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地方都市の新たな魅力に出会う ブロンプトンとローカル線の旅#9 倉敷のジャズクラブと片上ロマン街道③

山中千尋トリオのライブとアイリッシュウィスキーを堪能した美観地区の夜が明け、6月4日 日曜日(2023年)もまた晴天。
本日は東へ移動して、片上鉄道の廃線跡をブロンプトンで走ります。

▼ここまでの記録はこちらです。


🔲 片上ロマン街道ポタリング

同和鉱業片上鉄道は、柵原鉱山の硫化鉄鉱を片上港へ運搬するために敷設され、1931年に全線が開業。1991年、柳原鉱山の閉山や沿線人口の減少により、60年の歴史に幕を下ろしました。それから30年を経て、今でも往時の車両が多数保存され、駅のホームや腕木式の信号機などの遺構も多数残されているそう。
片道約30Kmという距離感も手頃。廃線跡なので概ね平坦なのも小径車にはありがたい。

▼ 往時の同和鉱業片上鉄道

▼ 現在の片上ロマン街道

◆倉敷〜和気輪行

6時20分 絶妙のタイミングで目覚め、その1時間後には、朝食と身支度を済ませてチェックアウト。青空が広がっていました。日陰では半袖だと肌寒いのに、日向へ出た途端、肌を刺すような強い日光に晒されました。
駅まではブロンプトンで、ほんの2~3分。輪行準備を済ませてコンコースへ上がるも、次の岡山方面行きにはまだ20分以上もあります。これなら、美観地区をもう一回り、走ってからでも間に合ったか…
コンビニへ行っても買うものもないし、コーヒーはホテルで飲んできたし、することもないのでホームで時間を潰します。

倉敷から乗った列車は、京都近郊でも走っているようなヤツ。日曜の朝8時ですが、岡山市内への通勤と思しき人達が多数。商業施設などで働く人達でしょうか。私の前にはベトナム人の女の子。

岡山で殆どの乗客が入れ替わり、学生の姿が増えました。
岡山駅の構内には、オレンジ色のキハ40系の姿が多数。津山線を走っているのでしょうか。津山は、小学生の頃でしたか、市政について学ぶための社会科の教科書に、事例として取り上げられていました。それ以来、どんなところなのか興味は持っているのですが、まだ訪れたことはありません。
山陽新幹線の高架が右手へ遠ざかり、やっと視界を遮るものがなくなって、瀬戸着。サーモスを下げた部活の中学生たちが大勢下車。サッカーかな。

◆ 吉井川を遡る

8時50分、山間の小さな町・和気に到着。
駅そのものは、幹線の駅らしい長いホームと広い駅事務室を備えた駅舎。しかし、出札は無人化されていました。駅前にはタクシーが2台、手持ちぶさたそうにしており、バス停横のベンチには欧米人の女性ツーリスト2人が腰掛けています。

ブロンプトンを組み立てて走りだすと、外装式の変速機が不調で、何故かギヤチェンジできません。内装式の方も、ワイヤーを極端に締め過ぎたのか、カラカラと嫌な音がします。立ち止まって点検。
外装式の方は、アウターがガイドから外れていたのが原因。はめ直したら解決しました。インナーも、ワイヤーを調整し直し、快調な走りに戻りました。

すぐに川沿いに出ました。左側にオレンジ色の鉄橋。片上鉄道の跡でしょうか。

▲ 和気駅近くの堤防上にて

川を渡り、まもなく廃線跡のサイクリングロードに出ました。
すぐに小さな「ほんわけ(本和気)」の駅名標が現れます。

▲ 本和気駅跡

沿道には初夏の花々が咲き乱れています。
次の益原には小さな休憩所が整備され、傍にはかつて片上鉄道を走っていた貨物車が保存されていました。

▲ 益原駅跡

こんなふうに駅ごとに立ち止まっていたら、柵原までどれだけかかってしまうことか。右手の山懐に温泉宿が見え、その先、上り基調の森の中の道となります。

▲ 切り通しの緩い登り

岩肌が露出した切り通しを抜け、吉井川本流を堰き止めた新田原井堰を左に見下ろし、やがて天瀬駅跡。ここには石積みのホームと小さな駅舎が残り、休憩所として整備されています。地域の皆さんによって整備されているとのこと。

▲ 懐かしい佇まいの天瀬駅跡

緩く登った先には短いトンネルが連続。
さらに川の蛇行に沿って走ると、西岸には険しい岩肌の見える山が現れ、やがて谷が開けました。山中の小さな盆地に広がる集落は旧・佐伯町。やがて備前矢田駅跡に到着。片上鉄道の主要駅だったところで、往時の写真を見ると、肥料の積み出し施設のある広い構内と赤褐色の瓦屋根の趣ある駅舎を備えていたようですが、今は夏草に埋もれています。

▲ 備前矢田駅跡

▼往時の写真がこちらに載っていました。

その先、再び吉井川の両岸に山が迫ります。
備前矢田の次の苦木駅は、ジブリ映画に出てきそうな、古いホームと小さな駅舎に木漏れ日が落ちる美しい駅でした。

▲ 木漏れ日の苦木駅跡

次の杖谷駅は、民家の庭先が駅だったそうですが、今ではその面影はなく、クリーンセンターが稼働中。

▲ 杖谷駅跡

蛇行する川に沿って道は続きます。桜並木がCRに寄り添い、小さな集落と、駅の跡と思われる広場が現れました。
その先は国道を走り、備作大橋を渡って「備前福田」の駅名標が立つ道端の休憩所を過ぎると、沿道にはロードサイドビジネスの看板が目立ち始めました。旧・吉井町の中心部です。
廃線跡は車道になっているようですが、ここは吉井川の堤防を走りました。一昨日の大雨の影響か、水量は多く濁っています。

