とある裁判にて
「わたしの子供、親、兄弟、一族郎党、ことごとく捕らえられ、こいつに喰われました」
豚が言った。続いて牛が、鶏が、魚たちが言った。それから烏賊が、蛸が、貝が、蟹が、海老が、蛙までもが、次々と異口同音にそう陳述した。
「わたしの一族は喰われこそしなかったものの、こいつが喰うための米や野菜を作るからという理由で棲みかを奪われ、そしてみんな殺されました」
たくさんの虫やミミズたちは、そう証言した。
タンタン!乾いた小槌の音が響き渡り、それまでの喧騒が一瞬にして、静寂へと変わった。
「次にお前が人間として生まれ変われるのは、お前が犯したひとつひとつの罪を、身をもって償い終えたときだ。そうだな、お前たちの時間で言えばざっと20億年後という計算になる」
弁明の余地はなかった。全て紛れもない事実なのだから。わたしは自分が償うべき罪と、受けるべき罰のあまりの重さに恐れおののき、ただその場に項垂れるしかなかった。
こんなことになるなんて、自分がそれほどの罪を犯してきたなんて、思ってもいなかった……
ゆっくりと目を閉じた。次の瞬間、わたしは一筋の光も届かぬ暗黒の海の底で目覚めたのだった。
20億年という気の遠くなるほどの時間、生まれ変わり死に変わりを繰り返した末、ようやく再び人間に生まれることができたとき、あなたならその命をどう生きますか?ご自身の心に問いかけてみて下さい。そして、今こうして人間として生きているということの【ほんとう】がどういうことなのか、今一度じっくりと考えてみて下さい。
どれほどの犠牲の上にわたしの命は成り立っているのでしょう。わたしに食べられた命はひとつとして、自ら進んでわたしにその命を差し出そうとは思わなかったはずです。どの命もわたしたちと同じように自分の生を全うしたかったはずです。そんな数多の命を喰らい、これからも喰らい続ける。そうすることでしか生きられない、わたしという存在。それでも今、生かされているこの「わたし」とは一体何なのでしょうか。
スーパーやレストランで「食べ物」を買い、お金を支払う。それは、命を商品として流通させ、提供してくれた人へ支払われる代金であって、差し出された命そのものに支払われるものではありません。命はただ一方的に奪われ、値付けされ、何の対価も受け取ることなく消えてゆくだけなのです。この有り様を果たして「平等」と呼べるのでしょうか。道徳は日々わたしたちが戴く命に感謝することの大切さを説きます。感謝すれば命をとったという罪が帳消しになるのでしょうか。慚愧と自覚を伴わない感謝にどれほどの意味があるというのでしょうか。感謝は事実を直視するための自身への「問いかけ」であり、断じて帰結であってはならないのです。
わたしたちがこの人生で本当にやるべきこととは何なのでしょうか。豊かで充実した人生を送ることや、個人的な幸福を追求することだけで、本当に良いのでしょうか。経済の発展や社会貢献も生きる上で大切なことだと思います。事実、わたし自身それによってもたらされた豊かさの只中で暮らしているのですから。しかし、その豊かさ、素晴らしさを語る前に、まず考えなければならないことがあるはずです。それは、生きるということがどういうことなのか、日々何をしてこの命を繋いでいるのか、その確かな自覚を持つことであり、それを次の世代へ伝えていくことではないでしょうか。
命について真剣に考えるならば、必ず誰もが自分自身の罪悪の問題に直面するはずです。「一度きりの人生、思いっきり楽しんだもん勝ち」とか「ピンピンコロリで逝きたい」などという言葉が如何に硬直した自己中心的で、偏狭なものであるかわかるはずです。死ねば全てが終わるという漠然とした認識こそ、人間を「命の自覚」から遠ざけている最大の迷いなのではないでしょうか。その迷いから目を覚まさせてくれる教えが仏法なのです。仏法とは、死者を供養するためのものでも、生者が心すこやかに暮らしていくためのものでもありません。それは、自我の自覚であり、自己の発見なのです。
「経験」に人生の目的や意味を見出せば、人生はただ空しく過ぎてゆくでしょう。自分が何者であり、どこから来て、どこへゆくのかもわからないまま、命尽きれば再び20億余年の暗黒の生死の迷いへと旅立つだけです。否、もう二度と人間に生まれ出ることはないかも知れません。人間として生まれてくるとは、それほど稀なことなのです。誰もこの世のあれこれで忙しいとは思いますが、人間として生まれ、今生きている、そのことの意味を、今一度考えてみて下さい。無常の風は突然わたしたちを連れ去っていくかも知れないのですから。
世間虚仮 唯仏是真
私の恩師、久保光雲師が「殺生」についてのご法話をYouTubeにアップされております。石垣りんさんの詩を交えながら「生きること・食べること」についてお話されております。ご興味を持たれた方は是非ご覧になってみて下さい。
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