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一ファンによるスピッツの楽曲10選 歌詞の特徴と魅力に迫る

10月27日(水)夜7時より、テレビ朝日系列にて『関ジャム 完全燃SHOW』のゴールデンSPが放送される。有名プロデューサーなど超売れっ子のプロ56人にアンケートを実施し、「プロが選ぶ豪華アーティスト最強ベスト10」が決定・公開されるらしい。




その「豪華アーティスト」の欄には、私が大好きで普段から拝聴している『スピッツ』が名を連ねていた。正直「ランキング形式と言ってもテレビ的な忖度は入るのかな~」という邪推が心の片隅にあることを否定はしないが、とは言えそういう「お約束」までが醍醐味であるのもまた事実。純粋に楽しみである。

翻って謎の対抗心も込み上げてきたというか、番組への期待とは別に自分の中のスピッツ像を整頓したい欲求も出てきてしまった。なので、ランキング形式ではないものの10選、主に歌詞にフォーカスして選曲しながら、私が考えるスピッツの詞の特徴や魅力について言語化してみたい。


注意事項
・ただ独自の通釈について書き連ねているだけです。
・音楽的な知識はほぼ皆無なので、事実と異なることを書いていたらすみません。大目に見てください。
・『』で囲ってあるのが曲名やアルバム名など、【】やグレーの背景の箇所が歌詞。




1. グラスホッパー



こっそり二人 裸で跳ねる
明日はきっとアレに届いてる
バッチリ二人 裸で跳ねる
明日はきっとアレに届いてる
輝く虫のように

スピッツ史上最も売れたオリジナルアルバム、『ハチミツ』よりこの曲を。

『グラスホッパー』を最初に聴いたのは私が小学生の時。本音を言えば歌詞の内容はサッパリで、でもノリの良い曲だな~と気に入って延々とリピートしていた。『グラスホッパー』の意味が何なのかすら知らなかった(日本語で「バッタ」)ので、語感だけで【輝く虫】を【輝く星】だと暫く勘違いしていたのも最早懐かしい………。



と、実はここまでの数文の中に、私が思うスピッツの歌詞の「妙」が散りばめられている。

まず、詞中に使用されている単語が小学生でも読みとれるくらい平易であること。上述したサビの歌詞なんかは、語単位で区切ってみればとんでもなく簡単なワードしかない文章なのだ。

ところが語の間の仕切りを外して文として全体に目を通すと、途端に抽象的になって視界がぼやける。
「なんでコッソリしているの?」「裸で跳ねるって?」「輝く虫?」
そんな疑問がふつふつと脳内に湧き上がってくる。
この細やかで巧妙な罠に引っかかって足を止めてしまったら、もうスピッツの掌の上である。頭にかかるモヤモヤを振り払うために、彼らの曲を繰り返しループすることが確定してしまう。


「分かるのに、理解らない」。人間は最初から手の届かないものなら存外簡単に諦められるもので、スピッツの詞は「何となく理解出来そう!」と思わせるラインを突いて気を引くのが絶妙に上手い。



次に注目したいのがサビの【アレ】
私は前述したようにサビの最後は【輝く星】だと勘違いしていたので、【アレ】はきっと「星」のことを指しているのだと長らく思っていた。まさか唐突に詞中に「虫」が、それも「輝く」なんて修飾語を伴って現れるなんて、歌詞カードを開くまでは当時考えてもみなかったのだ。


自分で改まって言うのもなんだが、それはそれで間違いではなかったのだと思う。

皆さんはこの曲の【アレ】を聞いて何を思い浮かべただろうか。
月や花といった具体的な物体?或いは愛情や目標といった、無形のものかもしれない。全て正解です。

陽光が作る人間の影の形に一つとして全く同じものがないように、各々の中に各々なりの解釈がある。何故なら一人一人が違う人生を歩み、違う記憶と経験を自らの血肉に変えてきているのだから。各自が作り上げる虚像の個人差を、【アレ】という抽象的な言葉のみで丸ごと肯定してしまうのがスピッツの凄みだろう。


