父がどう反応するのか見たくなって、投げかけてみました。

「好かん。
自分ができる自慢する奴は好かん。
評価は他人がするものやろ。」

どう見るかは人それぞれですが、私はビックボス就任の話題にワクワクを感じた一人です。
他人の評価に振り回されずに、自分の好きを振り切る姿勢が見ていて気持ちいいのです。
話題性やお客さんを入れてなんぼ、という観点からみると、十分な人材です。
きっと実力を評価する人もたくさんいるでしょう。

評価は他人がするもの。

また一つ父の価値観に触れました。
私もずっとそんなふうに思って、人の評価にびくびくしていたものです。

自分の好きも嫌いも、自分の中から湧き上がってきたものではなくて、どこかで埋め込まれたものなのかもしれません。

私は長い長いトンネルを抜けて。

自分が心地よくいられるように、楽しさを感じられるように。
そんな生き方が今、出来てきました。

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