「阿・吽」を読んで 阿頼耶識とはなんぞや
子どもの頃から惹かれていた寺社仏閣と仏像。
そしてまた、歴史漫画に戻って来た。
このGWに再読したのは
おかざき真里氏の「阿・吽」は
最澄、空海の物語。
全14巻完結。
1冊に詰め込まれた内容は盛りだくさん。
歴史的背景、登場人物、仏教、精神世界。
朝廷と僧侶と下々の暮らし。
スポットライトをどこにあてるかで、何通りもの読み進め方ができる。
今回私がこの本の中で注目したのが
仏教用語である「阿頼耶識」
阿頼耶識は人の意識作用の根源と書かれていて
空海と最澄が阿頼耶識で繋がるシーンもある。
さて
阿頼耶識とはなにか
横山紘一氏の「阿頼耶識の発見 よくわかる唯識入門」を読んでみた。
阿頼耶識は仏教の中の、唯識派という思想の中で説かれるもの。唯識は心の構造を根本的に解明し、心を大変革させる方法論を提示した。
とある。
心には意識できる表層心だけでなく、その下に深い層があり、阿頼耶識という根本心があるという。
阿頼耶識は、「阿頼耶」と「識」という語から成り立っている。
阿頼耶はサンスクリット語で「住居」「棲家」「場所」を表し、識は「心」「意識」
また阿頼耶識は記憶が貯蔵され、あらゆる可能性の種が眠っている蔵でもあるという。
唯識とはなんだ?
ほんとに仏教用語は分かりづらい。
それだけ奥が深く、精神探求・修行してこそ身になるものなのだろう。
こちらの本で「唯識」についても、触れられている。
「識」を心と置き換えていたが、心には色も形もなく、視覚で捉えることはできない。
なので「心」という名詞よりも、「識る(しる)」という動詞で「心を感じる」という言葉で表現した方が適切と書いてある。
「唯だ、識るというはたらきがあるのみ」
唯識とは
ただ、心を感じるというはたらきがあるのみ。
空海覚醒
阿・吽に戻り。
前半の山場とも言えるシーン。
虚空蔵求聞持法という修行を体得して、水面が境界となり、その向こうへ沈潜していく空海。
森羅万象と溶け合う感覚の中で、この世に繋ぎとめる「身体」が重要。
「精神」「言葉」「身体」が三位一体となり、この世に戻って来ることが「覚醒」なのでしょうか。
難しいけどおもしろい。
「阿・吽」という漫画から、次はどこを切り取ろうか。
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