hijikata suigetsu

土方家は応神天皇が先祖。家紋では新田義貞の流れのようです。「水月」は「水月観音」由来の…

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土方家は応神天皇が先祖。家紋では新田義貞の流れのようです。「水月」は「水月観音」由来のようです。歴史とくに古代史を中心に紹介していきたいと思います。日本の古代史ばかりでなく、世界の古代史、人類史についても。また、古代文字や歴史関連遺跡についても紹介していきたいと思っております。

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  • 日本国記 限りなく真実に近いアナザーストーリー

    日本国記とは、ある作家が書いた「日本国紀」ではない。その「日本国紀」は「紀」になっていないのに「国紀」とある。その本に対するコメントがなぜか「国記」になっている者が多い。「記紀」を知らない人たちのコメントのようです。ここにあるのは“日本国記”である。

  • 卑弥呼の東征

    永遠の謎となっている卑弥呼とは?一般的には「日ノ御子」であって、「姫巫女」といわれる。しかし、「姫巫女」は古代には「ぴめみかんこ」と読まれた。「はひふへほ」は古代には「ぱぴぷぺぽ」であったことが知られている。「母」は「ぱぱ」であり、「卑弥呼」は「ぴめは」であり、「好古都国」は「はうかたこく」であった。本当の「卑弥呼」は「姫大神」であった。姫大神の本当の名は、、、、。

  • 真・この国のかたち

    記紀にはない本当の「日本の歴史」を紹介する。 出雲族の伝承をもとに、大和族の伝承、宇佐族の伝承、物部氏や蘇我氏の伝承をもとに、この国の本当の歴史を語りたい。

  • 土方水月の古代史マガジン

    本当の日本の歴史、とくに古代史を知りたい方にお勧めのマガジンです。日本の成り立ち、その地理について知れば、自分の地元がどういう地域か、自分自身のアイデンティティーを認識できることにつながります。自分自身を知ろう!

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【日本国記】 限りなく真実に近いアナザーストーリー 12 大彦の桜井茶臼山古墳から銅鏡103枚  古墳墓誌からみた古代史年代表   土方水月            

 大彦の桜井茶臼山古墳から銅鏡103枚  古墳墓誌からみた古代史年代表   ひじかたすいげつ  桜井茶臼山古墳が発掘調査されたのは昭和24-25年で、再発掘調査も15年前であるという。しかし今年その調査結果がまとまったと橿原考古学研究所が発表した。この古墳では昭和24年から25年の発掘調査時には内行花文鏡や鉄刀などが出土していたという。また15年前の再調査では103枚もの銅鏡が発掘されたという。うち三角縁神獣鏡が26面、中国鏡が10種類56面、倭鏡が3種類21面であったとい

    • 【日本国記】 限りなく真実に近いアナザーストーリー 11 十握剣と韴霊剣と海村雲剣 2    土方水月           

       ”とつかのつるぎ”と”ふつのみたまのつるぎ”と”あめのむらくものつるぎ” 2    ひじかたすいげつ  鹿島神宮の韴霊剣は全長が約2.7mで富雄丸山古墳の剣より短いが、刀身部分の約2.3mを10で割ると約23cmである。一掴みを何cmで計算するかにもよるが、一掴みは23cmに満たないと思われ十分10掴み以上である。  フツノミタマノツルギはご承知のように物部の神剣であり、出雲のスサノヲによる古志のヤマタノオロチ退治に出てくる件といわれる。アメノハハキリとも呼ばれたこの剣

      • 【日本国記】 限りなく真実に近いアナザーストーリー 11 十握剣と韴霊剣と海村雲剣     土方水月           

         ”とつかのつるぎ”と”ふつのみたまのつるぎ”と”あめのむらくものつるぎ”     ひじかたすいげつ  今年、奈良県の富雄丸山古墳で発見された蛇行剣は刀身部分の長さが約3.3mであった。また、柄を入れると約3.6mであったという。一方、鹿島神宮にあるといわれる韴霊剣は柄を入れて約2.7m、刀身部分約2.2mで、富雄丸山古墳の剣と似かよっている。そして韴霊剣の紹介には、ご丁寧に「韴霊剣(直刀)」と書かれている。つまり、「韴霊剣(蛇行刀)」もあることが前提のような表現となってい

        • 卑弥呼の東征 7  土方水月

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        【日本国記】 限りなく真実に近いアナザーストーリー 12 大彦の桜井茶臼山古墳から銅鏡103枚  古墳墓誌からみた古代史年代表   土方水月            

        • 【日本国記】 限りなく真実に近いアナザーストーリー 11 十握剣と韴霊剣と海村雲剣 2    土方水月           

        • 【日本国記】 限りなく真実に近いアナザーストーリー 11 十握剣と韴霊剣と海村雲剣     土方水月           

        • 卑弥呼の東征 7  土方水月

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        • 日本国記 限りなく真実に近いアナザーストーリー
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          【日本国記】 限りなく真実に近いアナザーストーリー 10 養蚕神社  皇后のルーツ  養蚕と機織と縦目の王-蚕叢     土方水月           