メッセージ性の強いストレートな歌詞は、時に手中の懐中電灯のように私たちの足元を照らしてくれるが、遥か遠くから放たれる光を浴びて自分自身の影と向き合ってみるのも良い。

ということを書き置いて、この曲に関しては切り上げておく。




2. 恋は夕暮れ



恋は昨日よりも 美しい夕暮れ
恋は届かない 悲しきテレパシー
恋は待ちきれず 咲き急ぐ桜
恋は焼きついて 離れない瞳
恋は迷わずに 飲む不幸の薬
恋はささやかな 悪魔への祈り

きっと大抵の人は、多かれ少なかれ大小問わず、甘酸っぱい恋愛経験があるのではなかろうか。そういう意味で「恋愛」は鑑賞者の共感を得やすいテーマともいえる。

一方で普遍的なテーマこそ個性を出すのが難しく、表現の差別化を図るにあたっては作詞家の手腕が問われるだろう。


曲中の【恋は】から始まる六文。「恋=?」という構造の文章が淡々と並んでいるが、そのどれも情景の切り取り方が上手い。絵としては全体的に抽象的なイメージしか浮かばないのに、どこか説得力があってダイレクトに心に染み入ってくる言い回しというか。敢えて体言止めの文を連続させることで、恋に振り回される主人公の感情の余韻が波のように次々と打ち寄せている

さて、『グラスホッパー』の項でも似たことを語ったが、恋は時と場合と人によって甘い体験にも苦い思い出にもなると思う。それは例えば、相手の反応を待ちきれずに【咲急ぐ桜】であったり、他人の不幸を願う【悪魔への祈り】であったり。

要は『恋は夕暮れ』は恋愛の功績と罪過を歌ったナンバーなのだが、この曲に関してもう一歩踏み込むためにサビの歌詞を見てみたい。

蝶々になる 君のいたずらで
ただ朱く かたちなき夢を
染めていくような夕暮れ

サビ終わりや曲名で繰り返し出てくる【夕暮れ】という語。これだけ強調されていることに鑑みるにこの曲の内容は【夕暮れ】に全て収束していくと考えられるが、【夕暮れ】は先に挙げた【美しい夕暮れ】のように曲中で肯定的な存在として捉えられている。

つまり、恋は往々にして【悲しきテレパシー】であり【不幸の薬】にもなるが、最終的にそういう負の側面も含めて素晴らしいものだと認識しているという、スピッツの恋愛に対する極めて前向きなスタンスが窺える曲なのだ。


話は少し逸れるが、スピッツの夕暮れ曲はどれも素晴らしい。『夕焼け』・『大宮サンセット』・『夕陽が笑う、君も笑う』・『アカネ』などなど。『恋は夕暮れ』もそうだが、特にギターの音色で聴覚的に「夕」を表現するのが抜群に上手いと感じる。




3. ホタル



時を止めて 君の笑顔が
胸の砂地に染み込んでいくよ
甘い言葉 耳に溶かして
僕のすべてを汚して欲しい
正しい物は これじゃなくても
忘れたくない 鮮やかで短い幻

それは幻

注目したいのは【時を止めて】と【短い幻】。時間の概念がカギになることが分かる。

本題に入る前に、「時間」と「価値」の密接な関係について考えたい。
一つ例を挙げよう。この先の未来で医療技術が発展して不老不死が実現したとする。誰も老けないし誰も死なない、不幸や悲しみのない時代の到来だ。だが、何もかもを失わなくなった時代の「若さ」や「生命」には、果たしてどれだけの「価値」が残されているのだろう。

