「カンガルージャーキー」ep.4

 夏休みも終盤に差し掛かった九月、その日は前日から雨がしとしとと降り続け、気持ちも沈んでしまうほどだった。

 俺は前日の交通整備のバイトで雨の中一日外に立ちっぱなしだったからか、せっかくの休みも風邪をこじらせて家で過ごしていた。溜まった洗濯物も洗えず、カップラーメンを食べてテレビを何となく付けてはだらだらと過ごしていた。
 

  三時ごろに玄関が開き、朝からカフェのバイトに出ていた真司が帰って来た。
 幾分熱でもあるのではないかと思い始めてぼーっとした頭のまま、やばい、カップラーメンのゴミ捨てたっけな、と考えていると、リビングの扉が開いて真司が顔を出した。
「ただいま。なに、お前具合良くないの?顔色悪いぞ。」
顔を見るなりそう言うと、真司は自分の部屋に鞄を置きに向かった。
 「あー、ベトベトする。シャワー浴びるわ。」
 遠くで真司の呟きが聞こえる。雨が降っていても気温は一向に下がらず、体中が汗と湿気で気持ち悪いらしい。クーラーをつけた室内にずっといた俺は、今日も外は暑いのか、と働かない頭で何となく窓から外を見たが、雨で空はどんよりと暗く、気温が上がっているとは到底思えない。ましてや、暑いと言われても全くピンとこないほど、体中を寒気が襲っていた。
 

 真司は冷蔵庫に向かうとコップ二つに麦茶を入れて戻って来た。
 ありがと、と声に出して言ったつもりが、朝から一切使っていなかった喉は使いものにならず、声にならなかった。
 麦茶で喉を潤していると、身体に張り付く膜に耐えられなくなったのか、不意に真司がTシャツを脱ぎ始めた。いつも脱衣所で脱げと散々言っているが、今日はその文句も言えない程に弱っているらしい。ダメだ、そろそろ寝なくては―。
 

 Tシャツを脱いだ真司は、一気にコップの麦茶を飲んで台所に片しに向かった。
「お前、まじで寝た方がいいんじゃん?今度は顔が赤くなってる。熱だろ。」
そう言い残して、真司はシャワーを浴びに風呂へ向かった。
 

 俺は口いっぱいに麦茶を含み、少しずつ喉を鳴らした。手に持つグラスに揺れる麦茶を見つめる。
 

 なんだ、今の。
 

 俺は、自分の体に起きたことを反芻した。真司がTシャツを脱いだ時、体中に鳥肌が立った。経験もしたことのないその体験に、俺はただただ戸惑っていた。
 さっきまで体中を襲っていた寒気などどこかへ消え、ぞわぞわと全身が心臓にでもなったように波打つ。血の気なんて無かったはずなのに、急激に血液が全身に巡る。
 俺は今、立ち上がった真司の身体を舐めまわすように上から下まで無意識のうちに見ていた。真司が声を掛けたとき、急に頭が冷静になり、自分の真司に対する視線に驚き、何よりも体中を駆け回っていたざわつきが、下半身に集中していることに気づいた。
 

 お前は何をしていた。待て待て。今まで何度も見ているじゃないか、真司の身体なんて。おい、沈まれ、俺の下半身。何だ、何なんだ。
 真司の身体には、えも言えぬ、エロチシズムが溢れていた。これがフェロモンと言うやつなのだろうか。高校まで水泳で鍛えていたという真司の身体は、上半身にアンバランスなほどの筋肉が付いていて、特に肩幅は、俺の倍はあるのではないかと以前本人をからかったほどだ。
 俺は今、あいつに雄を感じ、あいつに欲情したのか。

 欲情―。
 風邪のせいだ。風邪がおかしくしている。寝よう。寝るんだ。
 下半身をかばう様に立ち上がる。今は何を考えてもおかしな方向に向かってしまう。寝れば治るはずだ。そう言い聞かせて部屋のベッドに潜り込んだ。
 布団を頭まで被って視界を真っ暗にしても、目に焼き付いたように真司の上半身が浮かびがる。その身体はいやに生々しかった。それを遮るように、無心になることに努めた。

 考えるな、考えるな。俺は何も考えていない。自己催眠のように、俺はそう繰り返した。

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