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【日本国記】 限りなく真実に近いアナザーストーリー 8 カゴヤマとアメノムラクモ       土方水月

 

 カグヤマとムラクモ        ひじかたすいげつ

 アメノカグヤマは天香具山か天香久山ではあるが、もとはアメノカゴヤマであり、天香山であり天歌語山であった。そして、天火グ山、つまり“天火の山”であり、“海火の山”であった。

 天香山は“天の火の山”であり、“アメノカグヤマ”である。そして、天歌語山は“海の火の山”であり、“アマノカゴヤマ”であった。

 ほんとうのもとの名は「海香山アマノカゴヤマ」であった。“天香具山アメノカグヤマ”ではなく、“海歌語山アマノカゴヤマ”であった。そのため「天香山アマノカグヤマ」には“具”の文字が省かれる。そして、祀られている神は「海歌語山アマノカゴヤマ」であった。

 つまり、天香山の“天”は“アメ”ではなく、“海”であり、“アマ”であった。では、海歌語山とはだれか?

 天歌語山は天照国照彦ホアカリ櫛魂饒速日の子であった。そして、天照国照彦ホアカリ櫛魂饒速日とは海照国照彦ホアカリ櫛魂饒速日であった。後に初代大王となる海村雲の祖父である。

 つまり、天火明は“アマノホアカリ”であり“アメノホアカリ”ではなかった。“アマノホアカリ”は海火明であり、“天照アメテラス”ではなく、“海照アマテラス”であった。本当の名は「海照国照彦ホアカリ櫛魂饒速日」であった。本名は大年オオドシという。

 大年オオドシの子が歌語山カゴヤマであった。別名はたくさんある。オオドシが天照国照彦火明櫛魂饒速日(アマテラス)と呼ばれたように、歌語山カゴヤマは天香山(アマノカゴヤマ)であった。天香山(アマノカゴヤマ)は天香山(アマノカグヤマ)と呼ばれた。そして、香山も歌語山も香具山も“火の山”の意味であった。彼の本名は五十猛イソタケという。

 オオドシの子がイソタケであり、イソタケの子がムラクモであった。

 大年の子が五十猛であり、五十猛の子が村雲であった。

 海照国照彦火明櫛魂饒速日の子が海火山であり、海火山の子が海村雲であった。

 天照国照彦火明櫛魂饒速日の子が天火山であり、天火山の子が天村雲であった。

 アマテラスの子がカゴヤマであり、カゴヤマの子がムラクモであった。

 つまり、アマテラスの孫こそがムラクモであり、天孫村雲であった。そして、オオドシはヤマトの王であり、ムラクモは倭(ワ)の初代大王であった。このときにはまだ大和はなかった。

 百人一首には“天之香来山”と書かれ、今は“天香久山”と書かれるが、本当の山の名は“天香山”であった。そして、その山の麓には“天香山神社”が立っている。

 天香山神社に祀られている神の名は「櫛真智命くしまちのみこと」という。「櫛玉饒速日命くしたまにぎはやひのみこと」の子孫であった。父大年ニギハヤヒは三輪山の大神神社に祀られる。子五十猛カゴヤマは笛吹神社に祀られる。そしてその子孫も香久山の天香山櫛真智命神社に祀られる。

 天香山櫛真智命神社の「朱桜(にわざくら)」は「波波架の木(ははかのき)」とも呼ばれる。この木は宮中に献上され、古来占いに使われるという。そして、今上天皇即位の際の大嘗祭の斎田を選ぶ卜占にも用いられたといわれる。

 では、“天孫-村雲”はどこに祀られれているのか?



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