【小説】 レビューのレビュー
レビュー。日本語に訳すならば評論や批評といったところだろうか。
情報化社会、情報社会等とも言われる昨今、巷には無数の情報が溢れている。
何か商品を買おうとしたりサービスを受けようとすると、それらに関するレビューが当たり前のように出てくる。
一昔前であれば口コミがその役割を担っていたのであろう。そんな直接的な対話でしか伝達できなかった内容をインターネット上で世界中の人々に向けて発信できるようになっているのだ。
レビューを見て購入を決めた(あるいは止めた)という経験は珍しくないだろう。
売り手は商品・サービスを少しでも良く見せる為に画像や説明に注力する。今風に言うと“盛る”というやつだ。
そうした背伸びの結果、あまりにも実物との乖離が著しいと炎上するケースが存在した。
一昔前は表面化しなかったような内容も、現在はレビューによって暴かれてしまう。
売上を立てるためにはそんなリスクを負いながらも盛らなければならず、購買意欲を刺激しつつも炎上しないギリギリを攻めるというチキンレースの様相を呈している。
レビューを見ていれば間違いない、そんな風潮が定着した頃にはそれを逆手に取る動きが出始めた。
レビューが良ければ売れるのだから、意図的にレビューを高めれば良いという考えだ。
高評価のレビューを水増ししたり、プレゼント等で釣って高評価のレビューを書かせるといった動きを取る販売者が現れはじめた。
中にはそれに加えて低評価を付けたユーザーに評価を取り下げるよう働きかける販売者も存在するようだ。
消費者は商品の良し悪しに加え、レビューの良し悪しまで疑わなければならなくなってしまった。恐ろしい時代だ。
何でも調べれば答えを得られる時代において、人々は自分で考えるよりも先に答えを欲しがった。
レビューの信憑性が問われる今、その判断すらも検索から答えを得ようとし始めたのである。
おかげで私はレビューのレビューをするという職を得た。
流行り物や各サイトの販売上位にくる商品を対象に、レビューの信憑性を分析した記事を書きブログ形式で公開している。
すぐに話題となりアクセスが伸びていった。広告収入で暮らしていけるようになり、元々の仕事を辞めて更新頻度を上げていった。
話題は広がり、メディアに露出する機会やレビューのリテラシーについての著書を出版する機会を得たりもした。
レビューをレビューする者としてレビューレビュワーという言いづらいことこの上ない肩書きも得た。
そうして話題になると共に、同業者が現れ始めた。
各ジャンルに特化した人材が専門知識も交えてレビューのレビューを行うようになると、それぞれのジャンルにおいて支持を伸ばしていった。
いつの間にか有象無象のレビューレビュワーで溢れかえり、玉石混淆の状態となってしまった。
中には見返りを受け取って恣意的な情報を流す悪質なレビューレビュワーも存在した。
結果として世間はどのレビューレビュワーのレビューを信じるべきか、その答えを求めるようになった。
レビューをレビューしていたはずの私のレビューがレビューされるという事態となり、何がなんだか分からなくなってきた。
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