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『誰でもわかる精神医学入門』 まとめ(ネタバレあり) 試し読み第2弾

 今回も、日経メディカルAナーシングで連載していた「誰でも分かる看護師のための精神医学入門」を全面改訂、書籍化した「誰でもわかる精神医学入門」から、日経BPのご厚意により、「立ち読み版」として一部を一般公開させていただきます。ありがとうございます!

 今回ご紹介するのは書籍全体の「まとめ」です。

 唐突ですが、みなさんYOASOBIはご存知ですか?今や日本中、知らない人いませんよね、失礼しました。ではYOASOBIの曲は全て、小説や漫画が元ネタとなっており、それに合わせて曲が作られている、ということもご存知でしょう。

 まずは曲を聴いて、ああ、良い曲だな、と思いますよね。で、その元ネタの小説を読み、それからもう一度、曲を聴く。すると、最初に聴いた時には全く気付かなかった面が見えてきます。ああ、この歌詞はこういう意味だったのか、このメロディはこんな感情を表現していたのか、と衝撃を受けて身震いした経験が私は何度もあります。

 何の話かというと、今回はまとめ回なので、ネタバレ的な内容が多くあるのです。しかし、このまとめ回を読んで、まあまあ面白いな、と思っていただいた方が、あらためて書籍全体をお読みいただければ、最初読んだ時には気づかなかった点が深く理解できて2倍3倍楽しめるのではないかと、そういうことを言いたいわけです。

 いえいえYOASOBIと比較するなど畏れ多いことですが、そんなことを想像したりしながらご一読いただくのも一興ではないかと思います。それではどうぞ。

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まとめ 

精神医学とAIの美しい関係


 ここまでで精神医学入門、本編は完結しました。本項では、改めて本書の意図と目的をおさらいしつつ、ついでと言っては話が大きすぎますが、今後の精神医学の展望を見ながら、それについてどうすべきか、そのためにこの精神医学入門の役割は何か、という話をして締めたいと思います。

 本書の趣旨は、「はじめに」で説明しているので読み直していただけるとよく分かりますが、ここで簡単に振り返ってみます。

精神医学の現場目線を分かりやすく紹介したい

 目的の1つは「精神医療の現場からの目線で、精神医学について理解してもらいたい、そのために、なるべく分かりやすく紹介したい」ということでした。教科書は、難しい単語が出てきたり、漏れなく説明するため、かえって分かりにくい説明になる、というのが宿命のようなものです。実際、連載のために診断基準のバイブルDSM-5-TRや不動の定番教科書カプランを改めて参照すると、回りくどく分かりづらい表現が多くありました。それよりは平易な言葉で説明できた気がしています。そして同時に、現場目線での説明を心がけました。現場目線とは患者さんと接している場所からの視点です。理論的に隙のない説明は幾分諦めながらも、どういう人とどのように接していくか、という観点からの話にはなっていると思います。もちろん、十分に説明し切れていない点や、現場目線と言っても異論のある方もいるでしょうが、なるべく実践に即した感覚を客観的に書こう、と意識しました。

 もう1つの目的として、「精神医学という広大でえたいの知れない世界に足を踏み入れるための『門』から『入』るお手伝いをしたい」ということがありました。主な疾患については説明してきましたが、言及していない疾患も多くありますし、精神医学の全貌のほんの一部しか紹介できていません。ということをご理解いただければ、逆にこの連載は成功ではないかと思います。それは私の力が足りなくて語り切れなかった、ということもありますが、それ以上に、精神医学の対象とする範囲が広すぎるということ、そしてそれについて人類が分かっていることがあまりにも少なすぎる、ということでもあります。

 現場目線での説明とは言いましたが、いくつか私のオリジナルの視点も交えています。それに関しては、最初の総論4回分にほぼまとめています。独自の疾患分類法や、「精神とは何か」という観点、「病気とは何か」についての解釈などです。これらもオリジナルとは言うものの、現場で多くの人が持っている感覚を改めて言語化するとこういう表現になるのではないか、という予想と提案であり、全く誰も考えていないことを作り出した、というわけではありません。現場目線の再定義とでも言うべきでしょうか。

