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元作詞家の恩師たち「Being/学校 ②」

後悔の初登校

髭の校長?

 当時Beingの社屋ビルは六本木通り沿い、六本木交差点から溜池方面に下る途中にありました。何処となく昭和・・を感じさせる、やや古めの小ぢんまりとした建物の入り口を入り、階上に長戸氏よりご紹介頂いた担当の方をお訪ねしました。その方のデスクはオフィス奥からこちらを向いており、配置的に氏はほぼこちらでトップの存在であろうことを感じ得ました。そこに座る髭を蓄えた貫禄ある “オジサン” 、デスクはご多分に漏れずアレコレと山積み、しかし声はやや控えめに電話中でありました。アポ取りの電話の際に、少々ぶっきら棒で気難しそうな印象が既にありましたから、私は緊張しつつ少し離れた所で電話が終わるのを待ちました。氏も私には気付いている様子、しかし電話を終えても無反応で、私はそのタイミングで近寄り声を掛けました。「ちょっと待ってね」から10分程度後にやっと会話が始まります。

中島正雄氏

 髭の中島正雄氏は、長戸氏の所謂右腕として制作トップに立つプロデューサーでした。その後に聞けば御本人も元はプロのミュージシャンであり、その当時も作曲家、スタジオミュージシャンとして制作現場に出られていたそうです。長戸氏は営業、中島氏が制作とその役割がしっかり分担されていました。
「長戸から面倒見てやってくれって言われたけど、大したことは出来ないよ。どんな面倒見ればいいの?」
と言われても答えようもなく、仕事のチャンスが欲しいとか何か言ったのでしょうか。すると内容とは裏腹に穏やかな声で、
「来るならしっかり具体的な目標持って来いよ」
と一言。考えをまとめて出直すように言われました。偏屈な印象が一瞬にして厳しいプロのプロデューサーに変わり、何となくフラフラやって来たことを恥ずかしく思ったものです。挨拶して別れ際、まるで何かヒントを出すように中島氏がおっしゃったことを私は今でもよく思い出します。
「因みに明日と明後日ならずっといるから、アポ要らないよ」
ほんの数分の初対面でした。まさかその後にその場が自分にとってとても貴重な学校(研修所?)になることなど全く想像もつかないまま、気不味い思いを抱えて私は近くにあった喫茶店で反省の珈琲を飲みました。

また続きを書きます。

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