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【小説】 私は灰皿になりたい

自分を好きになれない


私は昔から自分を好きになれないでいた。自己肯定感というものは皆無に近い。

大口を叩くせいで自信家に見られることがあるが、私のビッグマウスは本心ではなく願望である。不安を塗りつぶすように、自分に言い聞かせるように強い言葉を発しているのだ。

某少年漫画の有名なセリフに「あまり強い言葉を遣うなよ。弱く見えるぞ」というものがあるが、まさにそのとおりだと思う。

しかしその弱さに気付けるのは強者のみであり、凡夫は言葉をそのままに受け取ってしまう。

言霊という概念もあるが、強い言葉を使えば強くなれるとは私は思わない。どれだけ言葉という武装を重ねてもその中には弱い自分がいるのだ。

私は自分のことを嫌いにはなれないが決して好きにもなれない、そんな状態でこれまでの人生を過ごしてきた。

うまくいかない人生

私が私を好きにも嫌いにもなれないのは性格だけではなく、これまでの人生経験によるところも大きい。そもそも性格というものは生まれ持った性質と生まれてからの経験で作り上げられていくものだと考えている。

私のこれまでの人生はいかにも私らしいものだった。何でもそれなりに出来てしまうが、あくまでもそれなりで決して大成はしなかった。いわゆる器用貧乏というやつである。

例えば勉強に関しては特に頑張らなくてもテストで平均点以上は取れる。順位で言うと学年で上位15%くらいには入っていたと思う。しかし、頑張っても学年順位一桁にはなれない。

周りにはどのジャンルでも自分より優れた人が存在していた。

部活動においてはチームメイトは県選抜に声がかかるレベルだった。学業に関しても、成人式で久しぶりに会った友人は関西一の国立大学に進学していた。

部活動のチームメイトよりは勉強ができたし、学業で勝てない友人よりもスポーツができた。そんな感じで何に関しても平均か少し上くらいの状態だった。

周りからは何でもそこそこにこなせることを羨まれることもあった。しかし私は何をやっても中途半端な自分を好きになれなかった。何か一つでもいいから一番になりたかったのだ。

雨ニモマケズ

私は大学生になった。環境を変えようと上京して一人暮らしを始めた。しかし、私は私のままであった。 

文系の学部へと進学し、専攻ではなかったが日本文学の授業も好んで受講していた。その中でも特に好んでいた講義は宮沢賢治を読み解いていくものだった。

宮沢賢治について、講義を受ける前の私は代表作のタイトルくらいしか知らなかった。にも関わらず、なんとなく面白そうだと思えた。気が付くと毎週休まずに出席していた。

私は宮沢賢治の数ある作品の中でも特に『よだかの星』と『雨ニモマケズ』を好んだ。

醜いよだかに自分を重ねていたのかもしれないし、最後は星になれたことに憧れを抱いたのかもしれない。

雨ニモマケズで「サウイフモノ」として描かれているような強い人間になりたいという願望もあった。

喫煙所の片隅で

私は喫煙所が好きだった。喫煙者ではないにも関わらず、隙を見つけては入り浸っていた。

私が通っていた大学には複数の喫煙所が存在していた。今もあるかは分からないが、当時の学生にとっては憩いの場であった。

どの喫煙所においても、私の定位置は片隅であった。非喫煙者なので灰皿の近くにいる必要がない。

私はタバコを吸わずに喫煙所の空気だけを堪能していた。喫煙所特有のどんよりとした空気がたまらなく好きだった。

ある日、私はいつものように喫煙所でぼんやりと過ごしていた。今となってはその内容を思い出せないが、何か嫌なことがあって気分が落ちていた。

下がるテンションに引きずられるように視線も下向いていく。私の目に入ってきたのは見慣れた灰皿であった。

お世辞にも綺麗とは言えないその灰皿に私は魅せられた。何故だか分からないが灰皿に憧れを抱いている自分がいた。

来世というものが本当にあるならば、私は灰皿になりたい。いつしかそう思うようになったのだ。

それからは多少辛いことがあっても自分は灰皿だと思えば耐えられた。

相変わらずタバコは吸わないけれど、私はこの世の誰よりも灰皿に焦がれている。

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