私は、「何事にもいつか終わりが訪れるからこそ、その物事に貴さを見出すことが出来る」と考える。卑近な例で言うと「学生時代の青春」なんかはそれに該当するだろうか。


『ホタル』の話に戻る。どうだろう。【時を止めて】・【短い幻】といった叫びからは、逆説的に「時は止まらない」・「幻にはすぐに終いが来てしまう」という、スピッツの「時間経過」に対する諦念が読み取れないだろうか。最新アルバムに収録されている(曲自体が作られたのはかなり前だが)『初夏の日』という曲では、もっと直接的に【時が流れるのはしょうがないな】と歌い上げている。

幻を【忘れたくない】といった願望も、裏を返せば「いつかは忘れてしまう」という悟りから生まれているのだろう。スピッツの中でもかなり有名な『渚』のサビ、【幻よ 醒めないで】も同様。


「僕の全てを汚すような、正しいものじゃないとしても受け入れる」といった痛切な破滅思考も、どことなく終焉へ向かう匂いを感じさせる。

【例えば僕が戻れないほどに壊れていても】/初恋クレイジー
【危ない道あえて選んでは突き進んでいく】/幻のドラゴン

別曲だとこれらがニュアンスとして近いだろうか。

『ホタル』のラスサビの該当歌詞の裏で鳴る、ハイフレットへ素早く滑るベースや規則的で美麗なアルペジオを崩して歪んだフレーズを奏でるギターは、最後の最後で切迫した感情が一気にあふれ出しているさまを表現しているようにも感じられる。良い。



ただ、ここで先述した「価値」の話が活きてくる。
要するに、本来止まらないはずの時を止めてしまうほどに【君の笑顔】は素敵だし、【幻】はただ【短い】だけではなく【鮮やか】なのだ。ここにスピッツの「〈今〉という刹那への美学」を感じる。

きのうよりも あしたよりも 今の君が恋しいから / 恋のうた
だけど息をしてる それを感じてるよ今 / 今

そしてその「瞬間のささやかな光」を『ホタル』と形容しているのが、得も言われぬ趣きがあって最高。スピッツにありがちだが、タイトルの「ホタル」が歌詞の中に一度も出てこないのも好き。


その他の細かい部分だと【胸の砂地に染み込んでいく】や【紙のような翼】などの独特な表現がお気に入り。サラッとこういう美麗な心情描写が飛び出てくるセンスには、脱帽するほかない。




4. 惑星のかけら



骨の髄まで愛してよ 惑星のかけら
骨の髄まで愛してよ 僕に傷ついてよ

『ホタル』の【僕のすべてを汚して欲しい】とは逆のバージョン。スピッツにとっての「愛」とは「傷を付け、汚す行為」としての側面も持ち合わせていることが分かる。

「人を愛する」ことは「相手の記憶の片隅に無理やりにでも居座りたい」という、エゴイスティックな欲望と表裏一体なのだ。露悪的とも受け取れる彼らのこの宣言は、一方で「愛」という事象の核を綺麗事抜きで突いているようにも見える。


ここで留意したいのは、スピッツは人間のその類の醜さを否定しているわけではない、ということ。

寧ろそういう人としてのありのままのパトスを賛美しているのだ。だからこそ、彼らの色んな歌で「愛」が愚かで無様で不格好なものとして描かれているのだと私は思う。

消えないようにキズつけてあげるよ / 猫になりたい
美しすぎる君のハートを汚してる / 1987→


スピッツ初期のヘンテコで変態な世界観が展開されているのも『惑星のかけら』の大きな特徴の一つ。【二つめの枕でクジラの背中にワープだ!】や【君から盗んだスカート 鏡の前で苦笑い】なんか、思わずクスっとくるようなフレーズ。

この曲が作られたのはマサムネが私とほぼ同じ年齢の時だが、今の私と同年代の人間が、30年後の若者の心を擽れるような途方もない遊び心を当時持っていたかと思うと、寒気すら覚える。





