見出し画像

【74】北国の空の下 ー 週末利用、自転車で北海道一周 25日目 函館〜江差③ 2019年4月27日

平成の終幕まで残すところ4日、そして史上空前の10連休初日。風雨の中、函館を出発し、松前から江差へ向けて北上しています。走行距離は100キロを超え、風は向かい風に変わり、しかも二晩続けての寝不足が祟ってふらふら。早く天候が回復してくれることを祈るばかりです。

▼ 「週末北海道一周」、ここまでの記録はこちらです。


◆ 上ノ国への我慢のライド

冷たい雨と北からの向かい風に、ますます体力を削られていきます。道もまた、緩やかながら登り基調が続きました。
路肩には函館からの距離を示す道標が1キロおきに立っています。なかなかそのカウントが進まず、我慢のライドが続きました。後になって確認すると、今日の走行距離が100キロを過ぎてから先の20キロほどの区間は、やや登り基調とはいえ、平均速度は25キロを下回っていました。

松前城を出てから2時間ほど、小休止などを差し引いた正味1時間半ほどで、ようやく町境を過ぎ、上ノ国町に入りました。そして、1038メートルの小砂子トンネルを抜けると、ようやく、気持ちの良いダウンヒルが現れました。
海岸沿いの石崎という漁村に向かって、一目散に駈け下ります。
折りも折、雨が止んで、さらについに雲が切れ、陽光が射しました。予報よりも早く寒冷前線が通過したようです。

気持ちも晴れやかになり、海岸線で脚を止めました。路傍の表示は「函館から131キロ」裏は「函館まで131キロ」と記されていました。
江差まであと30キロ。午後の日差しの中を、のんびり踏んで行けることでしょう。

▲ やっとわずかにのぞいた青空

残念ながら期待は裏切られ、まもなく太陽は再び姿を隠してしまい、海抜50メートル足らずながら高巻きももう一つあって、よたよたとペダルを踏む羽目になりました。
しかし、心なしか寒気が緩み、身体が動くようになってきました。

高巻きを超えた先には、長いビーチが伸びていました。多くの釣り人が波打ち際に立って、夕暮れ迫る沖合いを向いて糸を垂れています。砂浜が尽きるところては、松前からの長い海岸線の終わりを告げる洲根子崎が視界を遮っています。
岬への短い上りはダンシングで登り切り、上ノ国市街への下りにかかると、眼下には大きく湾曲した海岸線が広がりました。江差を象徴するかもめ島と、斜面に広がる市街地も姿を現しました。雲間からわずかに刺す日の光に、家並みが銀色に輝いています。
静かな上ノ国市街を抜けて、北に向かって最後の7キロを走るうち、本土とかもめ島の間にある、復元された開陽丸の姿が次第に大きくなってきました。

◆ 開陽丸と箱館戦争を想う

箱館戦争を象徴する存在のひとつ、開陽丸の進水は1865年11月、江差沖で座礁し沈没したのは1868年12月というから、わずか3年の命だったわけです。徳川幕府が大金を投じてオランダへ発注し、さらにクルップ砲という優れた大砲を装備した、当時最新鋭の軍艦でしたが、150日に及ぶ長い航海を経て日本へ到着した4ヶ月後に大政奉還があり、開陽丸を含む艦隊は明治政府へ引き渡されました。しかし、ヨーロッパから開陽丸を回航してきた榎本武揚がこの船を奪い、新政府樹立を目指して蝦夷地へと向かい、時代は箱館戦争へと向かいます。

偉そうに書きましたが、箱館戦争にまつわるわたしの知識は、榎本武揚、土方歳三、五稜郭、開陽丸などの固有名詞が断片的に出てくるレベルにとどまっています。しかし何故か、1980年のNHK大河ドラマ「獅子の時代」における箱館戦争の場面が、鮮明に記憶に残っているのです。菅原文太演じる主人公が、パリ万博以来の盟友である医師・高松凌雲を助け、旧幕府軍に属しながらも敵味方の分け隔てなく戦火の下で看護に当たるくだりでした。
主人公は旧会津藩の下級武士という設定で、戊辰戦争で母・姉・兄など多くの身内を亡くし、生き残った家族も移封された斗南藩で辛酸を嘗めます。福島県にご縁がある私としては、そんな悲惨な歴史も踏まえ、旧幕府軍に肩入れしたくなってしまうのです。

