HIGHLIFE HEAVEN

This is "HIGHLIFE", not "LATIN"

HIGHLIFE HEAVEN

This is "HIGHLIFE", not "LATIN"

最近の記事

国内唯一無二のカリプソ・ラテンバンド、カセットコンロスが、約13年ぶりとなるフル・アルバムをリリース。

カセットコンロスを初めて知ったのはいつだっただろうか。 一番最初に名前を知ったのは、2004年頃だ。所沢の航空公園で行われていた「ソラノネガイ」という野外イベントに、デタミネーションズやエゴ・ラッピンと一緒に出演していたり、デタミと一緒にライヴをやったりしていたからだった。当時はまだカリプソにはほとんど疎く、当時の国内スカの名パーティー「DOWN BEAT RULER」への出演や、コンピへの参加をしていたりもしたけれど、そのバンド名のインパクト以上の思い入れはまだなかった。

    • デレ・オジョ&ヒズ・スターブラザーズ・バンド「JUJU MUSIC AT ITS BEST」のライナーノーツ

      1950年代から1970年代ぐらいにかけて、西アフリカの音楽をこぞって録音しリリースしていたレーベルは様々あるが、一番作品が多いのが英国のDeccaとオランダのPhillipsだ。 前者にはWest African Series、後者にはWest African Recordsという専門のサブレーベルのようなものがあって、競い合ってたかどうかは定かじゃないが、それぞれ様々なアーティストをリリースしていた。 どちらも集めていて感じるのは、Deccaはわりと似たような系統(た

      • ドクター・K・ギャシ 「THE HIGHLIFE DOCTOR」のライナー・ノーツ

        Dr.K.Gyasi & His Noble Kings / THE HIGHLIFE DOCTOR (ESSIEBONS ENTERPRISE LTD. / EBL-6115 / 1975 / GHANA) 0:00 01.OBAMA BAAKO AGYEGYE ME 3:03 02.BARIMA ENA 6:21 03.SAMAN WO DE ME 9:13 04.EYE DEN NI 12:06 05.MANSA WOMBA 15:21 06.DEA METI ARA

        • アフロビーツ備忘録2023 / 2

          Yemi alade - Fake Friends すっかりベテランとなったイェミ姉さん。軽快かつこれまたメロディアスな曲をリリースしてて夏っぽくて良かった。歌詞が気になるので調べる。

          Afrobeats備忘録2023 7/9

          Tekno / Peace of Mind (6/29) 最近なにかとハマることの多いテクノ。今回もめちゃくちゃメロディが良い。カリビアンの香りがするのはたぶんレゲトンの影響かな。

          Afrobeats備忘録2023 7/9

          第37章 ビクター・ウワイフォのベンデル・ステート・ハイライフ

          ビクター・ウワイフォは、アフリカの現代音楽家の中で最もダイナミックな存在だった。 1965年にメロディ・マエストロズを結成して以来、100枚以上のシングルと12枚以上のアルバムを発表した。彼の音楽は、ナイジェリアのベンデル州(現在はデルタ州とエド州に分割されている)に伝わるビニ族の民謡をベースに、現代的なタッチで融合されたドライビング・ビートであった。 1966年、彼と彼のバンドがフォノグラム・レーベルから3曲のスマッシュ・ヒットをリリースしたのがすべての始まりだった。「

          第37章 ビクター・ウワイフォのベンデル・ステート・ハイライフ

          ハイライフ雑感1:Resuscitate and come back to me

          明けましておめでとうございます。 というかnoteを書くのもめちゃくちゃ久しぶりだな。 さて、今年はハイライフを集めだした頃の初期衝動を少しでも思い出そうかなと思ってる。だから、思いついたハイライフ・ネタをチマチマと、時にクソ長く気ままに綴っていこうかなと思う。 で、今回はハイライフにおける名バラードの一つであり個人的なフェイバリットの一つでもあるE.T.メンサー&ヒズ・テンポス・バンド(=E.T. Mensah & His Tempos Band)が1952年に録音した

          ハイライフ雑感1:Resuscitate and come back to me

          ハレルヤ・チキン・ラン・バンド

          この度、めでたくLPとしても再発されるようだしエモい思い出を書き連ねてみようかなって思う。飽きたり疲れたら公開しないでお蔵入りするけど。読んでるあなたがいるということは、飽きもせず疲れもせずだったということだろう。よかったよかった。 さて、あれはかれこれ7年か8年ぐらい前だろうか。 当時の仕事の絡みで赤い疑惑というバンドのフロントマンであるアクセル長尾さんと2人で食事をする機会があった。それぞれ取引先という関係性で、アクセルさんが当時在籍していた会社を退職されるということ

          ハレルヤ・チキン・ラン・バンド

          第7章 ナナ・アンパドゥ(アフリカン・ブラザーズ・バンド)、 パット・トーマスとA.B.クレンツィル

          ガーナのハイライフ・シーンは、同国のエレキ・ギターバンド・ハイライフ・リーグのトップ・ランカーであるアフリカン・ブラザーズ・バンド(=The African Brothers Band)抜きで語るのは不完全だろう。 グループのリーダーは、1960年代初頭にバンドを結成した、ガーナのクワフ地方出身のナナ・アンパドゥ。 彼らの最初の大きな成功は、1967年にリリースされたレコード "Ebi Tie Ye(Some Live Well)"であり、後にこれは劇にもなった。この曲は