5. インディゴ地平線



この曲に関しては別の曲に応用できるスピッツの特徴が多様に詰まっている、と私的に感じているので、いくつかの視点に分けて確認する。


逆風に向かい 手を広げて
壊れてみよう 僕達は希望のクズだから

【希望のクズ】というワードは「希望」というポジティブワードと「クズ」というネガティブワードが掛け合わさっている。これはスピッツお得意のパターンで、敢えて正負のベクトルが反対の語を組み合わせることで、中心となるワードの意味を強調している。この場合だと、ただの「クズ」よりも【希望のクズ】とすることで、より一層「クズ」感を演出しているというか。

別曲の主な例を挙げてみる。

可愛いつもりの みにくいかたまり / けもの道
誰よりも立派で 誰よりもバカみたいな… / 名前をつけてやる



今度は違う角度から。『惑星のかけら』の項で少し書いたが、ネガティブなものの中にこそ本質と魅力を見出してしまうのがスピッツ流である。

歪みを消された 病んだ地獄の街を
切れそうなロープで やっと逃げ出す夜明け

「歪み」とは本来ならマイナスな要素であり、それが消されているのだから表面的には素晴らしいことのようにも見える。

だが、詞の主人公はそんな秩序だった街を【病んだ地獄の街】と揶揄し、夜明けに逃げ出している。彼は整然とした理想的なだけの世界に価値を見つけていないのだ。同じような表現はいくつもある。

色白 女神のなぐさめのうたよりも ホラ吹きカラスの話に魅かれたから
/ 日曜日
美人じゃない 魔法もない バカな君が好きさ / 夢追い虫




最後に触れるのが、サビで登場する「見せたい」という表現。

凍りつきそうでも 泡にされようとも
君に見せたいのさ あのブルー

【君に見せたい】。つまり、今現在は残念ながら君に「ブルー」を見せられていない、ということが分かる。「~して欲しい」・「~しよう」・「~したい」といった意思・願望は、往々にして現況への不満足から生まれるものだ。

スピッツの詞の「僕」或いは「君」は基本的に何らかの苦境に立たされていることが多く、そこから「抜け出そう」・「抜け出したい」といった、ささやかなる反抗の心を度々見せる。それは実際に行動に移す遥か手前の段階の、ほんの小さなささくれにしか過ぎない。だがこの弱々しい感情表現が変に押しつけがましくなく、耳から心に流れるときに余計な抵抗を感じさせない

どうかこのまま僕とここにいて欲しい / タンポポ
今すぐ抜け出して 君と笑いたい / シロクマ
限りある未来を搾り取る日々から 抜け出そうと誘った君の目に映る海
/ 愛のことば


以上、大まかに3方向の切り口。

締めとして私がこの曲で一番好きな歌詞を紹介しておく。それはイントロのアンニュイなギターフレーズが鳴った後の、Aメロの部分。

君と地平線まで 遠い記憶の場所へ
溜め息の後の インディゴ・ブルーの果て
つまずくふりして そっと背中に触れた
切ない心を 噛んで飲み込むにがみ

初っ端のこのパートだけで既に心を持ってかれるというか、己の中の想像力であったり感受性だったりをフル活用させられるような、不思議な感覚がある。非常に好きです。




6. 旅の途中



腕からませた 弱いぬくもりで
冬が終わる気がした

「~する気がする(気がした)」もスピッツの頻出表現。その他にも彼らの曲には「~はず」「多分」「きっと」等の希望的観測が非常に多い。『空も飛べるはず』の【きっと今は自由に空も飛べるはず】や、『チェリー』の【きっと 想像した以上に騒がしい未来が 僕を待ってる】なんかはかなり認知されている好例だろう。

蓋然性の不透明さに僅かばかりの不安を抱えつつ、それでも明るい未来の訪れにどうしようもなく期待してしまう、そんな経験は人間誰しもが通った道だと思う。


話を『旅の途中』に戻そう。

『インディゴ地平線』で言及した意思・願望の話と少し似ているが、この曲中では実際に冬が終わっているのではなく、あくまで主人公の中で「終わる気がした」だけなのだ。大切な人と腕をからませた時に感じたほんの小さな熱だけで、春が到来したような心持ちになるくらい浮かれてしまう。こういうダサい感じが絶妙に堪らんのです。

