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"本"の無い守破離は「守破離」ではない! ループからスパイラルの人生へ ~守破離 本~

「はい、わたしたちは、今、ここにいます。ワクワク♪」
「はじめの祈り」
「すべてを愛でます」


こんにちはみつです。

今日の話は、ホオポノポノのそもそもの成り立ちと言うところから、ホオポノポノのスタートそのものの誤解というところを明確にしていきたいと思います。

さらに、我々が日本人として生まれ、両親から躾を受けた事から・・・4つの言葉を使う事でネガティブが加速する二重螺旋構造を紐解いて、完全に受け入れてしまっている洗脳を解いておかなければならないという、最重要な課題をお伝えします。

この事を理解できていないから何度トライしても・・・セルフ・アイデンティティ・スルー・ホオポノポノでは、クリーニングに限界があるというお話をします。

ホオポノポノは万物崇拝からカソリックへ

アロハスピリッツの上に成り立つことが大前提となります。(あらゆるものには全て魂が宿るという考え方です)

しかし・・・1788年新キャプテンクックがハワイに入り、1820年カメハメハ2世の統治下のハワイにおいて、キリスト教の宣教師が大量に入り込み、キリスト教の布教を推し進めました。

それにより、ホオポノポノのアロハスピリッツや、古代のフナの教えや、その中に含まれる施術・儀式全てを取り締まり、アロハスピリッツの思想の中にカソリックの思想が入りました。

アロハスピリットと言うハワイアンの考え方の中には、そもそも「罪」という概念が無かったのです。共に住まう人々は全てが家族でした。ホオポノポノとは古代でいう裁判でした。それは、加害者・被害者という裁くことではなく双方共に許し合い、遺恨を残さず平和的な解決を目的としました。

キリスト教の教えでは、人は「罪を背負って生まれてくる」という思想からスタートします。そして、加害者となれば罰則を受けなければなりません。
被害者となった場合は、裁判で勝つ事、いかに賠償金を勝ち取るか!ということに焦点が当たっています。

ホオポノポノでいうところの100%の責任とは、誰かが目の前に持ってきた問題であっても、目の前に現れた現実の出所は、自分自身の記憶に中からでしかない。よって目の前の問題を、「自分自身の記憶である事を認めさせてください」という事を宣言する為に「ごめんなさい」と言っています。
※謝罪ではなく、問題を自分のものとして「受け取り」の許しをもらう事が「ごめんなさい」です。

古代のハワイでは、そもそも「罪」という概念が無かったと言いました。罪の意識が無かったのですから、「許してください」とは「赦してください」という意味ではありません。

受け取った問題を変容させる「許可の申し出」として、「許してください」という言葉になります。

アロハスピリットというハワイアンの考え方の中には、罪という概念がなかったのに、キリスト教では「人は罪を背負って生まれてくる」という考えからスタートします。現在のSITHでは、そのことを一切説明していません。

このことは、ヒューレン博士の書籍「みんなが幸せになるホオポノポノ」のP25に出てきます。

『今伝統的といわれているハワイのホ・オポノポノでは、最後に「イエスの御名において」と言って儀式が終わります。伝統的と言いながらカソリックに取り込まれているのです。』
※第1章 思うように生きられないのは過去の記憶が原因だったP25より引用

古代ホオポノポノで言うところの「許してください」は、許可を求めるものでした。しかしキリスト教では、教義そのものの中に、「人は罪を背負って生まれてくる」とされています。
罪を背負って生まれてきた人間が発する「赦してください」という言葉には、謝罪しますと言う「赦してください」の意味が入ります。

古代のホオポノポノでは、受け取ったその物事・出来事という問題に対して「変容を加える許可をください」と言うのですが、ここにキリスト教の考えが入ってくると、罪を背負っていますので許してくださいが「罪を許してください!」と言う形で・・・罪を犯した事を認めますので、その上でその罪に対する懺悔と言う形の赦しを乞うことになります。

そして、「愛しています」と愛に変容させるのですが、前提である「ごめんなさい。許してください」は、今の私たちの理解では赦しとは罪に対する謝罪から入っていますので、「愛しています」と言っても愛に変容することもなく、「ありがとう」と言っても祈りが届かないのです。

