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クリーンファイターズの軌跡 ~限られた予算で強いチームを作る!~ 3

こんにちは。
スクラムヒューマンパワー代表 日原 達仁です。

私の記事を読んでいただいて、ありがとうございます。

17名で挑んだ関東社会人連盟・4部戦では、
リーグ戦を全勝、3部との入替戦を京王帝都と対戦します。
見事勝利し、3部への昇格を決めました。

祝勝会は本社で行われ、
社長をはじめ役員の方々もとても喜んでくれました。
私もラグビー部員も、どんどん強くなることで、
ラグビーができる環境がよくなるのではないかと期待していました。

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しかし日本経済は不況へ陥り、ラグビー部の人材確保は苦戦します。
上司とも、何度か採用を巡って意見をぶつけ合いました。
なんとか大卒、高卒合わせて3名の採用が決まりましたが、
チームとしてはやはり22名に満たないままです。
中小企業のラグビー部の採用では、
これが精一杯の誠意であったことは、今では理解できます。
しかし、当時の私は不満を隠せませんでした。

平成7年、TOSEN山梨工場が完成しました。
ラグビー専用、天然芝のグラウンドです。
私も山梨工場への異動が決まり、6年振りに地元山梨へ生活圏を移します。

新しい工場は2つの工場をひとつに集約したものでしたので、
それぞれの工場ごとの文化の違いもあり、
立ち上げから稼働までがスムーズに進みません。
ラグビー部員の社員も、慣れない作業で事故や怪我が多発していました。
待望のラグビー専用グラウンドも、芝の育成に時間が掛かってしまい、
日川高校、山梨学院大学、
地元の小学校のグラウンドをお借りして練習していました。

芝が根付いてきても目土散布機がなく、
軽トラックに砂を積んで運び、スコップで撒いたりしました。
今では散水も自動ですが、当時は毎朝順番に、散水作業もありました。
選手たちが
「自分たちのグラウンド」のために、一生懸命作業を続けました。

選手たちは仕事、ラグビー、グラウンドの整備など、
目まぐるしく動き回りました。
あまりの忙しさに、不平や不満の声も上がってきます。
選手は製造部、現場作業がほとんどでしたので、
大卒でもラインに入ります。
私も最初の3年は、溶接や組み立てを担当しました。
今では、研修期間に現場を学ぶことも当たり前ですが、
当時はITバブルも手伝ってか、パソコンを使った仕事に憧れがあり、
「大卒なのに、なぜ現場なんだ!」という声もありました。

9月には関東社会人連盟3部のリーグ戦が始まります。
順調に勝ち進み、11月、リーグ戦の終盤には、
ホームグラウンドも使えるようになりました。
全勝で2部との入れ替え戦を迎えます。三菱マテリアルとの対戦です。

仕事にラグビーに、グラウンドの整備、どれも精一杯取り組んできました。
努力が実ったのか、入れ替え戦を勝利、
関東社会人連盟2部リーグへの昇格、いよいよ強化チームの仲間入りです。


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