見出し画像

自然があるほど、遊べない

こんにちは!
東伊豆町地域おこし協力隊の藤田 翔(ふじた かける)です。

初めての投稿ということで、「プレーパーク」とは何なのか、何故プレーパークを始めたのか、などをお話したいと思います!

「プレーパークとは」

プレーパークの始まりは1940年代、第二次世界大戦のさなかのデンマークで、廃材を使った遊び場「エンドラップ廃材遊び場」が始まりです。 

画像4

(エンドラップ廃材遊び場の様子)

ある教授が、綺麗な遊び場よりもガラクタの転がっている空き地や資材置き場の方が楽しそうに遊んでいることを発見したことがきっかけでした。 

大戦後、イギリスを中心に「冒険遊び場」、「プレーパーク」という考えが大きな流れとなり、1950年~1970年代にはスウェーデン、スイス、ドイツ、フランス、イタリア、アメリカ、オーストラリアにも広がりました。

現在、ヨーロッパ全体で約1000ヵ所の冒険遊び場があります。 日本でも1990年代後半から飛躍的に活動団体が増え、現在は約400ヵ所あると言われています。

要するに自由な発想で、自由に遊ぶのは楽しいし、変に整備されてないからこそ子供社会が出来上がるよね、という話です

藤田 翔とは?

藤田写真

1998年生まれ、東京育ち。
東京の環境関係の専門学校を卒業後、色々な人にもっと自然の魅力を伝えるようなことがしたい!と思い、東伊豆町地域おこし協力隊に着任。

地域おこし協力隊では、町内の図書館や幼稚園、公園などの施設を使い、「自然サークル」や「ひがしいずプレーパーク」などを開催している。

きっかけ

きっかけは、幼稚園児の一言でした。
幼稚園の遠足で自然のことをお話する機会があり、一緒に歩いていると、休日の遊びの話に。

「普段どんな遊びをしているの?」
「ゲームとか、テレビとか!」
「へ~、、、公園とかでお友達と遊んだりは?」
「なんもないしあんまり外で遊ばな~い」


自然豊かで、自然に触れながら楽しく遊べそう!と思っていた自分には衝撃的な言葉でした。

そうなんです。過疎化・少子化が進み、町内の公園にはほとんど遊具がなく、一人で歩いて行ける場所には広場ではなく道路が張り巡らされています。

そんなことがあり、子供達が集い、想像したり創作ができる何かしらができたらいいなぁと思いながら、自分が小さいころはどうだったか考えていた時に、

プレーパークがあった!!!

と思い出したんですよね。

小学校の時によく行っていた、世田谷公園にある、

画像3

「プレーパークせたがや」

ここでは、ノコギリやトンカチを使った木工、スコップで穴を掘ったり、焚火をしたり、プレーリーダー(子供の安全管理、資材の準備、一緒に遊ぶなどをするスタッフ)小屋の屋根に登ったりと、とにかく子供の「したい」ができる場所なんです。

ひがしいずプレーパーク

数人の親御さんにも聞いてみたところ、休日などに遊びに行くところがない(コロナ禍では特に)・田舎程、他校などの子供同士の交流がない、という声をいただきました。

・広場はいくつかある
・遊具はない
・遊び場が欲しい

。。。ならば!

という経緯で、「ひがしいずプレーパーク」を2020年の9月~開催を始めました!

初めから、何でもできます!
というのはハードルが高いので、まずは木工ができる遊び場を作り、今では絵の具や黒板、コマなどの色々な遊びの要素ができました。

これから

現在(2021)は地域おこし協力隊の業務として「ひがしいずプレーパーク」を開催しているので、消耗品(紙や木材、絵具など)は経費が出ています

しかし、地域おこし協力隊の任期が終わると、その費用がでないということになります。
かと言って料金を高くする、ということはしたくないのです。

なので、今後は「ひがしいずプレーパーク」の様子を有料マガジンにて配信しようと考えています。
プレーパークに興味がある、東伊豆町で続けられるように応援するよ!という方は是非、購読いただけたらと思います。

ここまで読んでいただき、ありがとうございます!

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?