要するに「ごめんなさい」と言う言葉は英語訳に直すと I'm sorry という謝罪の意が入っていきます。「ごめんなさい。許してください。愛しています。ありがとう。これを使う場合は、『愛してます』『ありがとう』だけでいいんです」とヒューレン博士が途中から訂正されたことが、負の感情が入るのだという事を物語っております。

ここでは、和・オポノポノの理念と4つの言葉を説明いたしますが、オポノポノの理念というのは、あいさつ・価値・自愛・概念という4つになります。これを「ごめんなさい。許してください。愛しています。ありがとう」に当てはまるように作ってあります。

日本では、”生まれる”という事を「魂の修行のために生まれる」という考え方があります。罪を背負って生まれてくるという・・・
この世に生を受けること=「罪を背負う」と言う考え方は日本の神道においては一切ありません。


『ウィキペディア(Wikipedia)』より
神道における「神」

神道は多神教だが、祖霊崇拝性が強い。1881年の神道事務局祭神論争における明治天皇の裁決によって伊勢派が勝利の後、天照大神が最高の神格を得たが、敗北した出雲派的なものが未だに強く残っていたり、氏神信仰などの地域性の強いものも多い。

気象、地理地形等の自然現象に始まりあらゆる事象に「神」の存在を認める。いわゆる「八百万の神々」である。アイヌの信仰にも共通点があり、アイヌ語の「カムイ」と「神(かみ)」という語の関係も深いと考えられている。詳細は神道における神を参照のこと。
また、生前業績があった人物を、没後神社を建てて神として祀る風習なども認められる(人神)。 自然を感じ取り、そのもののままでは厳しい自然の中で、人間として文化的な生活を営むのにふさわしい環境と状態を、自然との調和に配慮しながらバランスを取り調節して行き、人民生活を見回って、生活する為の知恵や知識のヒントを与えたり、少し手伝ってあげたり、体や物を借りた時や何かやって貰った時などには少しお礼をしたり。それが、日本の「神(かみ)」が行っていた仕事の一つである。

日本人にとって「神」は、とても身近な存在であった。

日本の神は地域社会を守り、現世の人間に恩恵を与える穏やかな「守護神」であるが、天変地異を引き起こし、病や死を招き寄せる「祟る」性格も持っている(荒魂・和魂)。このように神は自然神から人格神へ、精霊的な神から理性的神へ、恐ろしい神から貴い神へ、進化発展があったと捉えることが出来る。

人間も死後神になるという考え方があり、神話に描かれる一族の先祖(祖霊崇拝)や社会的に突出した人物、地域社会に貢献した人物、国民や国のために働いた人物、国家に反逆し戦乱を起こした人物、不遇な晩年を過ごし死後怨霊として祟りをなした人物(御霊信仰)なども、「神」として神社に祭られ、多くの人々の崇敬を集めることがある。


「ごめんなさい」は、冤罪への反感が生まれる

「ごめんなさい」という言葉は、日本人にとって大きな問題があります。それは、親御さんが子育ての中に「躾(しつけ)」と称して・・・子供を洗脳してしまったからです。

昭和には、「ハラスメント」と言う言葉や思考は一切ありませんでした。平成も終わり近づき「ハラスメント」と言う言葉が生まれ、令和に入り何でもかんでもが「ハラスメント」という言葉がつく時代になってきました。

そもそもの思考を考えると、昭和・平成に生まれ育ってきた世代への教育は、『頂点を目指し』『人より優れていること』『他人より学力があること』『他人より良い会社』、または公務員のような『超安定志向』などといった、ヒエラルキー思考を良しとしていること・・・それに加え『家庭内での最大の誤り』というものがあります。

それは、母親が子供に対して、教育と称し口酸っぱく言った言葉の中にあるのですが、「だめでしょ」「だめだよね」「だめだめ」というように、子供を「ダメだしの教育」という育て方をしてきたことに最大の要因があります。躾(しつけ)として・・・
「〇〇ちゃん、だめでしょ?」
「〇〇ちゃん、ちゃんと謝りなさい」
「それって悪いことだよね?」

「ごめんなさいは?」
「ちゃんと言いなさい!」
「ちゃんとごめんなさいって言うまで反省してなさい」

これがごめんなさいを許可ではなく謝罪として受け止めざるを得ない最大の理由で、ホオポノポノのが上手く機能しなくなった理由の一つでもあります。日本人は、親から「ダメ」と言われながらしか育てられていない。そのトラウマが取れない限り、ホオポノポノは効果が出ません。

親からの躾で言わされた「ごめんなさい」は・・・子供からすると、冤罪以外のなにものでもありません。(本当に罪を犯した場合は別ですが・・・子供の罪って、そんなに大そうな罪なのでしょうか?)