          養蚕と機織と縦目の王-蚕叢       ひじかたすいげつ  養蚕は三星堆遺跡にあった華陽国で行われていた。初代の王は縦目の王である。「蚕叢」と呼ばれた。「蚕を集める」という意味である。「縦目の王」と書かれたのは「目が縦である」という意味で、目玉が縦つまり立体的に出っ張っていた。その出っ張っている目玉は縦になっていて、まさに “目” の形であった。つまり、これは「蚕の幼虫」であり、蚕蛾の芋虫の形であった。  ここで行われていた養蚕により、シルクができた。蚕の繭から機織られ幡

          【日本国記】 限りなく真実に近いアナザーストーリー 10 養蚕神社  皇后のルーツ  養蚕と機織と縦目の王-蚕叢     土方水月           

          【日本国記】 限りなく真実に近いアナザーストーリー 9 オオドシとツノミ       土方水月

             オオドシとツノミ        ひじかたすいげつ  大年オオドシは「海火明アマノホアカリ」と呼ばれる。「海照国照彦火明櫛魂饒速日」であった。オオドシは大歳とも書かれる。そして「天火明」とも「天照国照彦火明櫛魂饒速日」とも書かれる。三輪山に祀られる。しかし彼には別名が多い。三輪山では大物主とも呼ばれ、九州では速スサノヲとも呼ばれる。  オオドシの妻は出雲の第八代大名持大国主ヤチホコの娘である「高照姫」であった。大国主ヤチホコは娘が嫁いだことによりオオドシの義理の父と

          【日本国記】 限りなく真実に近いアナザーストーリー 9 オオドシとツノミ       土方水月

          【日本国記】 限りなく真実に近いアナザーストーリー 8 カゴヤマとアメノムラクモ       土方水月

             カグヤマとムラクモ        ひじかたすいげつ  アメノカグヤマは天香具山か天香久山ではあるが、もとはアメノカゴヤマであり、天香山であり天歌語山であった。そして、天火グ山、つまり“天火の山”であり、“海火の山”であった。  天香山は“天の火の山”であり、“アメノカグヤマ”である。そして、天歌語山は“海の火の山”であり、“アマノカゴヤマ”であった。  ほんとうのもとの名は「海香山アマノカゴヤマ」であった。“天香具山アメノカグヤマ”ではなく、“海歌語山アマノカゴ

          【日本国記】 限りなく真実に近いアナザーストーリー 8 カゴヤマとアメノムラクモ       土方水月

          【日本国記】 限りなく真実に近いアナザーストーリー 7 オオドシとカグヤマ       土方水月

               オオドシノとアマノカグヤマ       ひじかたすいげつ  アマノカグヤマとは漢字で書けば天香具山か天香久山となるが、もとはアマノカゴヤマであり、天香山であり天歌語山であった。そして、天火グ山、つまり天火の山であり、海火の山であった。火具槌であり、火雷であった。  香具山は大和三山の一つ。奈良県橿原市にある畝傍山、耳成山、香具山をそう呼ぶ。万葉集にはつぎのように読まれた。  「春過ぎて 夏来るらし 白妙の 衣干したり アメノカグヤマ」と詠んだのは、持統天皇と後

          【日本国記】 限りなく真実に近いアナザーストーリー 7 オオドシとカグヤマ       土方水月

          神様の家系図と日本人の家系図 その1  アダムよりも古いのはなぜか その6  古代氏族の系図 利波臣氏と武内宿禰    土方水月   

            【系図学(系譜学)】古代氏族の系図 その2 佐伯有清氏の古代氏族の系図 利波臣氏と武内宿禰 ひじかたすいげつ   佐伯有清氏の「古代氏族の系図」に紹介されている「越中石黒系図」の第一葉には「皇孫部/利波臣トナミノオミ今称藤原氏」と記されているという。その利波臣氏の名は越中富山の礪波郡伊加流伎野の南の井山庄にあたる地に由来するという。この地の大領少領にその名がみえる。この系図には「評(こおり)」についての記載があり、さらには系統や郡司職としての推移が明確に記載されている

          神様の家系図と日本人の家系図 その1  アダムよりも古いのはなぜか その6  古代氏族の系図 利波臣氏と武内宿禰    土方水月   

          【日本国記】 限りなく真実に近いアナザーストーリー 6 アメノムラクモとアメノカグヤマ       土方水月

               アメノムラクモとアメノカグヤマ       ひじかたすいげつ  アメノカグヤマとは漢字で書けば天香具山か天香久山となるが、もとはアメノカゴヤマであり、天香山であり天歌語山であった。    香具山は大和三山の一つである。しかしそれは、出雲の富氏がやって来て登美氏となり、出雲のアメノホアカリの孫であるアメノムラクモがやって来てからのことである。アメノムラクモは天村雲と書けば、天火明の天孫であった。出雲の天火明は九州の天孫ニギハヤヒ(ニニギ)であったとされる。つまり、天