 他にも各論の中で、観点の偏りについては注意深く明らかにして、私の解釈が正しいとは限らない、多くある中の一つの見方である、ということは説明してきたつもりです。例えば、私は生物学的な理系の精神科医であり、心理学的な文系の方面は苦手であることなどです。全体的には私は精神科医の多数派に属していて、多数派の見解を述べてきたとは思いますが、いろいろな考え方と立場があることは改めて強調しておきます。

「精神医学という広大でえたいの知れない世界」の例示

 そんな中でも、かなり私のオリジナルな見方をお示ししたのが、「精神医学が『最新の科学』であることの証明」です。これは「精神医学という広大でえたいの知れない世界」の例示でもありました。改めて振り返りながら、今後の精神医学の展望について思いをはせてみたいと思います。

 この項の要点をまとめると以下のようなものです。

・他の医学分野に比べると生物学的、化学的、物理的な情報は著しく少ないが、客観的にまとめることさえできれば精神科も科学的に判断できる。

・DSMに基づく精神医学も、情報をまとめて統計学的に処理することで、客観的な成果を判別し、それを利用して個々の患者さんの生活に貢献している。

・現在世間を席巻している人工知能(AI)も、ビッグデータをディープラーニングで分析するという、いわばブラックボックスの科学。

・同様に、精神医学は統計学という最強の学問をバックボーンとした、まさに最新の科学的手法と言える。

・統計学に深く根ざした精神医学では、むしろ他の分野よりもブレイクスルーが起こる可能性がある。

 という意味で、精神医学が「最新の科学」である、という仮説を掲げました。現代精神医学とAIは親和性が高い、というのは以前から私が感じていたことでした。

AIが精神科の診察に陪席したら?

 上記の回を書いてから1年もたっていませんが、その間にAIの方で世界全体のあり方を揺るがすような革新が起こりました。OpenAIという会社が作ったAI「ChatGPT」が目覚ましい進化を遂げました。質問すると、人と話しているかのような自然な会話ができます。難しいプログラミングもできるようになったそうです。特にGPT-3.5からGPT-4への進化はシンギュラリティ(AIが人類の知能を超える転換点)と言ってもいいほどの飛躍があったそうです。私はAIの専門家でもなければ知識もありませんが、例え話程度に今後を少し予想してみます。

 聞くところによると、GPT-4はテキストだけでなく、画像の入力にも対応できるようになったということです。となると、おそらくGPT-5(あるいは6か7?)では、動画と音声にも対応可能になるだろう、というのは想像に難くありません。動画と音声、つまり我々人間とほぼ同じ形式の情報入力になる、ということです。

 さて、そのGPT-5が精神科の診察に陪席したらどうなるでしょう。陪席とは診察の見学を指しますが、AIはその場にいる必要はありません。録画したものをデータとして入力すればよいだけです。将来、GPT-5は古今東西全ての精神医学の書籍を読みつくしているでしょう。そのGPT-5が診察場面の実際の患者を見たら、全ての知識と目の前の患者を照らし合わせて結び付け、より深い理解を得られるに違いありません。そして、実際に見た情報を分析し、人間には分からないような特徴量を抽出して分類し始めれば、DSMよりもさらに正確な疾患分類を作れるのではないでしょうか。

 「精神医学が『最新の科学』であることの証明」の中で、DSMという診断基準は人類が100年以上かけて、じっくりと特徴量を抽出してディープラーニングを重ねた結果と捉えられる、という私見を紹介しました。それは、クレペリン、ブロイラー、ヤスパース、シュナイダーといった偉人たちを筆頭に、人類が積み重ねた精神医学の成果の結実でもあります。

 一方で、近い将来生まれるであろうGPT-5はおそらく人間一人の知識量をはるかに超え、経験の量もすぐに超えていくでしょう。そこに膨大な計算量による深い学習が重なれば、天才精神科医が出現したようなものです。精神科どころか全ての学問にも精通しているでしょうから、その能力は計り知れません。AIは新たな分類、新たな診断基準、新たな治療法を発見していくのではないでしょうか。人間とは全く違う方法ではなく、これまでの人間と同じやり方で圧倒的に人間を超えていく。私はこれが次の精神医学のブレイクスルーではないかと予想しています。

