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ワンワールド  土方水月


One-World 直訳すれば “一つの世界”

 金融評論家である落合莞爾氏によるとワンワールドには宗教ワンワールド、軍事ワンワールド、金融ワンワールドのほかに黄金ワンワールドがあるという。
 
 宗教ワンワールドはいうまでもなく一神教の戦い、一つの世界に向けて中東を中心に戦っている。軍事ワンワールドはハープ(HAARP)だと。日本も批准している“環境改変兵器禁止条約”の対象となる電磁気などを使用する気象兵器“高周波活性オーロラ調査プログラム”。金融ワンワールドは黄金ワンワールドに寄生したいわゆるユダヤ商人の世界。-黄金ワンワールド-これこそが今の世界がつくられているもとである。今の文明、今の世界、今の人の営みを作り出している基になっている。
 
 黄金ワンワールドの黄金とは言うまでもなく金属としての“金(キン)”そのもののことである。
 そもそも金は希少金属として価値のあるものであるが、なぜそうなったか?
 それを理解するためには人の歴史をさかのぼらなければならない。人類の歴史はアフリカから始まったが、人の文明の歴史は“ウバイド”から始まったと落合莞爾氏は言う。

 “ウバイド”は今のイラク南部のウルの近くにBC5500年頃にできた世界最古?の文化(文明)をいう。“ウバイド人”は遊牧民的であるにもかかわらず、干拓灌漑測量の技術を持っており、農耕地をつくり物々交換の時代を金を媒介にした金経済の時代に変えた人たちであった。
 
 希少金属としての金は酸化せず変化しにくく柔らかく加工しやすく小さく分割することができた。これこそが金(キン)が後の貨幣と同様に取引の媒介物として用いられ、その後金貨として貨幣になっていった理由である。このことに気づいた彼らは、金(キン)を採り、蓄え、また流通させ、モノと交換できるような仕組みを作っていった。その後、BC3800年ころには場所としてのウバイドをシュメール人に明け渡し、BC2500年頃にはインダス文明を作ったといわれる。さらにそれ以後は、ガンジス川流域から海を経由していった者たち、今のウクライナに行きスキタイとなって後のシルクロードを経由していった者たちに分かれ、最終東端地点としては今の北朝鮮の羅先(ラソン-朝鮮語ではナソン)、日本統治時代の羅津(ラジン)である。現在においても北朝鮮がなぜか存在感のある理由の一つになっていると思われる。ちなみに、羅先の北は中国ではなく、ロシア国境である。そしてロシア側にはソ連時代にはユダヤ人自治区があった。
 
 つまり、ウバイドの末裔たちは東はユーラシア大陸の東端の羅津に至り、そしてそこにウバイドの金(キン)を集め、保管するシステムが構築されていったらしい。

 一方、ユーラシア大陸の西は、やはり陸路と海路に分かれ、今のオーストリア、ドイツ、フランスなどを経由した者たちと地中海イベリア半島を回りフランスのブルターニュを起点に、ブリテン島に渡りスコットランドに行きついたといわれる。BC1500年-1000年には西ヨーロッパをほとんど含むこれらの地域にはケルト人がいて、ブリテン島のアイルランドとスコットランドはローマ帝国の支配も受けなかったため、この2地域にはケルトの文化が今も残っている。
 
 羅津(ラジン)羅先(ラソン)は、一時は日本の統治領内であった。ケルト系の人々は日本人を自分たちと同族という。広島竹鶴酒造の子息でニッカ創業のマッサンこと竹鶴政孝はスコットランドに渡り、ウイスキーの製法を習得しその地の女性リタを妻とした。ケルト系の人々が日本人と同族という伝承は日本にはほとんど残っていなくて、下北半島に一部残っており、そこにはアレクサンダーコインのようなコインが大量にあったという。

 


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