離別した「君」とまた会えたら何を話すかを未練がましく考える『正夢』、早朝から夕暮れまで「君」を探し続ける『HOLIDAY』、「君」と可愛い歳月を暮らす妄想に浸っている『君と暮らせたら』。スピッツには良い意味で気持ちの悪い曲が沢山ある。

猫型のロボットが主役である某国民的アニメの主題歌にもあるが、脳内にいっぱいあるあんな夢やこんな夢を綴っているだけなのがスピッツだ。何の制約もない世界をどこまでも広げられるのが人間の頭の中であり、それをメロディに乗せているものが楽曲だとすると、音楽という娯楽の自由度の高さを改めて感じる。


さて、この曲を取り上げたのにはもう一つ理由がある。
実は『旅の途中』というワードは、2007年に幻冬舎から発売されたスピッツのヒストリー本の題名にも引用されている。それまでの楽曲制作の背景でメンバーが当時何を考えていたかが赤裸々に明かされており、スピッツファン垂涎の一冊である。特に今回の記事ではフォーカスしなかったサウンド面での苦悩に関してかなり詳らかに書かれているので、気になった方は目を通してみて欲しい。面白い。





7. スピカ



古い星の光 僕たちを照らします
世界中 何も無かった それ以外は

ファン人気の根強い曲。【幸せは途切れながらも 続くのです】 という歌詞が好きな方が多かろうとは思うが、今回は上記の箇所にズームしてみたい。

一言で表すと「世界」に相対する「君」と「僕」の二人という構図。『ロビンソン』の【誰も触れない二人だけの国】のように、「世界」から弾かれてしまった「君」や「僕」が自分たちだけが構成する空間に逃げるという、クローズドな展開がスピッツには多い。

Only you 世界中が口を歪める 君に消される / バニーガール
きっとこんな世界じゃ 探し物なんて見つからない / 僕の天使マリ


『スピカ』においては、古い星の光(スピカ)以外はあの瞬間世界中何も無かったんだ、という清々しいまでの確信を「僕」は得ている。この青臭くも微笑ましい断定が、言いようのない心地よさを含蓄している。「それ以外は、世界中何もなかった」ではなく、倒置法を意図的に使用することで「僕」の全能感が効果的に強調されており、より一層味わいがある。

加えてこの世界観を補強しているのがイントロで、フィードバックから始まりシューゲイザーっぽい音で浮遊感を醸しているギターと、フロアタムを効かせて曲の重心を低くするスケール感のあるドラムが、頭上いっぱいに広がるような夜空をそれとなく演出している。

【やたらマジメな夜】という歌詞があることからも分かるようにこの曲の時間設定は「夜」なのだが、出だしにそういう聴覚的なアプローチを加えることで、まるで何もない野原に寝っ転がって、スピカだけが一つだけ空高く輝く静かな闇夜と一体化しているかのようなイメージが浮かび上がってくる。


私は『スピカ』を聴くと、高校の頃に北海道は道央へ修学旅行したときに、肌寒い夜に椅子の上で寝そべりながら、人生で初めて満天の星空に包まれて感動したときを思い出す。

大人になった今過去を振り返れば、当時はなぜあんなに些末な事で一喜一憂していたのだろう、と考えることが多くなってきた。年齢を経ることで生じる変化が良い事なのか悪い事なのかは決めかねるが、少なくとも私においては『スピカ』を聴く度にノスタルジックな気分に浸るように躾けられてしまったみたいだ。




