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自閉症の僕の空や花に対する思い

感性は、五感を通して感じるものです。
どう感じたのかを表現するのは言葉です。
感じたことの全てを文章にすることは不可能ですが、
僕の思いを自分なりの言葉で書きたいと思います。

自閉症者に共通する感性


僕は自閉症という障害を抱えていますが、
そのことが、どれだけ自分の価値観に影響を
及ぼしているかはわかりません。

ただ、他の自閉症者を観察していると、
僕と同じものに見とれていたり、惹かれたりしている人もいるようなので、自閉症者全員とは言いませんが、僕と同じような感性を持っている自閉症者も多いのではないかという気はしています。

人から見れば奇妙に見える行動にも理由があります。
行動は目に見えるものですが、目に見えない感性にも、
普通といわれる人たちと違いはあるのでしょうか。
 
たとえば、空や花を見て、その人が何を感じているのか
知りたいと思ったことはありませんか。


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僕の書く詩やエッセイには、自然を題材にしたものも多いです。
今日は、空や花に対する僕の思いについて、少しお話しさせてください。

空に対する思い

僕は、よく空を見ます。
人とうまくコミュニケーションをとることができないので、空に自分の気持ちを受け止めてほしいのです。 
実際には、空と言葉をかわすことはできませんが、僕は空を見ると、自分が解放されたような気分に浸ります。
空と僕、それぞれが存在を認め合っているように感じることもあります。
僕が空を認識しているように、空も僕のことを認識してくれているのではないか、そんな妄想まで抱きます。

苦しいとき、悲しいとき、僕は空にすがりたくなります。
そうしたくなるのは、人間が元々持っている本能なのかもしれません。
きっと、大昔から人間は空を見て、自分の存在の小ささを知り、自然の雄大さと神秘さに心を揺さぶられてきたのだと思います。


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花が教えてくれること

僕は花の美しさにも心惹かれます。
花と一体化したような感覚に浸ることがあるのです。

ときには、自分が人間であることも忘れて、その花になりきります。
それは一瞬の出来事ですが、僕にとって、永遠の幸福を約束してくれているかのような時間です。
花と一体化するときに方向性のようなものはありません。
花を目にした時、いつも花と自分が一体化するわけではなく「ある瞬間」そうなるのです。
「ある瞬間」がいつなのか、僕にもわかりません。いつそうなるのかの頻度や時間に規則性がないからです。

僕は、道端に咲いている花を見るだけで、自分が祝福されているような気分になります。
「君は素敵だよ」
花が僕にそう言ってくれているような感じがします。
だから、歩いている時にも嬉しくなり、ピョンピョン跳びはねてしまうのです。

花の一生は短いです。生きている時間が永遠ではないことを、花が僕に教えてくれているような気がしてなりません。


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胸の奥に隠された思い

自然になぐさめられる、勇気や元気をもらえる、そういう感覚を持つのは、自閉症者だからではないと思います。
きっと、自閉症者もみんなと同じように、自然に感動しています。
けれど、空や花を見ても、「気持ちいい」「きれい」「すてき」などと言えない。感動したり、気に入ったりしている素振りを見せられなければ、他の人が感じているみたいな感性を持ち合わせていないと思われてしまいがちです。

感性とは、外界からの刺激を受け止める感覚的能力を指すそうです。
「受け止める感覚的能力」と「感じた思いを人に伝える表現力」とは別のものではないでしょうか。

胸の奥に隠された思いは、簡単に知ることができません。
自分が見ている空や花を、別の誰かも見ている。
何かを感じているに違いないと思い想像することから、心と心は通じ合うのではないでしょうか。
僕も、ときどき人の心の中を想像しています。
感性は想像することで、より一層磨かれるような気がするのです。

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