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#17 地方都市の新たな魅力に出会う ブロンプトンとローカル線の旅/南予のスモールタウンで出会った日本の原風景②

※note公式マガジン「国内旅行 記事まとめ」「 #旅のフォトアルバム  記事まとめ」に、本稿の前段「 #16 地方都市の新たな魅力に出会う〜」をピックアップしていただきました。ありがとうございます!

移住願望に背を押され、晩夏とはいえまだまだ真夏日の南予へ、ブロンプトンを連れてやってきました。まずは早朝の松山駅から、フォトジェニックっぷりで話題の下灘駅までディーゼル単行の旅。しばし、無人では全然ない無人駅の風情を楽しんだのち、海岸線を走り始めます。今日目指すのは旧・宇和町。

▼ここまでの記録はこちらです。


◆ 朝の伊予灘を走る

▲ 本日の出発地点・下灘駅

下灘駅からは、海沿いの国道へいきなり出ず、まずは旧道を辿りました。
いぶし銀の甍の波の上に小さなレンガ煙突が見え、ほどなく、あたりは大豆が発酵する甘い香りに包まれました。旧道の家並みの中に小さな醤油蔵があって、香ばしい香りはここから漂い出ていました。

▲ 旧街道筋の醤油蔵

その後も、この日のライドでは、地域の小さな醤油蔵をいくつか通りかかりました。小学生のころに暮らした木曽谷では、醤油はともかく味噌は自家製が珍しくありませんでしたが、四国には、今でもこのような地域密着の醸造文化が残っているのでしょうか。

国道へ出て、渚に面した道を走ります。
海は静か。風は南西から。向かい風ですがさほど強くはなく、汗を心地よく拭ってくれる程度。土曜の朝なのに車が多く、車道側へ大きくはみ出さぬよう気を遣います。

▲ 海沿いのパノラマロードが続く

ロードバイクがわたしを抜いてゆきました。TTバーをつけ、ティープリムを穿いた、気合の入った2人組です。先頭交代しながら、みるみる小さくなっていきます。
下灘から海岸線を30分ほどのライドののち、8時40分、伊予長浜駅に到着しました。

◆ 伊予長浜の跳ね橋

伊予長浜は、今ではイベント列車以外はディーゼル単行が行き来するだけの駅ですが、内陸を走る短縮線の開通前は予讃線の主要駅のひとつだったのでしょう、3面ホームの風格ある駅です。潮風に洗われたホームの上屋が時の経過をものがたっています。

▲ 伊予長浜駅

駅から国道を隔ててすぐ港。青島行きの定期船、というのがここから出ています。青島というのはここから1時間ほど沖合にある人口6人・ネコ120匹という島だそう。定期船は1日2往復。

▲ 長浜港

「心ふれあう長浜商店街」の看板につられ、国道を外れてブロック敷きの通りへ。空き地が目立つかつての駅前商店街に人影はありませんでした。小売店はほとんどが店じまいしてしまったようです。

▲ 長浜商店街

その突き当たりに、滔々と水をたたえた川が、山からゆったりと流れ出していました。
そうか、ここは肱川の河口なのか。
肱川は、城下町•大洲を流れる川。暴れ側として有名だそうで、2018年7月の西日本豪雨災害では、上流のダムの放水により中〜下流域で、死者も出る大規模水害が発生したことが記憶に新しい。
赤い橋が川を横切っています。先月、移住フェアでもらったパンフレットに、国内最古の現役の可動橋が掲載されていたのを思い出しました。ここにあったのか。
「長浜大橋」というこの橋は、昭和10年の竣工。河川交通が役割を終えた今日では、「現役最古」といっても、毎週日曜に観光用に上げ下げをしているだけだそう。しかし生活動線としては今でも地域に欠かせない存在と見受けられました。補修工事中で、一方通行になっています。

▲ 長浜大橋
▲ 肱川の上流をのぞむ

◆ チェーントラブル…

伊予長浜の先、ずっと寄り添っていた予讃線は肱川に沿って内陸へ方向を転じ、国道は山肌迫る海岸線を南西へ。人家がめっきり少なくなり、車の通行量も減り、伊予灘の広がりはますます雄大になりました。

▲ 絶景の国道378号線

沖合のもやの中に見えるのは、周防大島など瀬戸内対岸の島々。小さな漁船が何隻か、エンジンを止めてゆったりと流しています。
行手の遠方に、ドームの構築物。6月に再稼働したばかりの伊方原発です。

