介護保険は利用できません!の意味
B先生に声をかけられた。
「ソーシャルワーカーのTさんに連絡しておいたので、相談室のTさんという方を訪ねてみてください。」
そーしゃるわーかー?
「実際、ご主人の転院はまだ少し先の話ですが、リハビリをする転院先のこと、相談し始めておいてもらいたくて。」
転院か。
やっぱり、転院するんだ…。
主人の頭の骨が元の場所に戻って、その傷口が塞がる頃に、もしも、いや、やっぱり、左側は全然動かなかったとしても、そのまますんなり家に戻れるんじゃないか。
その時は、まぁ仕方ないやって身体が動かないことは諦めて、主人を車いすにのせて、毎日、わたしが会社に送り迎えをすれば、そのまま何事もなかったように復職できるんじゃないだろうか。
そんなことばかり考えていたのに。
あんなにたくさんの ”おかしなこと” を見てきたのに、わたしは未だに望みを捨てきれていなかった。
この期に及んでも、奇跡が起きることを願っていた。
そのことに気づいた。
本当に諦めが悪いなー、わたしって…って、ちょっと笑ってしまったら、のどの奥が急にぐっとなった。
やっぱり、どうしても、ぜったいに、転院しなくちゃいけないんだ、ね?
「Tさんって方ですね。分かりました、さっそく行ってみます。」って、物わかりのいい家族を装った。
こんなにも諦めが悪いのに、B先生には面と向かって聞く勇気はなかった。
「まだ骨を頭に戻していないのに、どうして退院じゃなくて、転院なんでしょうか? どうなるかなんて、まだ誰にも分からないんじゃないですか!」
「ぜったいに治らないってことですか? 先生には主人の未来が見えているんですか?」
「じゃぁ、あとどのくらいすれば、主人のアタマは前みたいにちゃんと動き始めるんでしょうか? お願いだから、それがいつなのか教えてください。」
「アタマはダメでも、自分で立って歩けるようにはなるんでしょうか? それとも、車いすの生活も覚悟しておいた方がいいんですか? 今は ”左” の動かし方を一時的に忘れてしまっている状態だからって、それを思い出すこともあるって、前に言ってましたよね??」
「それより、なにより、いつになったら、仕事に復帰できそうなんでしょうか?」
「結局、どうしたらいいんですか? 主人が回復するために、わたしに何かできることってあるんでしょうか? それを教えてもらいたいんです。」
頭の中ではハチャメチャなことを、こんなに捲し立てていたのに。
踏ん切りをつけるように、わたしはその足ですぐに相談室を訪ねた。
思い切って、ドアの横にあったチャイムを鳴らす。
「担当者の名前をいただけますか?」
「Tさんを…、お手すきできたら、Tさんをお願いしたいのですが。あの、えーっと、脳神経外科病棟に入院している患者の家族で…、B先生にこちらに相談に行くよう言われたのですが…。」
ガチャっとドアが開いた。
「お入りください。今、T は電話対応中なので、こちらでお待ちください。」
小さな部屋に通されて、Tさんを待った。
”ソーシャルワーカー”って、聞いたことはあるけど、何する人だろ?
急にそんなことを思いながら、深呼吸した。
心臓が早鐘のように高鳴っていた。バクバクしている。
最近はいつもそうだ。
「お待たせしました。ご主人のこと伺っています。」
「B先生から転院のことを相談するようにと言われたんですが、わたし、何をどう相談すればいいのかとか、全然分かってなくて…。」
「大丈夫ですよ。今から詳しくご説明しますね。」
Tさんは手に持った分厚い手帳や書類の束を机に置いて、椅子に座りながら、なにかを思い出したように、そして、少し申し訳なさそうしながら話し始めた。
「その前に…、ご主人はお若いので、介護保険は使えないんです。実際には65歳未満でも使えるケースもあるんですが、今回はご病気ではなくて、怪我によるものなので…、残念ですけど…、”対象” にはならないんですね…。介護申請はできないこと、ご理解くださいね。」
「えーっと???」
介護保険って聞いたこともあるし、保険料だって払い始めているというのに、これまでわたしはそんなことに興味も関心もなくて、主人や自分自身が歳を取って、おじいさんやおばあさんになるまで全然関係ないって思っていて、Tさんの話を聞いても、どういう意味なのか全然分からなかった。
「”そういうもの” なんですね…??」
相槌を打つのが精一杯だった。
介護保険が使えなくて、何が困るのか?
どれくらい困るのか?とっても重要なことなのか?
それとも、なんとかなることなのか?
全然理解できない。