8. 快速



地平の茜色が徐々に消えていく
レール叩く闇のリズム


『ホタル』や『スピカ』で軽く触れた、サウンドと詞の世界のリンクをかなり強く感じるのがこの曲。詞の中身よりもまず先にドラムのパターンに注目してみたい。

全体を通して8ビートで疾走感があるナンバーとなっているが、Aメロ(【無数の営みのライトが瞬き~】)はツツタンツツタンの一定のリズムで叩かれており、Bメロはタムを混ぜたやや変則的なフレーズが出てくる。

これこそがそのまま【レール叩く闇のリズム】、電車がレールのつなぎ目を通過する時の音を表現しているのだと私は考えている。具体的に言えばAメロが直線の線路で、Bメロがカーブの線路だ。


例えば、【もどかしい加速】を知って【流線型のあいつより速く】と逸っているのはAメロ。【流線型のあいつ】とは恐らく、ゆっくりと速度を上げていく快速電車と対になる新幹線のことを指しているのだろう。何となく直線的な線路の上で新幹線と快速電車が並走している姿を想像できる。特急や急行ではなく『快速』という絶妙な遅さである点も、目的地までのもどかしさに拍車をかけていてよい。

私はかつて神奈川から東京の学校に通っていたので帰宅時に横浜方面の京浜東北線をよく利用していたのだが、上野駅を過ぎたあたりで、薄暗い闇の中を走る新幹線を車窓からよく目にしたような記憶がある。夕焼けを浴びながら電車に乗り込んだはずなのに、窓の外に目をやってボーっと考え事をしながら幾ばくか経つと、気が付けば地平線をなぞる茜が消えかかっていたのも最早懐かしい。


それとは逆に【吊り革揺れてる】のがBメロ。上記の仮説に基づくとカーブの線路に該当する部分であり、詞からも電車が横揺れするような曲線を進んでいることが見受けられる。

更に掘り下げると、目的地に対するストレートで芯のある気持ちが多いAメロの歌詞とは対照的に、カーブのBメロは【たまに忘れそうになるけど】や【迎え入れてもらえるかな】など、どこか心許なげな歌詞が多い。これは正に電車が右に左に湾曲するが如く、不安で心が揺れているのではなかろうか。

私も含む大抵の人間が、目標に常に真っ直ぐ向かい続けられるわけではないだろう。時に何でもない駅に止まったりフラフラ寄り道をしたりしながらも、【すすけてる森の向こうまで】という突き抜けた思いを抱え、ひた走る快速電車。そんな気分に浸れる名曲です。


その他上述したような視点で聴いていると、AメロからBメロに移行する部分でドラムがペダルを踏んでドドパッと音を鳴らす部分があるが、そこも電車が停車時にエアーを抜いた時に出る音に近いような感覚を受ける。

ゆったりとしたリズムのAメロで「君」に対する心情を静かに吐き出していき、主人公が坂道をかけ上がっていくサビに呼応するかのように楽曲全体のテンポも上げて一気に盛り上げる『オパビニア』。
キッチンタイマーを巻く音や何かの機械音が入り乱れるイントロや、【ゼンマイ】・【部品】といったワードを混じえつつ一定のフレーズを楽器隊が何度も繰り返すAメロを経て、機械的な定めから解き放たれ【ありがとう】・【届けよう】という感情的な言葉と共に、動的で切ないサウンドに移行していく『ナサケモノ』。

サウンドが詞の世界観の形成を助けているスピッツの曲を探そうと思えば沢山あるし、フロントマンのマサムネが作る楽曲に対するバンドメンバーの強いリスペクトが、こういう点からもそれとなく伝わってくるようだ。


全然関係ない話だが、イントロのギターアルペジオのフレーズが何となくELO(エレクトリック・ライト・オーケストラ)の『トワイライト』という曲のド頭のシンセ音に似ているような。この曲は2005年にフジテレビ系列で放送されたドラマ『電車男』の主題歌にもなっているので、何か意識した部分があるんだろうか。





