第3回「電話で本を語らう話~『ぼくは明日、昨日のきみとデートする』編~」
先週の土曜日、友人と電話で読書会をやった。友人とは秋口から何度か電話で読書会をやっている。普通に電話しているとコロナに話題を持っていかれるので、同じ本を読んで感想を語り合う会を設けたところ、お互い味を占めたのである。
1回目は森見登美彦さんの小説『夜行』を、2回目は前野ひろみちさんの短編集『満月と近鉄』を語り合った。3回目となる今回の課題本は、七月隆文さんの小説『ぼくは明日、昨日のきみとデートする』であった。前回の『満月と近鉄』が僕のゴリ押しで取り上げてもらったようなものだったので、今回は友人に本を選んでもらった。
『ぼくは明日、昨日のきみとデートする』は、京都の美大に通うぼく=南山高寿と、高寿の前に現れたきみ=福寿愛美という、20歳の男女2人の恋を描いた作品である。4月のある朝、高寿が大学に向かう電車の中で愛美に一目惚れするところから物語は始まる。恋愛に不慣れな高寿だったが、幼馴染の力を借りながら愛美をデートに誘う。その日のうちに高寿は愛美に告白し、2人は付き合うことになる。瞬く間に仲を深めていく2人だったが、ある日愛美が置いていったメモ帳をきっかけに、高寿は今の関係が長く続くものではないことを知る。辛い結末が見えている中で運命を受け容れながら、想い合う2人が共に生きようとする時、強く美しく切ない愛が溢れ出す。——『ぼく明日』という作品を大まかに紹介すればこのようになるだろう。
僕がこの本を読んだのは今回が初めてだった。本屋で何度か見たことはあったが、手に取ることはなかった。それは1つには恋愛小説に手を出す気が起きなかったからであり、また1つには「これ読者を泣かせにきてるな」と思う本を反射的に拒絶してしまうからでもあった。しかし、一度ならず何度も目に留まっていたということは、実は気になっていたのではないかという気もする。
そして実際に読んで、泣いた。泣かせにきてるとわかっていたのに、泣いてしまった。いや、いざ本を読み始めれば、作り手の術策などどうでもよかった。ただ高寿と愛美を待つ運命が苦しくて、そして2人の愛が美しくて、泣いた。正確なことを言うと、僕はその時電車の駅のホームにいたので、涙がこぼれないようギリギリのところで耐えたのだけれど、とにかく気持ちがいっぱいいっぱいになったことは確かだった。
なんとなく避けていたけれど、こういう作品に弱いんだなと思った。それ以上に、本を読んでいてこんなに激しい感情に苛まれることがまだあるんだということに、驚きと、そして少しの喜びを感じた。
そんな経験を胸に、僕は読書会に臨んだ。
友人には僕の話を待っているようなところがあった。本を人に薦めて、さてその人から感想が聞けるとなると、誰しもそうなるものだろう。ただ今回の場合はもう少々事情が込み入っていたように思う。
「この本推すかどうか、めちゃくちゃ悩んでたんだよね」
読書会が始まって間もなく、友人はそんなことを言った。確かに『ぼく明日』を課題本に選んだ時、友人は自分でタイトルを挙げたもののためらう素振りを見せていた。
「作りはすごいしっかりしてるし、読みやすいと思う。ただね……」
友人がためらっていたのは、この話の結末があまりに辛いからだった。友人はハッピーエンド推しである。辛いことや悲しいことは現実世界に溢れているのだから、創作の世界は明るいものであって欲しいと願っているのだ。しかし、『ぼく明日』は断じてハッピーエンドではなかった。前情報を握っていた僕でさえ、結末には苦しさしか覚えなかったほどである。
「確かに辛い話だった」
僕は言った。
「でも読んで良かったと思ってるよ」
それは間違いない。今まで触れてこなかったジャンルに出会うことができて、まだこんなに本で心が動くんだとわかったのだから。そして、感情が溢れ出したということは、友人の言う通り、この本がしっかり作り込まれたものだったということを意味している。よく作られたものに出会うことは、良いことである。
「そう思ってもらえてよかった」
友人は安堵するようにそう言った。
◆以下、重大なネタバレあり(苦手な方はご遠慮ください)
さてこれから、読書会で一番印象に残っている話について書こうと思う。だがこの話をするためには、どうしても作品の核心部に触れなければならない。友人は「そこは紹介で言っちゃダメだ」と言っていた。しかしその言を頑なに守っていては、僕は自分が一番書きたいものを書くことができない。しばし悩んだ末、「ネタバレ注意」と断ったうえで全て書くことにした。ネタバレNGの方は、ここで読むのをお止めになってください。
高寿が見つけた愛美のメモ帳には、未来の日付と2人の行動が書き留められていた。不審に思う高寿を前に、愛美は語り始める。自分はこの世界と並行しているもう1つの世界の住人であること。愛美の世界と高寿の世界では時間の流れが逆行していること。すなわち、高寿にとっての明日は、愛美にとっての昨日であるということ。2つの世界の行き来は5年に一度、40日に限られていること。次に会えるのは5年後で、一方は年を重ねており、他方は幼くなっているということ。したがって、同じ年齢の2人が恋人同士でいられるのは、もう幾日かに過ぎないということ——急に告げられた事実に高寿は混乱し、一時は愛美を振り切ろうとする。だが彼はその苦悶を乗り越えて、過去でも未来でもなく目の前にいる今の愛美を愛し切ることを選ぶのだった。
そこから先の話では、限られた時間の中で、2人が互いを愛し尽くす姿が描かれる。先にも書いた通り、その愛は強く美しく、そしてあまりにも切なかった。