 しかし、それは人間には理解できないほどの複雑さかもしれません。というのも、すでにDSM-5の時点で、診断基準をカテゴリー診断からディメンション(多元的)診断へ変更することが議論されたものの、複雑すぎて結局見送られた、という経緯があるのです。簡単に説明すると、ディメンション的アプローチとは、精神と行動の異常を計量的尺度により評価し、統計学的な数理モデルを用いて分類する手法のことです。DSM-5から導入が検討されましたが、臨床医の一般的な感覚からかけ離れ、実際の精神科臨床には役立たない※1、と考えられたため見送られました。

 つまり、人力で作る診断基準ですら、その複雑さは人間の感覚では理解しがたいレベルに達している、ということです。そこに、人間を上回るレベルになったAIが新たに診断基準を作り出したとしたら、それは人間にはほとんど理解できないかもしれません。

 その段階に至るのはいつのことでしょう。案外早いかもしれません。きっかけさえあれば、人類の知的な積み重ねなどものの3日で超えてしまうのではないでしょうか。それは囲碁AIのAlphaGoが3日で人類を超えてしまったのと同じように。そして、もはや人間にはなぜそうなるのかさえ理解できないような分類、診断基準、治療法を考え出したAIの前に、人間はなすすべなく道を明け渡すしかなくなるのでしょう。

 まあ、これはただの想像に過ぎません。妄想かもしれません。しかし、そんな時代がいずれやってくるかもしれないとは思えるほど、AIが進歩してきているのは日々実感できます。

将棋のAIは人間のプロ棋士より強いが……

 さて、先ほど囲碁AIの話が出てきましたが、少し話を変えます。将棋の話です。突然全く関係ない話が始まったように思われるかもしれませんが、あとでつながりますので、しばらく雑談として聞いてください。

 2023年1月から3月にかけて藤井聡太五冠(当時)と羽生善治九段が王将戦という将棋のタイトル戦を戦っていたことをご存じでしょうか。学生時代に将棋を少しやっていた私は、新旧伝説の棋士対決に興奮し、久しぶりに、いやほぼ初めてガッツリと将棋の観戦をしました。YouTubeチャンネルに課金もして、有料解説をしっかり見ました。対戦は、2つの伝説の朝焼けと夕焼けが交錯しながら輝くような、それはそれは美しく素晴らしい戦いでした。

 全6戦をじっくり観戦した結果、いろいろなことがよく分かりました。今となっては将棋のAIが人間のプロ棋士より強い、ということに誰も疑いは持っていません。中継動画には、AIが考える最善手が優先順に数手表示され、その時点でのお互いの勝利確率まで示されていました。以前は観戦していても、素人にはどちらが優勢なのかほとんど分からず、解説者が控えめに教えてくれる感覚だけが頼りでした。しかし、AIによる勝利確率という明確な指標が出現したことで、誰の目にもどちらが有利か、ということが明らかになり、一気に観戦するゲームとしての面白さが増した感じがしました。

 さらに面白かったのは、さすがのAIといえども真の「正解」が分かるわけではなく、計算できる範囲での最有力手を示しているに過ぎないということでした。それはどうして分かるかと言うと、リアルタイムで最善手の表示や勝利確率が変わっていくからです。しかも、数分の間にかなり大きく変わります。10分以上たってから変わる場合もあります。つまり、AIもいろいろと、ああでもない、こうでもないと考えながら答えを出している様が分かり、AIの出す答えも完全ではなく、暫定的なものであるということが示されていたのです。

 さらに興味深いのは、解説者であるプロ棋士の存在です。我々素人はAIが表示した最善手と勝利確率を「へー」とうのみにするのみですが、プロ棋士はさすがプロ棋士です。なぜそれが最善なのかがほとんど理解できているのです。それを解説してもらうと見ている方も分かった気になれます。

 さらにさらに興味深いのは、解説のプロ棋士がAIの手に疑問を挟むことも多くある点です。「これは人間には指せない」などと人間の感覚、限界を教えてくれることで、将棋の奥深さを垣間見ることができます。

