見出し画像

#19 地方都市の新たな魅力に出会う ブロンプトンとローカル線の旅/南予のスモールタウンで出会った日本の原風景④

ブロンプトンと往く、2023年晩夏、南予の旅。
初日は下灘から海岸線を走り、中央構造線を横断して、保内・八幡浜・宇和と、なつかしい風情の街並みをめぐってきました。そして卯之町駅から輪行で、山間のスモールタウン・内子へと向かいます。
【旅行日 2023年9月2〜3日】

◼️note「国内旅行 記事まとめ」「#旅のフォトアルバム 記事まとめ」に、本稿をピックアップして頂きました。ありがとうございます!

▼ここまでの記録はこちらです。



◆ 故郷でもないのに…

特急「宇和海20号」が高架橋上の内子駅に到着したのは15時51分。外国人旅行者の一家など、10人ほどの観光客と入れ替わりで、ホームへ降り立ちました。
内子は無人駅。改札の脇にある土産物屋を兼ねた観光案内所を覗いてみます。
係員のおばちゃんと、内気そうな青年が話していました。パンフレットを幾つか手に取り眺めていると「自転車ですか?」とおばちゃんが話しかけてきました。サイクルキャップをかぶり、レーパンを穿いているので、一目瞭然、そうとわかるのでしょう。
自転車で走るなら『石畳』地区がお勧めですよ、と、サイクリングマップを渡してくれました。石畳地区というのは、内子町の北東部で、美しい農村風景が残されているのだそう。
宿を訊かれ、予約しているゲストハウスの名を答えると「あ、それじゃ一緒だね〜」と、傍らの青年に語りかけます。
じゃ、後ほど、と青年と挨拶を交わし、案内所を出て、町並み保存地区へ続く商店街を、プロンプトンで走り始めました。

この商店街、子どもの頃育った町の駅前が、まだ元気だった頃を思い出します。
ひっそりと、しかし今でも地域の暮らしの中で確実に息づいている様が、この商店街には感じられます。

商店街がまもなく尽きようとするあたりに伊予銀行の支店があり、そこから緩やかな坂道が延びていました。
見上げると、乳白色の白壁の古い家並みが、坂の両側に軒を連ねています。
数人の人影が、一日の観光を終えてか、坂をやっくりと下ってきます。

いったいどうしてだろう。
初めて来た町なのに、なつかしい。

坂の途中にある、古民家を改装したゲストハウスが今宵の宿。まだチェックインには早いので、ブロンプトンと荷物を預かって頂き、町並み散策に出かけました。

内子は、木蝋の生産で栄えた土地。木蝋の原料となるハゼの木は、四国や九州で盛んに栽培が行われていたとのことで、東日本でずっと暮らしてきたわたしなどには「木蝋」といっても馴染みが薄いのですが、力士の髷付け油に欠かせない材料だそう。ポマードなどの整髪料、さらには和蝋燭の原料などとして用いられているとのことです。

内子の町並みは、乳白色の白壁が印象的です。
町のホームページによると、白漆喰と、この地域特有の黄土が壁材に使用されていることで、それによってこの温もりのある風合いの家並みが生まれているのだそう。

もう16時を回っているからか、観光客の姿はほとんどなく、家並みは雲間から差す夏の終わりの陽光の下、静かに佇んでいました。
先ほど訪れた卯之町と同じく、物販・飲食店など観光・サービス業に使用されている建物は意外なほど少なく、古くからの地域の暮らしがそのまま受け継がれている印象を受けます。
民家の庭先には百日紅、ノウゼンカヅラなどが咲き乱れています。

石垣のあいだに響く瀬音も好ましい。

ゲストハウスの近くには、昔の映画館の建物が保存されていました。もう営業はしていませんが、セピア色のポスターが何枚も掲出されていました。
内子には「内子座」というかつての芝居小屋も、有志の手によって残され、今でも現役で活躍しているそう。明日にでも立ち寄ってみたいところです。

▲ むかしの映画館

◆ 内子の一夜

今宵の宿は、町並み保存地区の一角にある、古民家を改装したゲストハウスです。先般、大阪で開催された移住フェアで貰ったパンフレットにも紹介されていた、宿主のYさんが迎えてくれました。

1階にはバーがあり、カウンターには筋肉質の青年が一人、腰を下ろしています。明日、ここに地域の人たちが集まって、ミニマルシェのようなイベントを開催するのだそう。彼は元々、この地域でキッチンカーなどで営業しており、今では他の土地で暮らしていますが、今週末はこのイベントのために内子へ戻ってきたのだそうです。
ブロンプトンは地場産品が販売されている1階の土間の隅に停めさせて頂き、他の荷物、といってもフロントバッグひとつだけですが、それを持って2階のドミトリーへ。手作り感のある木製の寝棚が並んでいました。一昔前のドミトリーといえば、鉄製の2段ベッドが並んでいたことであったなあ、と思い出します。