▲ ただの駐車帯のような備前福田駅跡
▲ 吉井川と新緑の丘陵をバックに

元は片上鉄道の鉄橋だったかと思われる細い橋を渡ると、その先に枯れ草に埋もれたコンクリートホーム。反対側には風格のある石のホームと大樹。備前飯岡駅跡です。

▲ 備前飯岡駅跡

しばらく旧道を走り、やがて国道に合流して川沿いの道を行きます。
やがて、右手へサイクリングロードが分かれ、その先が吉が原駅。
かつて、全国から集まってきて、この山深い私鉄で活躍していた車両たちが、ここでひっそりと過ごしています。

▲ 吉ケ原駅構内
▲ 重要文化財の駅舎
▲ ロケにもよく使われているが、サスペンス&ホラー系が多い
▲ 今も路盤は美しく保たれている

◆ 鉱夫たちの消えた町

雲が広がって、静かな山里はもの寂しげ。
あちこちに廃墟と化した集合住宅が見られます。かつては柵原鉱山で働く人々やその家族の暮らしが、ここにあったことでしょう。

柵原鉱山の最盛期だった1960年代には、ここで働く人々や家族のために、総合病院やスーパーなども整備され、岡山県内でも有数の賑わいを見せた地域だったそう。

吉ヶ原駅の数百メートル先には、終着の黄福柵原駅。旧柵原駅を移設して建て替えたもので、毎月第一日曜には保存されている列車が運転されるともネットで読んだのですが、そのような気配は見られませんでした。

▲ 2014年にできた駅舎
▲黄福棚原駅の保存車両たち

近くの八幡神社へ参拝。境内には枯葉が散乱していました。

このような廃坑の町の地域おこし、容易なことではないと思いますが、思い出すのは台湾の猫村、猴硐(ホートン)。ここも廃坑の村ですが、今ではノスタルジックかつポップな観光地に生まれ変わっています。

さて、養鶏の町である美咲町は、卵かけご飯による町おこしを目指しており、この近くに「らん」という有名店があるそう。

行列を危惧して開店時刻ちょうどに行くも、先客は1人だけ。多分元々は何かの事務所だったと思われる素っ気ない内装の店で、人懐こい雰囲気のおばちゃんが出迎えてくれました。
地元産の米と卵。醤油も岡山県産。
これに、6種類のタレを少しずつかけて頂きます。それぞれに美味しいが、やっぱりシンプルに醤油が一番と思う。
ご飯と卵をおかわりしているうち、徐々にお客さんが増えてきました。その一人一人をおばちゃんが和やかにもてなしていました。

▲あと、これに黄ニラ餃子がつきます

◆ 旅の終わりは海へ

和気まではもと来た道を引き返します。雲が広がり、山峡の景色は物憂げ。
途中、かつての築堤と思しきものを見つけ、横道に逸れて探検。古い橋脚が草むらに埋もれていました。

近くには備前塩田駅の跡があり、信号機の跡や、鉄塔のようなものが残っていました。

復路は下り基調の区間が多いので、適度に立ち止まって写真を撮りながら快調に飛ばし、13時半には和気駅近くのオレンジの鉄橋を渡りました。片上鉄道の起点である西片上まで走る時間は十分にあります。

この先は山越えがあるようですが、山越えといってもそこは廃線跡、激坂はあり得ません。
和気の次の中山駅も、そこから水田の中ひと上りしたところの清水駅も、ここに先ほど柵原で出会った車両たちが停車している様を見たかったなあ、と思わせる、田園の中の駅でした、

▲ 中山駅跡
▲ 清水駅跡

清水駅の先、緩やかな坂道を上り詰めた登最高所に、200メートルの清水トンネル。

▲ 清水トンネル

その先は急な下り坂で、海へ。片上鉄道の0キロポストは、マックスバリュやエディオンが集積する海岸の商業施設の入口にありました。

▲ 片上鉄道0キロポスト

地図で見ると、片上湾はまさに天然の良港。港町らしい活気を期待していたのですが、完全な車社会なのでしょうか、大型店の駐車場はかなり埋まっているのに、思いの外、街には人影が少ない。若者は皆、岡山や姫路へ出てしまうのかもしれません。

町外れの無人駅、西片上から赤穂線に乗り、家路に。

▲ 西片上駅

播州赤穂で姫路行きに乗り換え、相生で下車。姫路まで行って「のぞみ」に乗れば少し早く帰れるのですが、初めての駅で乗り換えてみよう、それから「ひかり」で少し節約しよう、と思ったのです。
40分ほどの待ち合わせなので、一度改札の外へ出ました。雲が切れて青空が戻って来ています。
もう一走りしたくなりました。
ー 海まで行けるかな
私はもう一度ブロンプトンを輪行袋から出して、午後の陽光の下を走りだしました。

▲ 相生にて

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最後までお読み頂き、ありがとうございました。これからも、ブロンプトンを連れて地方都市やローカル線を訪ねていきたいと思います。
その他のローカル線とブロンプトンの旅、こちらへまとめております。

私は、2020年に勤務先を早期退職した後、関東から京都へ地方移住(?)しました。noteでは主に旅の記録を綴っており、ロードバイクで北海道一周した記録や、もう一つの趣味であるスキューバダイビング旅行の記録、また海外旅行のことなども書いていきます。宜しければ↓こちらもご笑覧下さい。



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