          【日本国記】 限りなく真実に近いアナザーストーリー 6 アメノムラクモとアメノカグヤマ       土方水月

          神様の家系図と日本人の家系図 その1  アダムよりも古いのはなぜか その5  古代氏族の系図    土方水月   

            【系図学(系譜学)】古代氏族の系図 その1 佐伯有清氏の古代氏族の系図  ひじかたすいげつ 前にも述べたように、土方家の先祖は応神天皇の皇子であったが、廃太子された大山守親王であった。しかしながら、その他の先祖も同時にいたはずで、計算上は中世には1億人を超える先祖がいる計算になり、日本人全員が同じ先祖を持つといってもよい。  先祖がよく知られた歴史上の人物であったり、天皇家につながる系譜を持ちたいと思うのは、日本人なら誰しもが思う気持ちであるとは思われるが、これは日本

          神様の家系図と日本人の家系図 その1  アダムよりも古いのはなぜか その5  古代氏族の系図    土方水月   

          神様の家系図と日本人の家系図  その1  アダムよりも古いのはなぜか  その4  「新石器時代よりも古い縄文土器」 土方水月

           アフリカが人類の発祥の地ではあったが、文明の発祥は西アジアであったといわれる。しかしこれは、本当なのか?  約180万年前から150万年前に打製石器を使い始めた人類がいた。しかしそれは、猿人の時代であり、原人でも旧人でもなかった。ましてや新人ホモサピエンスではなかった。  地球の地質時代でいえばまだ更新世の時代である。ホモサピエンスが約30から20万年前にアフリカに生まれた。前期旧石器時代が約25万年前まで続き、10万年前までが中期旧石器時代である。それからホモサピエン

          神様の家系図と日本人の家系図  その1  アダムよりも古いのはなぜか  その4  「新石器時代よりも古い縄文土器」 土方水月

          神様の家系図と日本人の家系図  その1  アダムよりも古いのはなぜか  その3  「エヌマエリシュ」 土方水月

           宇宙の成り立ちの知識は出雲族によってインドからもたらされたといわれる。インドの有名なマハーバーラタやラーマーヤナやメソポタミアのギルガメッシュ叙事詩などにも同様の宇宙創成のことが書かれているが、0代の「ス」の神はメソポタミアの神よりもはるかに古い。  それはなぜか?  日本の明らかな文明の起源は出雲族の渡来によってであった。5,000年以上前、今の青森県の三内丸山遺跡にも住んでいたといわれる彼らは、インドからシベリアを通り北から津軽半島にやって来たといわれる。その時代は

          神様の家系図と日本人の家系図  その1  アダムよりも古いのはなぜか  その3  「エヌマエリシュ」 土方水月

          【日本の歴史(History of japan)】 真・この国のかたち  トツカノツルギと富雄丸山古墳      土方水月

           トツカノツルギと富雄丸山古墳         ひじかたすいげつ  先日行われた吉野ケ里遺跡の石棺は盗掘されていた。頭部分の石蓋が裏返っていたのは、盗掘のせいであった。蓋の表には✘×✗が書いてあったが、これは出雲の剣や銅鐸にもある。日本ではダメのマークになってはいるが、外国や古代の意味は“愛している”のマークであった。外国では“キスキスキス”の意味である  こちらはめぼしいものは出てこなかったが、富雄丸山古墳では約3.3mの蛇行剣が出土した。異常に長大で柄を入れると3.6

          【日本の歴史(History of japan)】 真・この国のかたち  トツカノツルギと富雄丸山古墳      土方水月

          【日本の歴史(History of japan)】 真・この国のかたち 垂仁天皇イクメイリヒコイサチの妃         土方水月

          日本の歴史(History of japan) 真この国のかたち 垂仁天皇イクメイリヒコイサチの妃    ひじかたすいげつ  愛児「本牟智和気」を夫イクメイリ彦に託し、兄狭穂彦とともに落命した狭穂姫。  狭穂姫はその間際に「丹波道主王」の娘である兄比賣弟比賣を妃に向えるように進言した。  開化天皇の子であるヒコイマス王の子が狭穂彦と狭穂姫と「丹波道主王」。  丹波道主王の五人の娘はすべて垂仁天皇の妃に。  日葉酢媛、渟葉田瓊入媛、真砥野媛、薊瓊入媛、竹野媛。  日

          【日本の歴史(History of japan)】 真・この国のかたち 垂仁天皇イクメイリヒコイサチの妃         土方水月

          【日本国記】 限りなく真実に近いアナザーストーリー 5 邪馬台国と欠史八代         土方水月

           日本の歴史書は日本書紀が最も古い正史と一応なってはいるが、ほとんどはったりで書かれているといわれる。しかし全く根拠のないものを書いたわけでもなく、今の日本人の起源を表してはいる。また、古事記は帝皇日嗣とはずいぶん異なるらしいが、それでもまだ史実に近いといわれる。それに比べて日本書紀は半分以上が対中国(唐)用に創作された内容となっているといわれる。  古事記や日本書紀の編纂を命じたのは天武天皇であった。日本の国号になったのは文武天皇の御代である701年ではあるが、日本書紀の

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