Yさんに、おすすめの店を何軒か教えてもらい、再び町へ。
1軒目は予約で満席。2軒目も満席。
こういう小さな町へ週末に来ると、往々にしてこういうことがありがちです。
3軒目の居酒屋は、訪ねてみるとちょうど暖簾を出した直後で、ようやくカウンターに腰を落ち着けることができました。
まだ客の姿もまばらな店内で、所在なげに、枝豆と冷奴をつまみに生ビールのジョッキを傾けていると、やがておかみさんが気を遣って話しかけて下さり、地域のことを色々と伺いました。
内子も地方の御多分に洩れず、若者の人口流出が止まらないそう。松山まではJRの特急でも、また松山自動車道を使えば車でも、30分の距離。また、農協、金融機関、行政機関など、人気の就職先が組織の規模を縮小し、町内の雇用の受け皿になっていないこともあり、抵抗なく町を離れていってしまうのだといいます。
役場の人たちも、外からの人を増やそうって頑張ってるけど、なかなかね…とおかみさんは言います。愛媛県の中でも、松山や今治のように全国的に知られる観光地や産業を有する町や、愛南のような釣り人やダイバーにコアな人気を博している土地と比べて、内子は地味な印象が否定できません。
この前行った移住フェアでも、町役場の職員や移住コーディネータが、他の町に比べ慎ましげに、ブースに並んで腰掛けていた様子が思い出されます。しかし、こちらから声をかけて話を伺ってみると、地域活性化に対する想いは人一倍の、魅力的な方ばかりでした。

今宵は、ゲストハウスのバーでもう少し呑むつもりなので、一軒目ではそこそこにしておきます。
酔い覚ましに人気のない夜の町を一回りして、コンビニでアイスとヨーグルトを買ってから、ゲストハウスへ戻りました。

▲ 夜の内子町の商店街
▲ 町並み保存地区の一角で

ゲストハウスへ戻ると、宿主のYさんがバーカウンターに立ち、チェックインの時にいた出張料理人のAさん、30~40代と見受けられる女性、その知人と見られる男性と、内子駅の案内所で会った内気そうな青年が、カウンターやちゃぶ台に重い思いに腰掛け、グラスを傾けていました。
内子には「京ひな」「千代の亀」などの地酒があり、最近はクラフトビールも醸造されているそうです。ただそれより、古い蔵元を再生して2020年に誕生したというクラフトラムが、とても気になります。
Yさんがボトルをカウンターに並べてくれました。花札をモチーフにしたラベルのセンスがとても良い。

▼ 醸造元「天神村醸造所」のInstaglamより

まずは褐色のスパイスド・ラムから。「最初はストレートで飲って、そのあと割るといいですよ」というYさんの勧めに従い、まずはそのまま一口。
… これ、水で割るなんて、もったいない。このままでいいです。
最近は、石垣島へ潜りにいくとよく立ち寄るバーで色々と変わったラムを飲ませてもらったり、京都の店でもラオスのクラフトラムを飲ませてもらったりで、これまで旅先では日本酒・泡盛一辺倒だったのが、ラムに傾倒しつつあるところなのです。

ゆるく和やかな空気が漂う古民家の広間の片隅にある本棚に、スペインの巡礼路、サンティアゴ・デ・コンポステーラの写真集があるのが目に留まりました。手にとって、ちゃぶ台の上で広げると「ご興味ありますか?」とYさん。かつて、この道を踏破したことがあるそうで、各国の旅人たちと離合を繰り返しながら旅した思い出を語ってくれました。
Yさんは関東から内子へ移住して足掛け10年。出張料理人のAさんはさまざまな土地で暮らしながらも、内子を第二の故郷のように思っている。口数の少ない同宿の青年は広島在住、この町とこのゲストハウスが好きになり、リピーターに。
そしてカウンターに腰掛けている女性は、転職のため、まもなく内子を離れるのだそう。
「でも、いつかは内子へ戻ってくるんだと思う。この町には、いい人が多すぎるんだもの」と彼女は話してくれました。
そのあとラムをおかわりし、和やかな時を過ごしたのですが…ラムが美味しすぎて、その後の記憶はかなり濃い靄の中にございます。

◼️ ◼️ ◼️

ここまでお読みいただき、ありがとうございました。南予の旅、思いもかけぬ長編になっていますが、今しばらくお付き合いください。翌日は、日本の原風景を求めて、石畳地区へ。
これまでのローカル線とブロンプトンの旅、こちらへまとめております。

私は、2020年に勤務先を早期退職した後、関東から京都へ地方移住(?)しました。noteでは主に旅の記録を綴っており、ロードバイクで北海道一周した記録や、もう一つの趣味であるスキューバダイビング旅行の記録、また海外旅行のことなども書いていきます。宜しければ↓こちらもご笑覧下さい。

この記事が参加している募集

旅のフォトアルバム

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?