 さらにさらにさらに興味深いことに、別のYouTubeチャンネルでは一般人(と言っても昔プロ棋士を目指していた人)の解説も同時に見ることができるのです。そこでは、AIの示す最善手がなぜ人間には指せないか、を同時進行でAIを使いながら検討してくれます。そして、プロ棋士がAIの手に疑問を抱くものの多くは、しばらく不利に見える局面が続くが、人間には読み切れないぐらいかなり先の場面にとても有力な手があり、そこから遡って考えて初めて今の手が最善手と分かる、という仕組みも明かされるのです。

 その上でさらに面白いことに、その「これは人間には指せない」とプロ棋士も言うような手を藤井五冠(当時)や羽生九段は指してくるのです。人間の限界を超えたような瞬間に、見ているファンは大興奮です。

 あるいはAIでは最善ではなかった手が、実はかなり良い手であることがあとで分かったり、場合によってはAI超えをしている手を指したと思われるときもあります。人間の限界と思われた壁を、超人が跳躍していく様は頭脳スポーツとして最高に面白い場面です。それはAIが現れたことによって新たに生まれた将棋の魅力であると感じました。

精神医学の未来のために

 さて、何で延々と将棋の話を聞かされたのか、と思いましたよね。ところが、これが関係あるんですよ。未来の精神医学と。

 もう一度、先ほど提示した、AIが人間を追い越した先の精神医学を想像してください。それはAIによって再編された精神医学であり、それが正解であろうことは分かっても、なぜそれが正解なのか、理由までは分かりません。AIに沿った診療が提供されたとしても、患者である一般人には特に理解できないでしょう。AIは一見、人間には無理、感覚的に受け入れられない、と思われるような治療提案をしてくるかもしれません。

 しかし、そのとき、プロである精神医療者は一般人よりは理解できているはずです。AIの提示する先を読むこともできるし、それがあまりに人間の感覚とずれていると思われる場合は、次善の方法を提示することも可能かもしれません。将棋の解説者のような役割を人間の精神医療者が担うことができれば、患者もより安心して病気について考え、治療方針を決めることもできるでしょう。これから先に待っている精神科の新たな形とはそのように、AIが提示する「正解」に限りなく近い最有力手段を、人間の理解できる範囲に適宜変換しながら利用していくものになっていくのではないでしょうか。

 そして、そのために必要なことは、これまで人類が積み上げてきた精神医学の考え方、やり方を理解しておくことだと思います。人間にとってはこれが分かりやすい、という感覚をつかんでおくことが、今後AIが人間の理解を超えてしまったときに必要なことではないかと思います。そして、そのために有用かつ必要なのが、この精神医学入門ではないか、と考えて本連載を書いてきました。例えば、内因性、外因性、心因性という疾患分類は、今は正式には使われていません。しかし私は、これは人間に理解しやすい分類法だと感じたので、あえて参照しながら説明してきました。そのように、正確さと分かりやすさの間を埋める橋渡しの役割が今後ますます求められてくるのではないかと予想しています。

 これはAIと患者の間だけではないでしょう。精神科医と患者の間でも意思疎通がうまくいかないことは往々にしてあります。そのときに看護師に理解の橋渡しをしてもらえたら医師も患者もありがたいと思うことは多いのではないでしょうか。あるいは、精神科と身体科の間で理解にそごがある場合、少しでも精神医学への理解がある人が介在してくれることで、その溝を埋めることができるかもしれません。そのために必要な知識、考え方を伝えるために、この精神医学入門を書いてきた、ということでもあります。

 また全く別の観点として、AIの発達によって、人間の知能とは何か、精神とは何か、という人間としてのアイデンティティー、存在意義に、疑問や不安を持つようになる時代が到来しつつあるのではないかとも感じています。人間らしさの根幹と思われた「知能」において、それをしのぐ存在が現れつつあるからです。そのときに、病気、医学としてだけではなく、ある種の哲学としての「精神」に対する考え方、精神医学の考え方を理解してもらえると、生き方の指針や人生哲学としても役立つのではないかとも考えました。

 さて、最後までかなり大げさな話にはなってしまいましたが、少しでも参考にしていただき、ご理解と共感をいただければ幸いです。そんな大風呂敷を畳まぬまま、遠い未来を見つめつつ終わりたいと思います。

 みなさま、ご精読ありがとうございました。これで精神医学入門は卒業です。おめでとうございます。次は臨床の現場でお会いしましょう。お楽しみに!

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こたろう


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