▲ 伊方原発遠望

ゆるやかなアップダウンが続きますが、自動車も少なく伊予灘の広がりも心を晴々させてくれ、快調に飛ばします。身体が温まり、さらに調子が出てきました。

さて、出海の集落を通過し、八幡浜との市境を越えようというあたりだったでしょうか。
ちょっとした上りが現れました。重い方から2番目のギヤを踏んでいたのですが、そのままダンシングでぐいぐいと踏み込んで上ります。
すると、足元からパキッと、嫌らしい小さな金属音が聞こえました。
続いて、チェーンが何かと接触する音。
これはもしや、チェーンが切れかかっているのでは。

脚を止めて点検すると、案の定、チェーンのコマが一箇所、少し歪んで外れかかっています。
この対処法はと言いますと、外れかかっているコマを切って、チェーンを短くして繋ぐことですが、ブロンプトンは外装2段変速なので、これをやるとトップギヤしか使えなくなり、内装の3段だけで帯に短し襷に長し的なストレスを抱えながら走ることになる…などという以前に、そもそもチェーンカッターを携帯していません。
外れかかっているピンを指で押さえてコマを微調整し、ギヤに接触しない程度に応急処置。ただこれでは、チェーンに強いテンションがかかる踏み方は、怖くてとてもできません。平地も上りも、普段より一段軽いギヤで、切れないことを祈りつつ、くるくる回していく必要があります。
せっかくの風光明媚な海辺の道なのに、心配で気もそぞろ。
もう、立ち止まって写真を撮る程度の気持ちの余裕すら、なくなってしまいました。

◆ 瞽女が峠を越えて保内へ

右手に磯津の漁港を見下ろし、道はやがて、佐田岬半島の付け根にあたる瞽女(ごぜ)トンネルへの登りに差し掛かりました。瞽女とは盲目の女性旅芸人。かつて、壇ノ浦からこの地へ逃れた平家の落人たちが、瞽女に扮した見張りをこの峠に立たせていたことが地名の由来だそうです。
このあたりは中央構造線が走っているので、地勢が複雑。地図を見ると、この瞽女ケ峠はとりわけ難所中の難所だったようで、山ひだを縫うような複雑な山道が刻まれています。1993年に喜木津トンネル、そして1998年になって総延長2154メートルの瞽女トンネルが開通し、この地域の交通状況は劇的に改善されました。国土交通省の資料を見ると、瞽女トンネルの開通によって保内では中学の下宿生が解消され、高校生も自転車通学が可能になったなどの効果が紹介されていました。

瞽女ケ峠は標高356メートルとのことで、旧道を越えてみようか、という色気もなくはありませんでした。が、チェーントラブルなどもあるので、これはおとなしく瞽女トンネルを抜ける方が良いだろうと判断。
ただ、このような長大トンネルでは、自歩道が整備されていないと、自転車で走り抜けるには危険が伴います。特に登り勾配だったりすると、背後に迫る車の気配で焦りを感じます。しかし、この瞽女バイパスは四国一周サイクリングロードのコースにも指定されているので、多分大丈夫なんだろう、と想像しました。

6.3%の勾配を上って、全長615メートルの喜木津トンネルを通過。幅の広い自歩道が設置されており、安全に走行できましたが、登りっぱなしのトンネルというのは嫌なものです。
その先、さらに7%前後の勾配が続きます。森にこもる湿気で、汗びっしょりになりました。グローブからも雫が滴り落ちます。チェーンに負荷をかけないよう、軽いギヤをクルクル回して、坂を詰めていきました。
ようやく瞽女トンネルの坑口が現れました。ここも自歩道が整備され、安全に走ることができます。ただここもトンネル内は、勾配は落ちたものの登り基調。

トンネルを抜けると、しばらくぶりで集落が現れました。尾根の高みまで、柑橘系の果樹が植えられ、人家があります。峠を越えて(←正確には越えちゃあいませんが)、生活圏が変わったことが明確に感じられました。
集落の中、坂を下っていくと、風が汗を拭ってくれます。
下り切ったところは、旧・保内町の中心部。リアス式の川之石湾に面した静かな町です。しかし、ここはかつて、愛媛県の文明開花をリードした土地でした。

▲ 段々畑が続く
▲ 喜木川・宮内川の河口から川之石湾をのぞむ

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ここまでお読みいただき、ありがとうございました。引き続き、八幡浜港を経て、古い宿場町が残る旧・宇和町へ。よろしければ続きもお読みください。
これまでのローカル線とブロンプトンの旅、こちらへまとめております。

私は、2020年に勤務先を早期退職した後、関東から京都へ地方移住(?)しました。noteでは主に旅の記録を綴っており、ロードバイクで北海道一周した記録や、もう一つの趣味であるスキューバダイビング旅行の記録、また海外旅行のことなども書いていきます。宜しければ↓こちらもご笑覧下さい。


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