夢の話。

今朝見た夢の話から。

相手の人は僧侶だった。
私より、ずっと年上で、年季の入った懐深い出で立ちで。
運転手が走らせる、ワゴン車の中で、二人で移動しながら宇宙と生き物の話をしていた。

僧侶は問うた。
【自分は長年修行を積んできたが、未だ答えに辿り着かない。救いたいものを救えないのに、宗教とは、何と無力か。】と。
私は答えた。
【私は、一つの回答案に、最近辿り着きました。生き物とは、生き物という器(身体)に、命という、全ての起源がおさめられて生き、生かされている存在です。】
僧侶は目を見開き、こう続けた。
【ならば、クローンとか、遺伝子操作等、純粋でない存在達の命は、どう改竄され、影響するのでしょう?】
私は、この、僧侶がつらつらと並べる言葉半分を聞き流しながら、この僧侶の問いにどう答えるか、頭の中で文脈を整理していた。
私には、歴とした答えがあった。

すると突然車はどこかに到着し、僧侶は【一旦、用を済ませてきます。】と、車を降りていった。

私は、一人で暇を持て余しながら、僧侶の戻りを待っていた。
そして、目が覚めた。

今、世界のどこかで、随所浮かんでは消えそうになっている問いに答えを送る。

【命とは、一人の人間の分のそれで、存在するものではない。とてもとても世界は広く、数多の人間と、数多の存在(生き物)達の分のそれで、ようやく一個と数えられるものだ。それが幾つあるかはわからないが。】
【所詮、人間が、いくら科学を発達させて、生き物にメスを入れようが。そのものの魂、命にはメスを入れられない。人の生き死には、身体の程度による。生き物の鮮度、状態、生命線は肉体であって。人が触れられるのは、肉であって。魂、命ではない。それは別個なものだから。どんなにか、メスで切り刻まれても、魂、命は、刻まれない。つまり、今、人間が把握していない領域に、人間のエゴな科学と、虚像のアンドロイド達をも一切合切、全て内包する、巨体な存在、魂、命と呼ばれる一個が存在する。】
【突き詰めて、一個の生命体に、一個の魂、命ではない。から。命の世界は乱れない。乱れているのは、人の世だ。】
命の起源、命の輪廻、命の還流を憂慮する僧侶の疑問へ対する答えはこうだ。
【命とは、宇宙、世界、自然界の法則それと全く同属性の、生き物の思惑意志、エゴを挟まない、絶対的、絶対不動な不滅の運動。その存在。人間のエゴで些か乱されて、乱れようもない、広く広大な領域世界のものである。一見、乱されたように見える人間の肉体改良も。魂、命自体の改良とは、けして、ならないもの。不問である。】

私は、シックスセンスを振り翳さないスピリチュアルヒーラーもどき、独学で学習する独学生です。
学校にも、教室にも属さない。
アマチュア研究生です。
そんな分野があってもいいと思う。

今、世界は、酷く乱れて傷付き、疲弊しています。
それを癒し、治すための研究を独学で拓き、真理を導かせようとしている、変わり者です。

シックスセンスを振り翳さないとは言いましたが、
世のそれを認めない訳ではないし。
自身にそれが皆無であるとも、その経験が全く無いとも主張しない。
ただ、それに、ありがちなように触れないだけ。

今は不確かなシックスセンスの領域、
特に怖がりな自分が恐れ戦き、遠ざけて、
とにかくリアリストな自分が、不用意に掘り下げ、広げようとは思わない次元。
だから、ここで、無造作に語らないだけ。

私は、語ろうと思えば、誰に何と言われようが屈さない経験則も通りすぎてきましたから。
あえて、それを無駄遣いしないのです。

それから、私の病状もありますから、
シックスセンスという、自分にとって諸刃の剣である、極めて危険な道具を仕舞い、平時に使わないこと。大事なことです。
もう一つ。私のシックスセンス体験は、病中には、ほとんど存在しません。あれは病状であって、シックスセンスではない。
ただし、私には、それ(シックスセンス)が、皆無ではなかった。誰しも言えることかもしれませんが。
私にも、いくつかの出来事がありました。
怖がりな私が見えないようにして閉ざしただけ。
畏れを感じた私が、私なりの敬意を払ったから。
距離をとって、過去に封じました。

むしろ、始めに、面白がって、そちら側の世界に触れようとした子供時代の私が、大人になってからの病気を招いたとも言えます。因果応報。
全ては、原因と結果ですから。

ある種、スピリチュアルな小話も挟みました。
【不用意にそちら側の世界に触れようとすると、自身の魂、生命力を削ぎますよ、傷付けますよ、病気を招くこともありますよ。】
よくある話ですが、実体験として。

読んでくださって、ありがとうございます。
お疲れ様でした。

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