僕らは当然読書会の中で、2人を待つ運命についてあれこれ話し合った。しかしそこで出た話は、今まで書き付けてきた感想の範囲を大きく超えるものではなかった。僕が衝撃を受けた話は、感想を一通り話し合った後に出てきた。
「初めてこれを読んだ後、色々考察したんだよね」と友人が語り始めた。
「カレンダーとか作ってさ」
「カレンダー?」と僕は尋ねた。
「そうそう。2人が会ってるのって4月の13日から5月の23日までじゃん。なんか時期が半端だなあと思ったんだよね。それで作ったんだけど、カレンダーを逆に見るとここってちょうど夏休みなんだよ」
友人は勢いよく考察を進める。だが僕には全くわからなかった。
「……なに、どういうこと?」
「んっとね、1年のカレンダーを引っくり返すの。愛美ちゃんの世界はこっちと時間の流れが逆なわけじゃん。だから12月31日が1月1日に当たるはずなのね。そこから計算していくと、5月下旬に当たるのは8月の上旬で、ちょうど大学が夏休みに入る頃なんだよ」
その瞬間、頭を強く打たれたような衝撃が走った。愛美の世界で時間が逆行していることは、僕もよくわかっていた。しかし、カレンダーが反転しているとは考えもしなかったのだ。こちらの4月はあちらの4月であり、こちらの5月はあちらの5月だと思っていた。しかし友人は、あちらにはあちらのカレンダーがあると考えていた。それに従えば、こちらの5月はあちらの8月であり、こちらの4月はあちらの9月に相当する。
「愛美ちゃんはなんで4月や5月にこっちの世界に来たんだろうっていうのが最初から引っ掛かってたんだよね」
友人はなおも続けた。愛美は既により年を重ねた高寿に会っていて、その時に「この人が運命の人だ」と感じていたとある。その人物に会いに来るなら、なるべく長い間一緒にいられる時を選ぶはずである。ところが、4月や5月は大学の授業期間中で、高寿にはそれほど余裕があるわけではない。実際2人が会う時間は授業後や休日に限られている。友人はそこに疑問を抱き、カレンダーを書いた。そして、愛美があちらの世界の暦で夏休みに当たる期間、つまり愛美にとっては一番身の自由がきく時期を選んでいたことを突き止めたのである。
「愛美ちゃんってとても真面目で色々考えてちゃんと準備する子じゃん。そんな子が会いに来る時期を適当に選ぶはずはないと思ったし、かといって自分が夢を叶えるために勉強したりする時間を投げ出すとも思えなかったんだよね。それで調べてみたら、ちゃんと夏休みだったんだよ」
「…………」
僕は返す言葉が見当たらなかった。
それはあまりに見事な考察だった。物語の設定と、キャラクターの性格をきちんと理解したうえで、全てがつながるように論理が組み立てられていた。僕がただただ涙を流していた間に、友人はここまで作品のことを掴んでいたというのか。僕はもはや感嘆を通り越した感情を覚えた。
「いやあ、ここまで考えて作ってるとは作者天才だなあって思ったよ」
「いや、あんたが天才だよ」
僕はやっと口を開いた。
「一度気になるととことん考えちゃう性格なんだよね」
「ちがう、そこじゃない」
「うん?」
「どうやったらこの考察が始められるのさ」
そう、僕が一番衝撃を受けたのは考察の出発点だった。僕にはそもそも、物語の設定に疑問を持つという発想がなかった。4月の13日から5月の23日までの物語というのは、僕にとっては一個の事実に過ぎず、それ自体には何の意味を見出していなかった。せいぜい、暖かくて暑すぎない過ごしやすい季節で、恋人たちが外に出掛けるにはもってこいの時期だろうと思ったくらいである。だが、友人はそこに違和感を覚えカレンダーを書いたのだった。
「なんでこの時期なんだろうってみんな引っ掛かるもんじゃないの?」
「僕は何も思わなかった」
「まじか……」
「むしろなんでそこに引っ掛かったの?」
「え……そう言われるとなんでだろ?」
今度は友人が黙ってしまった。そのまま暫く経った。
「自然におかしいと思ったんだよね」
沈黙を破ったのは友人だった。
「作品のことを知り尽くしたいって思うんだよ。何一つ漏らしたくないってね。だから色々気になるんだと思う。作者が真剣に書いたものなんだから、読み手として真剣に受け止めようって思うの」
僕はずっと黙っていた。最後の言葉を聞いた途端、黙ったまま唸った。それは先に発した問いへの答えではなかった。しかし、友人の本の読み方の神髄をこれほど的確に表現した言葉は他にあるまいと思った。友人は立派であった。翻って自分はどうなのだろう。
「参ったな……」
ややあって、僕は漸くそれだけ口にした。
こんな風に書くと、僕が読書会の間打ちのめされていたように思えるかもしれない(正直に書けば、それはある程度事実である)。しかし、だからといってこの読書会が悪いものだったかといえば、決してそんなことはない。僕らはこれまでも読書会を通じて、互いの読み方の違いや感じ方の違いを見てきた。その場では面食らうこともあった。だがそれは、それぞれが違う人間である以上仕方のないことだった。大事なのはむしろ、違いを認めることでそれぞれの持つ幅を拡げていくことだ。
それにしても、今回僕は相当幅を拡げてもらったような気がした。
◇
友人が今年この先いっぱい忙しいらしく、次の読書会は未定になった。だがいずれまたやることになるだろう。その時に向けて、ハッピーエンドで読み応えのある本を探しておこうと思う。
(12月7日)
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