言葉について

 私は最近、言葉というものを余り信用していない。何故なら人間は誰しもが、少しの想像力さえあれば、どれほどにも言葉を上手に紡ぐことができるからである。言葉を紡ぐ技量と生き方の問題は少しも比例しない。そんなことを考えていると、最近は無言な人が最も魅力的であるように思えてくるのだ。意識と現実は時に背を向け合う。そこには理想と現実とでも言えるような言動の不一致の奇妙さが見られる。こんなことを考えるようになったのは、もちろん自分の怠け癖が原因であるのだが、やはり良い言葉を口から出すよりも、良い生き方をする方がよっぽど難しい。理想や空想は時に人を感動させる文章を生み出すが、結局は自分自身がいかに生きているかが重要だ。人を感動させるためだけの言葉を書くことは、自らの生き方にとって微塵も価値はない。自分自身が良い生き方をするためにこそ文章は必要なのだ。私も色々な理想の高いことを今まで書いてきたが、現実はただの怠け者でいつも努力を怠ってきた。そんな自分を観察していると、もはや現実世界ではないところを直視して、まるで空想じみた文章を書きながらも、さも現実を言葉で描いているような愚行に嫌気が指してきたのだ。
 人の言葉をいかに受け止めてどれほどに心を震わせるかは、目の前の言葉を受け取ったその人自身の心によるだろう。言葉には人を感動させる力がある。そもそも私達は言葉に敏感な生き物であるので、人の行動よりも言葉の方が私達の想像力を刺激することを知っている。だが言葉は空想からも生じるので、いつも言葉が現実的であるとは限らない。それとは裏腹に私達の行動は常に現実的である。だからこそ私は最近、人の言葉に余り信用を持たず、その人の行動だけを見るように意識している。何故なら信じるとは行動することだからだ。信じるとは、言葉にすることではない。理想に向かって動くことだ。それには汗が伴うだろう。信じるとは本来、そういうものだ。
 結局、私が何を言いたいのか。それは簡単明快である。私が最も大切であると思うことは、自分が常に良い生き方を心掛けて、自らの言葉の価値を落とさないことだろう。そのためにも毎日を一生懸命に生きたいものだ。一生懸命に生きている人の言葉は、何よりも美しいに決まっているのだから、私もそのような物書きでありたいと思っている。


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