神格に出会う旅路 ~和ポノ版 桃太郎伝説~ 和・オポノポノpresents ②
「はい、わたしたちは、今、ここにいます。ワクワク♪」
「はじめの祈り」
「すべてを愛でます」
こんにちは、みつです。
覚醒へのステップ・・・早く読みたい・・・早く動画を観たい!
になってきましたか?
みつは・・・早くお知らせしたい!
になってきました。
前回からハワイの秘法「フナの教え」をテーマにしていますが・・・
「フナの教え」を説いていくには、「7つの宣言」がベースになります。
現時点では、「7つの宣言」に進む前の下準備のお話しをしています。
「和・オポノポノpresents」となっているのは・・・
フナの教えをお伝えする前に、読んでくれている方が「覚醒」をしておくことで、人生が好転する変化のスピードが絶体的に早いと考えたからです。
では、「覚醒」ってなんなのでしょう?
「覚醒」=『思い出す事』です。
「気づき」なのかもしれません。
何を思い出すのか?
わたしとはいったい何者なのか?
わたしの中に既にあるってどういうこと?
「わたしたちは、わたしたち」ってなあに?
という様な内容になると思います。
その答えが、和・オポノポノの理念の中にあり、順を踏んでいくと目覚めになって行きます。
わたしとはいったい何者なのか?
わたしとは三位一体、神格様を含めると四位一体の存在であることを思い出すこと。
わたしの中に既にあるって、どういうこと?
わたしの中に既にあるとは、わたしの中の潜在意識は創始の原子からの記憶を持ち、目の前に映る現実のすべては自らの記憶の再生、既にもう知っているということを思い出すこと。
わたしたちは、わたしたちってなあに?
わたしだけでは、わたし自身は説明が出来ない。存在すら表現出来ません。わたしたちでいることで、 わたしたち自身の中で・・・
・あいさつ
・価値を認める
・自分を愛する
・概念があることに気付く、そして外せる
わたしたちであるが故に気付くことが出来る(覚醒する・・・思い出す)ということになります。(覚醒する・・・思い出すということになります)
目覚めるということについて考えていました・・・
今朝目覚めた時、あなたはいつもと同じ景色の中にいましたか?
いつもと同じ景色ではない時っていったいどんな時なのでしょうか・・・。
一番多い場面は、おそらく旅行に出かけている時でしょう。「旅」ってどういう語源なんだろうと調べてみました。
旅・・・古くは遠い土地に限らず、住居を離れることを「たび」と言った。また旅は多くの危険にさらされる苦しいものと考えられていたいたことから、「他日」「外日」などの別の地で過ごすことから「たび」となったという説もある。
英語では「トラベル」何かの話で、語源は「トラブル」と聞いたことを思い出した。
いつもと違う目覚めが起きるシーンというのを考えてみると・・・
・旅行
・日常を捨てる
・他人の家で目覚める
・引越し
・同棲
・新婚生活
・ワンナイト
・拉致監禁
この様に見てみると、日常と違う場所で目覚めることとは、確かにトラブルが始まる予感がする・・・。
なんとなく、目覚めることについては分かった様な、わからない様な感覚だけど、現実問題として何をすれば良いのでしょうか?
それについて、みつの考察を述べます。
本であったり、ブログであったり読み物で秀逸なものとは・・・すぐにやりたくなるかどうか?読んだり観たりした人が、即座に行動をさせることが出来るかどうか?それほどの影響力があるかどうか?
という所にかかってくると思います。
みつが最近観たYouTubeで、即座に行動を起こしたものがあります。
その2本をシェアさせてください・・・
1本目は「龍粋社チャンネル」です。
お陰様で、書籍を読んで社寺仏閣での礼儀作法を学び、般若心経をはじめることが出来ました。
2本目は「めぐり研究所」です。
お陰様で、自分で祭壇を作って先祖供養をはじめました。
出演されている皆さんが、様々な苦難を乗り越えて来た末に現在に至っておられるので、言葉や内容に重みがあり、世の中の役に立つ最高に素晴らしチャンネルの代表だと思います。観る度に学ばせていただけるチャンネルです。
どんなに良い本を読んでも、ブログで良い記事であってもYouTubeに至っても、リアクションを起こせるものでなければ、「良かった」で終わりです。
日常の目覚めが、今日も、明日も、明後日も・・・永遠に同じであれば、日常は変わりません。
物語を始めるには・・・日常の目覚めがいつもと違うことから始まるのです。日常から旅にでる・・・道に迷い、騙されたり、罠にかけられたり奪われたり・・・様々なトラブルに遭遇します。不幸であればあるほど、物語は面白くなります。
そして、どん底まで叩き落とされ、諦めかけたときに賢者と出逢います。
そして、このままでは嫌だ!という負けず嫌いの精神で、賢者の教えを修行します。そして、悪の巣窟と戦い、勝利し、自分自身が一回り大きくなります。
そこで、安心すると思いきや・・・ハリウッドの超大作では、もう一度試練を与え、さらに辛い状況と絶望感を与えます。
そこで主人公は、ハタと気付きます・・・そして、自分が既にもう能力者であると気付き、悪を完膚なきまでに叩き潰します。そして、大きな大きな褒美を手に日常に帰っていくのです。
日常からの目覚めで、行動を変えるには・・・
先ずは、あいさつを変えることから始めなければなりません。自分の中にいる「神格様」いわば神様から褒められるあいさつでなければ、インスピレーションや気付きや目覚めは起こしてもらえないということなのです。
いよいよ今回の本題です。
『価値』についての物語です。
あいさつを変えることは、日常からの脱出です。日常から脱出した後は、賢者に出会わなければなりません。
賢者は何処にいるのか?賢者を探す旅のお供に・・・お腰につけたきび団子が欲しいとウニヒピリがやって来ます。
やってくるというよりも、ずっとあなたの後ろから背後霊の様について来ていたのです。あなたが日常から冒険に旅立つ姿を見ていて、一緒に旅をしたいと申し出て来たのです。
二人は冒険を続けながら様々なことを話し合いました。時にはケンカもしましたが、お互い大切な仲間であることを改めて確認し、お互いがなくてはならない存在となっていったのです。
お互いの価値を認めあった時、新たな問題が起きました。悩みに悩んだ末に、ウニヒピリは思い出したのです。
「そうだ・・・僕には祈りの力があるんだ」ということを・・・。
ウニヒピリは祈りの力の大切さをウハネにも教え、ウハネもウニヒピリから「祈りの力」と「マナ」をもらい、「マナマナ」としてパワーを発揮してウニヒピリと共に祈ったのです。
すると、天から二人を呼ぶ声がしてきました。二人が探し求めていた賢者が、アウマクアとして現れてくれたのです。
価値・・・
その言葉だけでは「わたし」と同じ様に、存在の意味や意義を説明できません。しかし、「わたしたち」であれば、価値感としての違いとそれぞれの存在が生まれます。
存在をお互いに認め合うこと・・・それが和・オポノポノでいうところの価値なのです。
それを動画にしましたのでご覧ください。ワクワク。
最後までお読みただき、ありがとうございます。
みつのブログを最後までお読みいただいたあなたを・・・
愛を込めてクリーニングさせていただきます。
また記事関するご質問はコメント欄からお気軽に♪
「わたしは愛に生きます
わたしたちと わたしたちの家族、親戚、先祖が、永遠に平和とともにありますように。」
「終わりの祈り」
「はい、わたしたちは、今、ここにいます。ワクワク♪」
よろしければ、こちらもどうぞ。
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