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ショパンとティトゥスのポトゥジン村

『音楽の天才』と評価されぶっちぎりトップで音楽院を卒業し、ワルシャワデビューも成功した1830年のショパンくん。でもとても疲れていた。
ショパン20歳の『手紙』を読んで感じたことを書いてみる。

(1)ショパンくん、ポトゥジン村へ行く

このころ『手紙』のショパンくんはめちゃくちゃ情緒不安定。

高評価は嬉しいし、一生懸命やったんだから当然ですよと思いつつ、悪い評価をわざわざ探したり。他人の言葉に一喜一憂するのに疲れてしまう。

音楽評論家も他の人の言葉も、もう聞きたくないよ。
ぼくが欲しいのは君の評価。新しい曲を最初に聴いてほしい。
心のうちをさらけ出せるのも君ひとり。話がしたいんだ、最愛の人よ。

『最愛の人』は手紙の定型文らしいけど、とにかく大事な親友ティトゥスくんは、卒業後に田舎へ帰ってしまって1年近く会ってない。
ショパンは会いたくて夜昼うつつ、会う夢まで見てしまう。

しかしどんなに誘っても嘆いても、彼はワルシャワに来ないのだ。
ショパンはついに決意した。
ティトゥスの住むポトゥジン村へ行く!
300㎞の道のりを、3日間馬車でハードに揺られても行く!!
1830年7月、2週間の夏休み。

(2)GoogleMapでポトゥジンを探す

ポーランドのPoturzyn(ポトゥジン、ポトゥルジン)という村は、地図上ではワルシャワの右下はるか国境付近にある。最初に調べた記事はこちら。

地平線に山がない…?

最初、なんだか奇異に見えたのね。
GoogleMapで見ると、ポトゥジンに限らずポーランドには山がない。
ポーランド(ポルスキ)という国名の語源が『平原』という意味。
街路樹が整っているのは、雪がふったら平坦過ぎて道がわからなくなるかららしい。なるほど。あぁ、でも外敵を止められない地形だな。

ちなみに自分が良く描く素の風景は下記の感じ。日本だろうが欧州だろうが、遠景に山があるのがあたりまえ。そう思ってた。覆されたよ。

(3)ティトゥスは有名人の友だち…以外の仕事で忙しい

さて、ティトゥス本人を調べようとしても『有名人の友だち』以外のエピソードがない。そういや昔、マリー・アントワネットの恋人フェルセン伯爵を調べた時もそうだった。まるで有名人の友だちじゃないと、存在価値がないみたいじゃないか。

まぁ有名人がいないと、その人を知ることもできないんだけどさ。
太陽と月みたい。光があるから綺麗に見える。
でもなんとなく悔しいのでムキになって調べてみた。
なんどもたどり着くのはポーランドの家系図サイト。
http://www.sejm-wielki.pl/b/lu.43626

ティトゥス・ヴォイチェホフスキ  1808.12.31 ~1879.03.23
Tytus Sylwester Wojciechowski(農業・政治活動家)


ワルシャワの学校に通うため、ショパン家の寄宿学校で10代を過ごす。ピアノを弾き、音楽への理解も深かった。
ワルシャワ大学の専攻は法学・行政学部。1829年に卒業、亡くなった母の領地(ポトゥジン)を継ぐ。

また、1830年と1863年の独立運動に参加した。
1830年11月蜂起後、ワルシャワ大学OB会は名誉衛兵を設立。12月結成初期メンバーは前々から地下活動をしていた人が中心で、ティトゥスもたぶんその一人。ショパンとともにウィーンにいたけど、飛んで帰国し間に合った。
1831年勲章授与し中尉に昇進。8月26日野外戦で副官として活躍。
しかし9月2日ワルシャワは陥落。10月ポーランド軍は敗北した。

その後、ロシア軍による逮捕・領地没収、シベリア、軍へ強制入隊などは免れたようで、ポトゥジンに戻り、結婚し農場を経営し製糖工場を運営する。
ポトゥジンの特産物であるビーツ(砂糖大根)をよそへ売るのではなく地元で加工する製糖工場を1840年代に建設。輪作にも成功。ポトゥジンは栄えた。
地主側から農奴制の段階的な放棄と年金の代わりの導入を提唱し農業会を作って実行。政府に意見を求められ、ルブリン地方の農業発展に貢献した。

…などなど。
ティトゥス・ヴォイチェホフスキは、地元に貢献した名士だね。

1830年夏の手紙でショパンは『君の畑に郷愁を感じ』『窓の下の白樺がロマンティックに見えた』『音楽家になれなかったら君の家の書記でもするから雇ってね』と語るけど、その後ポーランドを出てパリで成功し、ポトゥジンに来ることはない。

(4)ポトゥジンの水彩画

さてさて、そんな風にふたりに影響を与えた『ポトゥジン』。
Google Mapのバーチャルビューでうろうろしてみる。

広く、少し寒々とした空の色、道路のわきに街路樹、藪はあるけど森はない、農地も今はあまりない、地平線に山がない風景。水彩画。

(5)ポトゥジン村のHP

現在のポトゥジン村のHPを見つけた。
ポーランド語を例によって、ページ丸ごとGoogle翻訳してもらって、部分的にDeepLとGoogle翻訳を、コピペ往復しながら読む。
村おこしをしたいのだけど、『ショパン、親友を訪ねて夏に2週間滞在しました!』ぐらいじゃちょっと弱い。製糖工場とティトゥスのヴォイチェホフスキ宮殿は破壊され跡地しかなく、戦争の爪痕も深い。

村のHPでGoogle自動翻訳のキャプチャ。人口は1200人くらい?
HPの管理は、学校の若い先生がしてるらしい。
時々書き込まれている掲示板の内容は素朴な感じ。
新しくは作れないけど、観光客にせめて瓦礫を綺麗にみせる工夫をしよう!とか。

でも2021年9月29日現在はHP閲覧不可。
なんでかな?やや残念。代わりにポトゥジンwikiを貼る。

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