          第7章 ナナ・アンパドゥ(アフリカン・ブラザーズ・バンド)、 パット・トーマスとA.B.クレンツィル

          第2章 “Yaa Amponsah” 物語

          “Yaa Amponsah”はガーナで最も人気のあるハイライフのナンバーであり、そのメロディとリズムはガーナ人向け、12小節のブルースはアフリカ系アメリカ人向けでもある。 それは、今日ではたくさんの異なる歌詞がアレンジされているスタンダードな音楽パターンだ。 “Yaa Amponsah”は、ガーナでは通常”ギターバンド(・ハイライフ)”、”パームワイン”、または”カントリー”音楽と呼ばれる音楽ジャンルに関連付けられる。 主にギター音楽のこのガーナスタイルは、西アフリカ

          第2章 “Yaa Amponsah” 物語

          第1章 クワ・メンサーと”サム”: パームワイン・ギターの偉大なるオールド・マンたち

          パームワイン・ギター・ミュージックの”グランド・オールド・マン”は、ファンテ族のミュージシャン、故・クワ・メンサー(=Kwaa Mensah)である。 彼は、アフリカン・ブラザーズ・バンドのような、完全に電化されたギターバンドとは対照的に、アコースティック・ギター、巨大なベース、ハンド・ピアノ、クリップ、および、ローカライズなハンド・ドラムを使用したパームワイン・タイプのハイライフをプレイする有名なマスターだった。そのため、彼はハイライフの中でも最もトラディショナルなプレ

          第1章 クワ・メンサーと”サム”: パームワイン・ギターの偉大なるオールド・マンたち

          2019.12.12(木) ワダマンボ鑑賞会:ペンペンドンピー編

          長見順さん!岡地曙裕さん!そして、ワダさん、アンディーさん! 異次元なシンガーソングライターであり、ストーリーテラーであり、ブルース・ギタリスト、マダム・ギターこと長見順。 そしてボ・ガンボスや吾妻光良&スウィンギン・バッパーズでお馴染みの汗かきドラマー、岡地曙裕。 そして、カリプソ・バンド、カセットコンロスからワダマンボとアンドウケンジロ ウ。 個性派四人からなる噂のバンド、ペンペンドンピー! 福島の山奥に籠ってこしらえたアルバム、『ppdp』をひっさげての東京公演!

          2019.12.12(木) ワダマンボ鑑賞会:ペンペンドンピー編

          イントロダクション:前書き - 後編

          ◇前編(前書き〜コンサート・パーティーまで)はこちら ●ハイライフ・ミュージックハイライフには、パームワイン、ブラスバンド、コンコマ、ギターバンド、ダンスバンドなど、コンサート・パーティーの伝統と相互作用するか、または吸収されたダンス・ミュージックの種類が多く参照されている。この人気のある文化的なガーナのダンス・ミュージックの起源は、ファンテ(アカン方言)を話す人々が住んでいる国の南西海岸にある。また、ここはポルトガル人が1482年にエルミナ城を建てたため、ガーナの中でもヨ

          イントロダクション:前書き - 後編

          イントロダクション:前書き - 前編

          ●イントロダクションハイライフはガーナの最も重要な、そしてモダンな自国のダンス・ミュージックである。 そのルーツは、19世紀後半から20世紀初頭のブラス・バンド、ダンス・オーケストラ、そして、ギターやアコーディオンのパームワイン・グループにまで遡るが、最近では”コンサート・パーティー”やそのギターバンドと特に結び付いていると考えられている。 これらは、ガーナのあちらこちらで、村の人々や都会の貧しい人々に、ドラマ、アクロバット、魔法のディスプレイ、そしてハイライフのダンス・

          イントロダクション:前書き - 前編

          第13章 ブロードウェイとウフール・ダンス・バンドのスタン・プランジ / 後編

           スタン・プランジはかく語りきーーー  ブロードウェイ・ダンス・バンド、ウフール・ダンス・バンドの中心人物として活躍したスタン・プランジのキャリアを辿ったインタビューの後編をお届け。  ※前編はプランジの音楽キャリアの初期から、スターゲイザーズに参加〜離脱するまで。 ーーそれまでにレコーディングをしたことはありましたか? P あるよ。スターゲイザーズとレコーディングした。私はアレンジをしたんだ。それからダウンビーツと一緒にラゴスにいたとき、フィリップス(=Philli

          第13章 ブロードウェイとウフール・ダンス・バンドのスタン・プランジ / 後編

          第13章 ブロードウェイとウフール・ダンス・バンドのスタン・プランジ / 前編

          スタン・プランジ(=Stan Plange)は、アクラ生まれのミュージシャンで、長年にわたりダンスバンドでギターを弾いてきた。 1950年代後半に、彼はダウンビーツ、コメッツ、およびスターゲイザーズ・ダンス・バンドなどで活動し、1958年から1961年の間は、ナイジェリアのミュージシャン組合の会計係でもあった。 1961年に彼はブロードウェイ・ダンス・バンドに加入し、1964年にそのバンドはウーフル・ダンス・バンドと改名することとなる。 彼は1965年にウフールのリーダ

          第13章 ブロードウェイとウフール・ダンス・バンドのスタン・プランジ / 前編