17時少し前に、その開陽丸が停泊する「えさし海の駅」に到着しました。

いやあ、きつかった。出し切った。
しんどい160キロでしたが、終わり良ければすべて良し。天候は回復し、穏やかで静かな夕べの光景が好ましく思われます。

▲ 記念館となっている開陽丸のレプリカ

◆ 江差の夜

檜山支庁の中心である江差には、一度泊まってみたいと、以前から思っていました。古くは阿倍野比羅夫にまで遡る歴史があり、函館・松前と並んで道内では早くから拓け、かつてはニシン漁で「江差の五月は江戸にもない」と言われるほどの殷賑を極めた土地てす。しかし今では、ここも過疎化に歯止めが掛からず、1960年代に1万5千人を超えていた人口は、8100人にまで減少しているそう。

かつては、函館との間を、国鉄江差線が結んでしました。その名残を少し探してみたいところですが、今日はもう体力が残っていません。明日の朝の楽しみにとっておきます。
かつては渡島半島の日本海側と函館・噴火湾側とを結ぶ鉄道は、江差線のほか、松前線、瀬棚線がありましたが、いずれも乗車する機会がないまま廃止されてしまいました。今では渡島半島を横断する鉄道路線は皆無。わたしのように輪行を駆使しながらつぎはぎで北海道を一周している者にとっては、日程を組むのが難儀なエリアです。
明日もどこまで走って、どうやって函館へ戻るか、決めかねていますが、とりあえずは予約してある宿へチェックインして、氷雨に濡れた服を着替え、風呂に入って温まりたいところ。

江差の市街地は起伏地に広がっています。今日泊まるホテルは高台にあり、「江差海の駅」からは短くも急な上りが控えていました。10連休初日の今日、ホテルの駐車場は大半が埋まっています。
残念ながら、このホテルには大浴場がないので、何はさておきユニットバスにゆるめの湯を張って、膝を抱いて浸かり、冷えた身体を温めてから、ホテルの女将さんに教えて頂いた居酒屋に足を運びました。
静かな町は茜色に染まっていました。昨日の今頃は東京駅の雑踏の中にいたのに、思えば遠くへ来たもんだ、と思います。

▲ 夕焼けの江差

地方の町では、老舗の宿で教えて貰った店は、味も値段もまずハズレがありません。
今宵のお店でも、日本海の幸や、旬のアスパラ焼きを、地場の日本酒と共に堪能しました。160キロ走り、そのうえ風呂上がりなので酔いが回るのも早く、生ビール一杯とぐい呑み2杯で、すっかり酩酊してしまいました。
わたしの入った店は人気店のようで賑やかでしたが、夜の街に人影はほとんどなく、暖簾を出している店の多くも、20時過ぎには閑古鳥が鳴いているようでした。4月下旬の道南の夜は穏やかな気候でしたが、歩き回っているうちに底冷えがしてきました。

【本日の走行記録】
走行距離 162.31Km
走行時間 6時間22分
平均速度 25.5Km /h
獲得標高 1353m
消費カロリー 3350kCal

◾️◾️◾️

24日目はここまで。最後までお読み頂き、ありがとうございました。
翌日は渡島半島の日本海岸をさらに北上。そしてまだ寒風吹き荒ぶ峠を越えて、噴火湾へ。宜しければ続きもお読み頂ければ幸いです。

私は、2020年に勤務先を早期退職した後、関東から京都へ地方移住(?)しました。noteでは、ロードバイクで北海道一周した記録や、もう一つの趣味であるスキューバダイビング旅行の記録、そのほかの自転車旅や海外旅行の記録などを綴っています。宜しければこちらもご覧頂ければ幸いです。


この記事が参加している募集

#旅のフォトアルバム

39,166件

#アウトドアをたのしむ

10,552件

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?