『安楽死』について ①

まず大前提として、両親には申し訳ないと思いますが、人は誰もが自らの意思で生まれてきたのではなく、言わば“産まれて生きる事を強要された“のだと思っています。

その『強要された人生』の中で起こる、様々な出来事を経験し、精神疾患を患い、どうにもならず
「死にたい」
「消えたい」
「いなくなりたい」
と、日々絶望の中で、それでも死を選択できないが為に、なるべく早く終わりが来る事だけを願って生きているという現実...

産まれたくて産まれてきたわけではなく、生きたくて生きているわけでもない。
夢も希望もなく絶望しかない。
只々、つらく苦しい中で、大量の薬に頼って死んでいないだけの人生。
そのような人生に何の意味があるのでしょうか?

これまで、強い希死念慮に襲われ、幾度となく自死を試みましたが、どうしてもギリギリのところで踏みとどまってしまい現在に至ります。
踏みとどまってしまう理由は
「怖い」
「苦しい」
「勇気がない」
「諦めきれない」
といったところではないかと思います。

前述のとおり、死ねない以上生きるしかない。
という事で、今も生きている(死んでいない)わけですが、終わらせられるのであれば、早く終わりにしたいというのが本音です。

『安楽死』が認められれば、未知なる死への恐怖に負ける事もなく、希望を叶える事が出来る。
苦しまずに楽になれると考えています。
よって、私は強要された『生』から逃れる為の手段として『安楽死』が認められる事を切に願っています。

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