違和感を片手ですくう
違和感がずっとあった。
この数ヶ月の混乱してる世界で、感じた違和感の正体をほんの少しすくえた気がしてる。
(最初に断っておくが、今回のことで、自分とはまったく違う立場に置かれてる、もっと危機的状況に立たされてる人もいるから一概には言えないとは思ってます。自分の想像力不足から気分悪くされることがあれば申し訳ないです。とてもナイーブな話だと理解してます)
この期間をただ単にやり過ごすための手段、スタンスを選んでやってる人と、この期間以降の身のふり方含め自分と世界と向き合う人がいて、それはこの期間にあからさまに表に出たと思う。
オンラインだろうがオフラインだろうが本質は、変わらない、変えれない、変えない人もいるし、柔軟とブレるのギリギリでふらついてる人も多々見受けられる。どうやらその時の、手段 に違和感を感じたようである。もちろん個人的なこちらからの視点から見ての話で、正解不正解、かっこいいださいの基準はそれぞれだ。
生き死にの問題も関わることなので、いろいろと思うことを言うのは難しくはあるけど、Twitterにも軽く書いたが、いろんな化けの皮が剥がれたと思う。マイナスはもちろんプラスも。普段では見えなかったこと、主張しなかったこと、人、かすかにぼやけてたよな曖昧な事柄とか、それらがぐぐっと具現化されて表に押し出されてきた。
特にTwitterを見てると、今までは生活の中ふとしたラフな言葉の羅列140文字(つぶやき)が各々の思想をしっかり帯びたものになっている。政治面、コロナの動向においてはもちろん正しい動きだと思う。ただ思想でとどまればいいが、発信の言葉の選びの少しの間違いや、受け取り手の誤読で、そこら辺で燃えてる。ぴりぴりしてる。
近しい人たちの意外な一面もそこから見えた。思想といえば重たいけど、本性と言えば分かりやすいか、嫌悪感を感じることもあれば、この人凄く頭キレるんだなとか、スタンスかっこいいなとか、頼もしく思ったりしてる。
例外ではなく自分においてもしっかりと化けの皮さ剥がれたように思う。
この数ヶ月自分にはがっかりしたし、どんなに人にもたれかかって生きてきたのかって思った。何度も言ってるかもしれないが。 ずっと人様が用意してくれた土俵の上で相撲とってたんだなって。とても苛立った。今回机に向かってたくさんのこと調べた。音楽、それにまつわる表現、生きてくことに必要なこと。これから先を、近しい人を物を守りながら生きる術を。新しく始めること、今までやってることをより強靭なものにするための知識を。
自分はたくさんのものを見過ごして、見逃してきたと思う。これ以上、今そばにある大事なものはずっと連れていきたい。
今をやり過ごすための期間じゃなく、今と、終わってからと、その先と、を自分で守るための鍛練の期間にしないとなと思う。最近こうやって書いてることは、もちろん「#文章の素振り」て言ってるぐらいなので積極的に言葉を扱う時間を増やしてるのが大きいが、自分の思考の整理にも繋がってる。
今回机に向かって調べていくうちにやはりペンをとって紙に書くことの重要性を改めて知った。体で覚える感じ。大切。
気合いとか、勢いじゃ勝てない相手(コロナだけでなく)と同じ時間軸で生きてくこと、その上で今を自分で選んでいくこと。その中で作ったもの見つけたもの忘れてたものいらないものに気づいて大事にできたらもっともっと強く生きていけそう。
ほんとこの期間強く前向いて歩めたら、人生豊かに過ごせそうな気がしてる。誰が死んでもひとつの命だからこんなことも言うのもあれだけど、近しいひと、まわりの関わりあるひとは誰も死ぬなよと思う。早くみんなでふざけて、外で会話して、飯くって愚痴はいて夢語って酒のみたいね
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