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神様の家系図と日本人の家系図 その1 アダムよりも古いのはなぜか その4 「新石器時代よりも古い縄文土器」 土方水月
アフリカが人類の発祥の地ではあったが、文明の発祥は西アジアであったといわれる。しかしこれは、本当なのか?
約180万年前から150万年前に打製石器を使い始めた人類がいた。しかしそれは、猿人の時代であり、原人でも旧人でもなかった。ましてや新人ホモサピエンスではなかった。
地球の地質時代でいえばまだ更新世の時代である。ホモサピエンスが約30から20万年前にアフリカに生まれた。前期旧石器時代が約25万年前まで続き、10万年前までが中期旧石器時代である。それからホモサピエンスは世界に拡散していく。その時代が後期旧石器時代と呼ばれる。そして、5万年前から2万年前位までを終末期旧石器時代と呼ぶ。ホモサピエンスの定住が始まった時代である。そして、1万1500年前ころに更新世が終わり、完新世が始まった。最終氷期の終わりであった。そこから新石器時代が始まった。農耕牧畜の時代である。
その後、メソポタミアでは9千年ほど前に土器が造られ始めた。土器時代の始まりである。メソポタミアではその頃であった。しかしこれが遅い。日本では1万6500年前にはもうすでに土器がつくられていた。また6500年前には大型の甕もつくられていた。日本の土器時代は世界の土器時代よりも比べ物にならないほど早かったのである。
これはどういうことか?
文明の発祥は9000年ほど前のメソポタミアから始まったとされているが、その文明のもととなったのが1万6500年前の日本の縄文時代であり、1万1500年前に氷期が終わり完新世が始まったことによる日本列島からの縄文人の拡散が原因であったためと考えれば辻褄は合う。そしてそれは全く帝皇日嗣の記述と合致するのである。それはいったいなぜであろうか?16500-9000=7500で7500年も早く発祥している。また、7500年あればメソポタミアまで伝播してもおかしくない。出雲大社の構造とギザのピラミッドの内部構造が酷似しているのも伝播であった。
土器の発祥は明らかに日本が速かったが、文明の発祥はどうであったのか?文明とは定住により高い人口密度となり、分業が起こり、専業的集団ができ、富の蓄積が起こり、社会階級ができ、官僚組織ができ、文学などの精神的成熟が備わっていることが必要条件であるといわれる。
縄文時代にはそれが備わっていたのか?出雲の国風土記にはそれに近いことが書かれてはいるが、書かれたのはずっと後の8世紀であった。しかし、三内丸山遺跡は5000年以上前の時代に定住農耕栽培を行い、階級もあり祭祀も行われていたらしい。
また、帝皇日嗣は、その出雲族も、11500年前の “大津波” によって日本列島から世界中に拡散していった人たちが帰ってきたことを表しているともいう。
世界は縄文を知り始めたという。
つづく
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