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遠くにエベレストが潤んで見えた

<世界一周6ヶ月目あたり・ネパール・カトマンズ>


長い夢を見ていた。
それはそれは鮮やかな夢だった。

小奇麗なお寿司屋さんのカウンター。
私の隣にはロマンスグレーの紳士、
前には熟練という感じの初老の板さん。
他に客はおらず、2人が穏やかな笑顔で私を見ている。
「なんでも、好きなものを食べていいんだよ」
「活きのいいの入ってますよ」
私は目を輝かせ、幸せに包まれた心地になる。
頬を紅潮させながら口を開く。
「サーモンと蒸しエビください」
私の声が店内にゆっくりとこだました気がした。
そしてその声は、紳士をぎょっとさせ、揉み手で待ち構えていた板さんをがっかりさせたようだった。
私は焦る。ああ、そうか、それはないな、
遠洋から冷凍で届くサーモンなんて活きを売りにしてるお店に失礼だし、
だいたいなんだよ蒸しエビって!
ボタンエビですか?車エビですか?甘エビですか?って女神が聞いてるのに
蒸しエビって!
でも食べたいんだ、食べたいのごめんなさい。
程なくして目の前にふわりと置かれる紅色のそれたち。
すごい。シャリよりネタのほうが大きい!
私はなかなか食べられない。
紳士と板さんが、微笑みながらうなずく。私もうなずき、手でつかむ。
まずはサーモンだった。半分食べる。もっっちり。甘味が広がる。くう~!
残りの半分を食べる。来た~お帰りなさいこの美味しさ!
はたと見るとまた紳士が驚き、板さんが残念な顔をしている。
はっ!やってしまった。いつもの食べ方だ。
醤油にさらに追いワサビを溶き、寿司を半分ずつ食べるという。
どっち?どっちにがっかり?どっちも?
分かったワサビはやめますごめんなさい、回転寿司の癖ですいつもワサビが足りなくて。
でも半分ずつってのは許してほしい、
ネタ・シャリ・醤油・ワサビが初めて出会って一つになって口の中でトロけあっていく
運命的いや事件的瞬間を1粒で2度味わえるのだから。
・・・心の中でそんな弁解をしながら、手はお待ちかねの蒸しエビに伸びている。
さすが名店(だと思う)、寿司があられもなくクルクル回されちゃってる店とはモノが違う。
この厚み!この輝き!鮮やかなシマ模様!
かじる。ぶりりっっと音がする。これはすごい。
大阪城を突き破って手と足を出し、最上階の部屋の障子があいてそこから顔を出し「う・ま・い・ぞー」と叫ぶ、「ミスター味っ子」風の意味不明かつやたらオーバーな感情表現をやりたくなるほどの感動だ。
ここから、映像が途切れ途切れになる。
確か「ヒカリモノのいいのを」と気の利いた注文をして二人の男性をホッとさせ、
続けて「白身のおすすめを。あ、こぶじめもいいな」と分かってる発言でさらに上機嫌にさせ、
最後に「アボカドあります?」と聞いてまたがっかりさせたところで目が覚めた。


ベッドの傍らに2人のナースが立っていた。
注射器を3本と点滴1本を持っている。
朝の6時。

私は何をやっているんだろう。
希望に胸ふくらませ、成田で友人たちに手を振り、意気揚々と旅に出たのではなかったかしら。
なぜに腕にぶっとい針を刺されて液が漏れてパンパンになって痛いのだっけか。

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ああそうだった。
あれはヤバイと思った。あと5分遅かったら気を失ってたと思う。
息が苦しくて手足がビーーンって痺れて感覚がなくなっていった。
心の中でごめんなさいとか何でもしますと何度も叫び、途中からよく分からなくなってグルグルした。
恐らくなんの根拠もなく勇輝が言った
「気を失っても大丈夫だから」の言葉に謎に安心していた。きっと大丈夫だ・・・。
病院に着いたときにはタクシーからも降りられなくて、文字通り担ぎ込まれた。
鼻から酸素入れられても全然苦しいのが収まらなくて焦って、しばらくして口から息してるからじゃんと分かって、鼻で深呼吸したら楽になって眠ってしまった。

昔から胃腸が弱くて、急性胃腸炎で救急車に乗ったこともあったから、お腹の痛みに耐えることには自信があった。
でも今回のはそれはすごくて、もしかして私、陣痛、平気かも?と思うほどで、急に高熱も出たから、ショック状態に陥ってしもうたんだと思う。

無機質なERの担架ベッドでうっすら目が覚めて、
涙がポロポロ止まらなくなった。
もう大丈夫という安心と、怖かったよってのと、あといろいろ。

今日はバンダが明けた日で、キム君滞在最終日で、3人でいっぱい買物して美味しいものたくさん食べようって楽しみに寝たのに。
ブッダガヤでもデリーでも高熱が出たけど、何度も服を代えたりバケツにお湯入れて足をつけたりタオルを首に巻いたり、黙々と立ち向かって1日で治してきたのに。
ずっと続いてた下痢とも闘ってきたのに、結局こんな形で倒れるなんて。
もしかしたら身体はずっと「もうダミだよ」とアピールしてたのかもしれないのに。
薬も飲まないし裸で寝るし食べる前の手の消毒もしないし、まったく無頓着な勇輝があまりに心配で「もっと身体の声を聞かないとダメだよ」と叱ったこともあったのに。
バカだな私。
勇輝が眉毛をハの字にして困り笑いしながら涙をふいてくれた。

