ドクター・K・ギャシ 「THE HIGHLIFE DOCTOR」のライナー・ノーツ

Dr.K.Gyasi & His Noble Kings / THE HIGHLIFE DOCTOR
(ESSIEBONS ENTERPRISE LTD. / EBL-6115 / 1975 / GHANA)

0:00 01.OBAMA BAAKO AGYEGYE ME
3:03 02.BARIMA ENA
6:21 03.SAMAN WO DE ME
9:13 04.EYE DEN NI
12:06 05.MANSA WOMBA
15:21 06.DEA METI ARA MEPE
19:37 07.MEBEWU A MENNIM
22:58 08.OWN AYE ME ADE
26:29 09.ODEDE MONTIE
29:33 10.AWESIABA MEPE ENO
33:03 11.MEKO MA OBI ABA
36:48 12.ME NYE WO NAM (AKYEKYERE)

ドクター・K・ギャシ、あるいは、ジャシ、またはグヤシは、表記揺れも多いぐらいに70年代のガーナを代表するハイライファーの一人だ。(ここではギャシで統一する)。

いわゆるダンスバンド・スタイルのハイライフが不安定な政情や広がる格差の煽りを受けて廃れ始め、とって代わって台頭してきたのはミニマルなコンボ編成で演奏することができるギターバンド・スタイルだったという。そして、その編成は年代を追うごとに発展してゆき、1970年代以降の主流となっていった。

ギャシは、その年代の中で"シキ・ハイライフ(=Sikyi-Highlife)"という局地的なサブジャンルを編み出した偉人であるのだが、そんな彼がガーナの名門レーベルであるEssiebonsから初めてリリースしたのがこの"THE HIGHLIFE DOCTOR"だ。

ハイライフを集めるコレクターの間では名盤として有名な今作は、それなりにレア盤と化している。"シキ・ハイライフ"はメロウでいて長尺、そのグルーヴを積み重ねてトリップさせるような塩梅の作品だが、今作はそれ以前の、スロウ・ハイライフに近いわりとオーソドックスなハイライフを演奏している。12曲収録されているのだが、長くても4分代というダンスバンド・スタイル期の名残か、ラジオ向けなのか、短い尺でサクサクと進んでいくので手軽に聴き通せる作品でもある。

ジャケットの裏に署名がないライナーノーツがあったので、以下、それを意訳して記載する。それに合わせて音も聴けた方がいいと思ってフル尺をYouTubeにアップしたのに、Essiebonsは最近コンピの再発もしてたし権利をけっこう厳しく管理してるっぽくてブロックされてしまった。でも、それなりに時間はかかってるので、むかついたからそのまま記載しておく。聴けないかもだけど、参考程度にしてもらえたら幸いです。

●ライナーノーツ

クワメ・ギャシは1934年、ガーナのブロング・アハフォ州ベカメでアシャンティ州アンカセ出身の両親のもとに生まれた。ギャシの父親は息子を溺愛し、目を離したくなかったので、学校へ行かせるよりも農場で息子をそばに置いていた。しかし、若者は生計を立てなければならず、父親は息子に商売を学ばせるため、いずれは別れなければならなかった。そのため、幼いギャシはクマシの叔父のところに見習いとして預けられ、落ち着きのないジャシは、靴の製造、小商い、運送業の経営など、あらゆる種類の商売を学び、試してみた。

ギャシが独立を決意したとき、父親は彼に1000ポンドを貸し、それでアシャンティでは初のメルセデス・ベンツ・タクシーを購入した。しかし、音楽の血を受け継ぐギャシにとって、ビジネスを気にする時間はほとんどなく、気がつけばギターのレッスンに多くの時間を費やしていた。そうして彼の最初の運送業への挑戦は失敗に終わった。音楽への転向は、偏見に満ちた父親にとってはとても受け入れられない職業であった。そのため、父親のサポートはなくなり、ギャシの事業はすぐに立ち行かなくなった。

ギャシはその後、生活のためにG.B.Ollivant (=植民地時代の多国籍企業)ので運転手として働くようになった。そこでアピア・アギェクム(=Appiah Agyekum)の指導を受けながら音楽活動を続けた。1948年頃のことだ。後にギャシは、アピア・アギェクムのほかに、彼の音楽キャリアに大きな影響を与えたのはクワー・メンサー(=Kwaa Mensah)だとも語っている。

1952年までに彼はギターバンド・スタイルのハイライフ楽団 ‘K. Gyasi's Guitar Band'を結成し、その年にG.B.Ollivantのためにレコーディングを行った。この処女作のタイトルは”Aware Ye De”だった。1953年、彼は少年時代からの友人であるA.K.バドゥ(=A.K. Badu)のためのレコーディングも行っている。親しい友人たちから「ケイ」と呼ばれたギャシは、おそらくスロウ・ハイライフにおける最高の表現者であり、このアルバムを通して彼はその特性を存分に披露している。

その後、ギャシは様々な会社でレコーディングを行なったが、1962年にディック・エシルフィ・ボンジー(=Dick Essilfie-Bondzie)と出会い、’Essiebons’(=ディックが設立したガーナの名門レーベル)が結成され、'Essiebons'に参加することとなった。

