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薬丸岳 著『Aではない君と』

この本は、息子が殺人事件の容疑者となってしまった父親の話です。以前読んだ窪美澄さんの『さよなら、ニルヴァーナ』も少年犯罪を扱った小説で、加害者・被害者の親・加害者に恋をする少女・それらを取材する小説家の視点でリアルに描かれていましたが、息子が加害者かもしれないと思う親の視点もまた、自分にはとても想像が及ばなかった心理だと、深く感じました。

昔、『「少年A」この子を生んで』という、神戸連続児童殺傷事件の加害者少年Aの両親の手記を読んで、自分の子どもが加害者となってしまったときに、こういう状況に置かれるのかということを知りましたが、今回この小説を読んで、改めてノンフィクションには書ききれないリアリティを感じました。この小説を読んでいると、もし自分がこの立場になったらどうするのだろうということを、考えざるを得ません。

今の時代、未成年者が犯罪を犯して名前が伏せられて報道されていたとしても、ネット上で素性がすべて明らかになるだろうということは、誰でも予想できることです。

では実際そうなって、加害者の家族の生活が全て晒された時に、周囲からただ逃げるということも簡単にはできないのだと分かりました。事件ときちんと対峙しなければと考えたときに、自宅ではないどこかに仮住まいをしたり、弁護士を頼ったり、シンプルにまずお金って必要なんだなと、そう考えると簡単に仕事を辞めたりもできないのかと思ったり。考えてみたらごく単純なことなんですけど。

ただ、もしそうなったときに、仕事が続けられる保証もないわけです。職場にマスコミが押し寄せたり電話がかかってくれば、加害者の家族ということは知れ渡ってしまうし、それは会社の業務に支障をきたすし、同僚との関係もありますよね。

実際に、家族が大きな事件の加害者となった人たちはどうしているのだろうと考えました。

そして何より重要なのは、加害者であり自分の家族である人間と、どう向き合うのかということですよね。

一緒に時間を共有してきた自分が、なにか間違いを犯してしまっていたのではないか、あのときにもっとこんな関係を築いていたらよかったのではないか.....そういった苦悩は、読んでいてとても苦しい気持ちになります。

家族に対する後悔は、私にもたくさんあります。それが結果として、取り返しのつかない甚大な損害になってしまった、というわけではないけれど、10代のとき、20代のとき、親との関係の中で、もっとこうしておけばよかったなあという気持ちは、ゼロになることはない気がします。今どれだけ幸せかということとは関係のないところで。

そういった後悔している過去の出来事が、家族が他人を傷つける原因となってしまったら、ただただ自分を責めるしかできないでしょう。

でも、予想もしなかった出来事が自分に訪れたとしても、結局はそのことを正面から受け止めて、自分にできることを考えていくしかないんですよね。

家族が誰かを傷つけてしまったら、なぜそんなことが起こってしまったのか、それをどうやって一緒に償っていくのか、償いきれないとしても、残された人生を苦しみながらもどのように生きていくのか、考えるしかないんですよね。

おそらくそういう想いで生きている人も、確実にこの世に存在していることを考える機会があってよかったと思います。

どんなに頑張っても解決できないこと、一生背負っていかなくてはならないことには、一生関わらずに生きていけたら幸せでしょう。でも、もし自分が関わることになってしまったら...と、誰もが一度考えてみたとしたら、社会はもうすこし穏やかになるのかもしれません。そういったことを深く考えさせられた小説でした。

いろいろな方にインタビューをして、それをフリーマガジンにまとめて自費で発行しています。サポートをいただけたら、次回の取材とマガジン作成の費用に使わせていただきます。