【小説】 憂鬱を乗せた電車の中で
忙しい。日々やるべきことに追われ、息をつく暇もない。
朝から晩まで働き、退勤後も食事や入浴等であっという間に時間が過ぎる。
気が付いたら就寝すべき時間で、次に気が付いた時には起床すべき時間になっている。
そんな日常の中でもふとした瞬間に思考の海に飛び込んでしまうことがある。
電車に揺られながら、私はぼんやりと考えていた。
忙しいと心が濁る気がする。
忙しいという時は心を亡くすと言われるが、空っぽになるという訳ではないように思えるのだ。
傷口が膿んでしまった時のように、心にもドロドロした何かが溜まっていく。
曇り空のようなどんよりとした灰色の何かに溺れ、息ができなくなるようにして弱っていくのではないだろうか。
そういう時には得てしてろくでもないことを考えてしまうものだ。
考えないようにしようと思っても、ついつい考えてしまう。
何か他の事をしようと思っても、気が乗らない。
これは私だけなのだろうか?
他の人達はどうだろうと周囲を見渡す。
疲弊した表情を浮かべた人達が見える。
彼らも私と同じなのだろうか?
仲間かもしれないと思えば、一人ではないということに安堵して少しばかり心が軽くなる。
いつまでこれが続くのか?
私が定年を迎えるまで続くとしたら先はあまりにも長く険しい。
定年までは現時点でも30年以上あるが、その頃には対象年齢が今と同じではない気がする。そう思うと憂鬱は加速する。
どうすれば救われるのか?
家庭を持てば心の支えになるのだろうか。いや、そうとは限らないだろう。家庭が新たな悩みの種となる可能性だってある。
何よりこのご時世では家族を養うことも容易ではないはずだ。
上がり続ける物価と上がらない賃金。賃金の額面は上がっていないと言えるが、税金や賃金からの控除は上がっているのだから手取りとしては下がっている。何とも世知辛い。
宝くじでも当てるしかないのかもしれないが、そう簡単には当たらないものだ。
つまるところ、救いがない。
このまま働き続けるしかないのだ。
自分で導き出した結論は自分の心により深い影を落としていく。
心に溜まった澱のような何かに溺れそうになりながら生きていくしかないのか。
憂鬱だ。とにかく憂鬱だ。
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