ここで
・ホオポノポノの理念と、4つの言葉・・・
それに対して

・和・オポノポノの理念と4つの言葉・・・
の説明をしておきます。

ホオポノポノでは・・・
「ごめんなさい」これは100%の責任を持つと言うことです。
「許してください」は、謝罪、罪を償うという赦しになってしまいます。「愛しています」は愛に置き換えることです。
「ありがとう」は感謝して手放すと言う形になります。

以上が・・・ホ・オポノポノの理念と言葉です。


和・オポノポノでは、まず「ごめんなさい」これを挨拶という形で捉えます。

「許してください」これは形を変容させるという、許可をもらう「許してください」です。形を変えるということで「価値を変化させる」となります。

「愛しています」これは問題を愛に変容させることを許可してもらうので、愛をどこからか、または外から持ってくるのではなく・・・外に探すのではなく、自らの中から愛を見つけ出し、その愛を使って問題を愛に変容させるという意味で「自愛」を使うという事になります。

最後は「概念」ですが、これは過去からやってきます。しかし今ここで感謝して終わらせるという意味もあり、「ありがとう」という言葉になるのです。

今ここで感謝で終わらせる。概念とは過去のすべてのものが、「今ここにいます」ということで、今ここで終わらせるという意味になるのが「ありがとう」となるのです。

そしてこの、今ここで終わらせる「概念」は過去ですが、今ここは「現在」・・・これから先の未来に向かって「想念」という未来へのスタートラインも、今ここからとなります。

概念と想念の繋がりの一瞬が、「今ここ」なので私たちのあいさつは、「はい。私たちは、今ここにいます。わくわく」と言う形の挨拶を使用します。

物事のヒントと言うのは循環の中にあります。

昔は、人が亡くなると、土に埋めることで土に帰ると言う循環がありました。それを微生物が吸収をしその肉体の持つ栄養素が、土地から様々な植物に吸収され、その植物を人が食べる。これら命の循環というものが鍵となります。

「ごめんなさい。許してください。愛しています。ありがとう」
これを和・オポノポノでは・・・
「あいさつ、価値、自愛、概念」という形で・・・
大きな循環の中にいるということをしっかりと説明することによって、和・オポノポノが、効果を発揮して機能するということの裏付けとしております。

モーナの守破離、みつの守破離・・・本

これまでは、この「守破離」という言葉に全く反応しなかったのですが・・・「守破離は次の守破離を生む」という記事に出会いました。

そこには・・・離→の次には『本』というものが存在し、「(離)離れても基本を外してはならない」という言葉が出てきます。本を外さず進むと次の(守)が現れる。そして・・・
守→破→離→本→守→破→離→本→守→破→離→本→
守→破→離→本→という様に、永遠に繰り返す。

これを知った瞬間に、自分が行っていることが正に・・・守→破→離→本→そのものだということに気づきました。

その事を動画にしてみました・・・


ここまで読んでいただいた皆様に、どうしてもお願いしたい事があります。
それは、「ワクワク・プログラム」を買って、そしてやってみてください!

ここのところのみつの記事を読んでいただいている方々はお気づきかもしれませんが、上に書いた理解が一段と・・・というよりも三段跳びレベルで深まり、更に覚醒が進んだ為、記事・動画etcでそのことを発信し続けています。

その様な経緯から、この度本プログラムを大幅に改定することに決めましたが、改定後は現在の価格ではお出しできないと思います。儀式自体の内容は変わりませんので、ぜひ今のうちに!

自分の人生を自分の手に取り戻したいと・・・本気で思う方を『募集』しております。ワクワク。

ぜひ一緒に平和な人生、幸せといえる人生を歩む仲間になってください!


最後までお読みただき、ありがとうございます。
みつのブログを最後までお読みいただいたあなたを・・・愛を込めてクリーニングさせていただきます。

また記事関するご質問はコメント欄からお気軽に♪


「わたしは愛に生きます
わたしたちと わたしたちの家族、親戚、先祖が、永遠に平和とともにありますように。」
「終わりの祈り」
「はい、わたしたちは、今、ここにいます。ワクワク♪」


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