ちなみに、ギャシの前身バンドである’K. Gyasi's Guitar Band'と現在の'Noble Kings’は、O.P.K、クワベナ・アクワボア(=Kwabena Akwaboah)、ヨウ・クノボ(=Yaw Knobo)、ヨウ・バリマ(=Yaw Barima)など、その後の音楽界で大成功を収めたミュージシャンたちのトレーニングの場となっていた。

K.ギャシの成功は、創意工夫と独創性に起因していた。彼の作曲は典型的な浮遊感があり、方向性と密度がある。そして、ギター・グループにオルガン演奏を導入したのは彼が最初である。このアルバムは、個人的(※ライナーノーツの筆者)には「今年のベストアルバム」候補(※リリース年である1975年当時)であり、他の追随を許さないだろう。実際、すべてのコレクターに必須アイテムとして強くお勧めする。ギャシには彼独自のものがあり、それは価値あるものなのだ。

●曲解説

0:00 01.OBAMA BAAKO AGYEGYE ME’ はリリースされるとすぐにヒットした。 その中には、女性の気まぐれの犠牲になった者もいたかもしれない。”一人の女性が私の人生を台無しにした”と解釈できるタイトルがそれを裏付けている。

3:03 02.BARIMA ENA’ は伝統的なアシャンティ音楽の流れを汲む曲で、男の資質を讃え、なぜ男はなくてはならない存在なのかを歌っている。

12:06 05.MANSA WOMBA’ は、"マンサの子供たち “(※筆者注: 恐らくかつて隆盛を誇ったガーナのアシャンティ王国の子供たちのこと)の苦悩を描いている。彼らがいかに苦労して頂点を極めたかと、その後、暴君に切り倒されてしまったかを。この曲は、私たちの身の回りで起こる日常的な出来事を孕んでいる。この曲はK.ギャシの2番目のヒット曲である。リード・ヴォーカルはクワべナ・アクワボアで、現在はバンド・リーダーとして活躍している。

15:21 06.DEA METI ARA MEPE’では、K. ギャシがいかに優れたストーリー・テラーであるかを如実に示している。この中では、「ある金持ちに気に入られた貧しい青年が、商売を始めるための資金を与えられた。それ以来、青年は心の安らぎを得ることはなかった。そして、金持ちに金を返したとき、彼は再び自由を感じた」というストーリーが歌われている。

19:37 07.MEBEWU A MENNIM’ は、ガーナ生活の重要な伝統である、亡くなった人の家族によるきちんとした埋葬について歌っている。同時にこの歌手は、葬儀にまつわる偽善を暴き、家族が意図した善意は、死後ではなく本人が生きている間、まさに今、本人に向けられるべきだと喝破している。つまり、亡くなってから後悔で泣くのではなく、生きているうちに後悔のないように誠意を尽くすべきだ、と語っているのである。

22:58 08.OWN AYE ME ADE’ - このアルバムでは、教師と弟子の再会が訪れる。K.ギャシは、この曲でアコーディオンを弾くアピア・アギェクムのギタリストとしてかつて弟子入りしていた。歴史上のトピックとしては、アピア・アギェクムの過去の弟子には、E.K.ニャメ(=E.K.Nyame, E.K.’s Band)と、キング・オニイナことクワベナ・オニイナ(=Kwabena “King” Onyina, Onyina’s Guitar Band)がおり、2人ともギターバンド・ハイライフの黎明期における有名なギタリストで、ジャズのコードを取り入れるなど改革を行った偉大なバンド・リーダーだ。

26:29 09.ODEDE MONTIE’ -「聞け、すべての民よ、起こるように定められたことは必ず起こる。私は雨から逃れたが、家に帰れば私たちのベッドがあるだけだ!」

29:33 10.AWESIABA MEPE ENO’ --ここでは孤児が死んでしまった母親のために泣く。継母のいる彼は、農場で誰もしたがらないキツい労働をさせられることが一番多く、それでいて食べ物の分け前は一番少なく、何か問題が起きた時にはすべて彼のせいにされる。

33:03 11.MEKO MA OBI ABA’ -この女性の声(※筆者注: ギターバンド・ハイライフの特徴は、男形と女形に別れたボーカルスタイルであり、ここでいう女性の声は恐らく女形のこと)は、地元では「ドクター」の後妻、つまり後輩の妻にほかならない。これは、人は失って初めて、一緒にいる相手の価値に気づくという真理を述べている:
「だから私は行って、別の人のために道を空けなければならない」。

36:48 12.ME NYE WO NAM (AKYEKYERE)’ はまた別の物語で、今回は”クワク・アナンセ(=Kwaku Ananse)”、つまり”アナンセ・ザ・スパイダー(=Ananse, the Spider)”(ほとんどのガーナ民話に登場する人気のある伝説上の人物)の話である。
“クワクは自分が賢いと思っていたが、鈍重だが確実な "亀 "であるアキエキエレ(=Akyekyere)に巧みに出し抜かれた”


このアルバムには多彩なレパートリーがある: リラックスして楽しみ、この豊かな体験を「ドクター」と分かち合ってください。

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