ああ、でもタクシーがあって本当によかった。
昨日までだったら町中封鎖されてたから無理だった。絶対ここまで歩けなかった。
私の中の悪い奴も、少しは情けがあるのかもしれない。
ストが終わるまで待っててくれたんだから。
あ、違うかな、誰かの強い思いに守られたのかな。
誰だか分からないけど、ありがとう。

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注射と血圧、体温の検査が終わる。
新しい点滴をつけてナースが出ていった。
経過は良好だそう。
小さなベッドに寝ていた勇輝を起こし、さっそく夢でみた寿司の素晴らしい感触について話す。
反応がイマイチな勇輝に、「私はね、退院したら寿司をたらふく食べようと思うよ!」と言い放ってまた寝る。夢に出てこなかったネタを思い浮かべてニヤニヤしながら。
ホタテ・・・ウニ・・・イカ・・・ネギトロ・・・あ、中トロ・・・きゃー・・・
むにゃむにゃ

また起こされる。
あ!ドクターだ!待ってました。
体格がしっかりしていて、思わずママン!と抱きつきたくなる彼女がマイドクター。
携帯が鳴って画面チラ見したらイケメンの顔。息子?さては彼氏だな?無関心を装いポケットにしまう彼女。ハハンあとでかけ直すつもりだな。
「よさそうね。今日退院ね」 やた!!
今後のために、勇輝が詳しく原因を聞く。
早く次行かないとというオーラを全身から出し早口で話す彼女には、萎縮して私は一言もしゃべれない。
勇輝とドクターが話している。全然分からないが端々に「ワーム」と聞こえドキリとする。
ドクターが書類の裏に絵を描き出した。私は身を乗り出す。

 卵  →  さなぎ  →  成虫アミーバ
(まるい)(ぐにゃぐにゃ) (ぐにゃぐにゃ)

なんのこっちゃ。絵下手!
(ああなぜ写真に撮らなかったのだろう)。
要は、いつか分からんけどアミーバの卵が腸内に潜伏してて、孵化して大暴れ、だったらしい。
薬はさなぎには効かないから、あと1週間くらい、さなぎが全部成虫になるまで薬を飲み続けて退治しないとならん、らしい。
回虫フェチのあいつの顔が浮かぶ。ああそうさ、虫がいたさ俺の中に。笑ってくれやい。
痩せたとか調子に乗ってたけど体内に虫がいっぱいいたせいだったとさ。惨め。

最後に私からの必死の目くばせで、勇輝が質問。
「生魚とか・・・」 「NO.」
ですよね。ちゃんちゃん。
夢破れて山河あり。遠くにエベレストが潤んで見える(見えないけど)。

かくして、めでたく退院。
日本料理屋「桃太郎」でメニューのサーモン寿司、のとなりにあったうどんを食べ、ホテルへ帰る。
念のためバンコク行きのチケットをこっそりチェック、しようと思ったけどやめて、義理姉キリちゃんのブログで母の日だったと気づき、
スカイプで私の実家へかけると母が出た。
「美和だよー」「あー美和ちゃん?」
「どもー勇輝ですー」「キャー!勇輝!勇輝ぃー!」
なんでやねん。(※母は勇輝ラヴである)
入院の話を聞くとでかい声で「なんか拾って食べたんでしょー!!」笑い声。
そう、私の母はこうでなくちゃ。
でも知ってる。
胸が張り裂けんばかりに母は私たちの無事を朝な夕なに祈っていることを。
心配かけちゃいけんな。健康で、笑顔で帰らなくては。

病室に置かれていた赤いリュックサックには、
勇輝が考えた入院に必要なものが詰まっていた。
それは、私なら入れない余計なものがあったり(醤油は役立ったけど)、
私なら入れるものが抜けてたりして何ともどうしたもんか「苦笑」、だったのだが、
一生懸命小さなリュックに詰めている姿を想像したら、謎に泣けた。
2日間ただ病室にいてくれた、今思えばそれだけでどれだけありがたかったか、
心からそう思えば思うほど、ありがとうが詰まって出てこなかった。

私は、認めなくてはならない。
東京で生まれ育ち、洗練されオーガナイズされた美しい都市で、安全、安心の中で生きてきたこと、そしてその場所を愛していることを。
他の国にある混沌と人間の生のエネルギーに感嘆し、豊かになりすぎて大事なものを失くしてしまっていると東京を憂いたりしたけど、
私は、私はどうしようもなく
東京が好きで、恋しくて
今すぐにも帰りたい。

そして、私は、弱い。
絶対に言いたくなかった、でもこれを認めてしまわなくては。

そこからもう一度、
私の旅を始めなくては。


(MIWA)

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