9. 僕はきっと旅に出る



笑えない日々のはじっこで 普通の世界が怖くて
君と旅した思い出が 曲がった魂整えてく
またいつか旅に出る 懲りずにまだ憧れてる
地図にも無い島へ 何を持っていこうかと
心地良い風を受けて 青い翼広げながら
約束した君を少しだけ待ちたい

ここからは私が単純に好きな歌詞を………。

と、その前にこの曲のコンテクストから説明したい。
スピッツは2013年にアルバム『小さな生き物』を発売した。2011年に発生した東日本大震災の影響を少なからず受けていることが公式に言及されたアルバムとなっていて、歌詞の内容は「光と影」のコントラストを明確に浮き彫りにしており、サウンドも余計な音を削ぎ落したミニマムで温かい作りになっている。

『僕はきっと旅に出る』はそんな一枚のトリを飾る曲(特装版にはボーナストラックとなる『エスペランサ』が追加されているが、一先ず脇に置いておく)であり、アルバムを通して聴いた最後に挫折からの再起を感じさせる希望に満ち満ちたナンバーである。


本題に入る。この曲で何よりも私の心に引っかかったのは、【約束した君を少しだけ待ちたい】の【少しだけ】という部分。この曲の冒頭の歌詞では「僕」と「君」がかつて旅をしていたらしきことが明かされているのだが、そんな「君」とまた旅に出る約束したはずなのに、何故「僕」は「少しだけ」しか待たないのだろうか

SNS上で確認出来た一つの解釈として「一日千秋」があった。要するに、「君を待つ時間はどれだけ長かろうと短いものにしか感じないから、全然苦じゃないよ」ということだ。あ~なるほどと思わず膝を打ったが、一方で私が考えていた筋書きとは少し相違があった。


私が考えるに、「僕」は本当に文字通り「少しだけ」しか「君」を待つつもりはないのだと思う。それは「僕」が決して冷血な人間だからではなく、「君」との約束を反故にしかねないほどまでに、彼の気持ちが既に旅へと向いてしまっているからだ。この溢れんばかりの熱量は、【懲りずにまだ憧れてる】や【地図にもない島へ 何を持っていこうかと】など、既に旅への思考を脳内でアレコレ広げている部分が示唆している。


また、もう一歩踏み込んで、ここで「僕」は「君」との意識的な決別を図ろうとしているとも捉えてみる。もしかしたら「君」とは止むを得ない理由で離別ないし死別してしまっていて、「君」が約束の地に来ることはないのを「僕」は既に理解しているのかもしれない。その受け入れがたい事実と喪失感を、それでも一人旅への期待で上書きして旅立つために必要なのが、訪れるはずのない「君」を待つ「少しだけ」の時間なのだ。

以上により、この曲は【曲がった魂】を【君と旅した思い出】で整えて生きてきた傷心の彼が、今度は誰に頼るでもなく一人だけで立ち上がるという決意表明を込めた歌である、という解釈をしてみた。曲の名前が「君と僕はきっと旅に出る」や「きっと旅に出る」でないのも、もしかしたら「僕」の一人旅をより強調しているのかもしれない。


と、たった一つのフレーズ、【少しだけ】という修飾語の有無のみで、ここまで妄想を広げられる。これこそ「日本語」という複雑でそれ故に美しい言語のマジックであり、名作詞家である草野マサムネを擁するスピッツの深みだと言えよう。

『僕はきっと旅に出る』及び『小さな生き物』は以下に続く歌詞で幕を閉じる。「願いは叶うまで祈り続ければきっと実現する」という考えを浅慮かもしれないと卑下しながらも、その拙い理想を貫き通すことを決めた主人公。「僕」が【普通の世界】に恐怖していた過去に鑑みると、もしかしたら彼の旅は彼自身でも気付かぬ内にもう始まっているのかもしれない。

たぶんそれは叶うよ 願い続けてれば
愚かだろうか? 想像じゃなくなるそん時まで





10. フェイクファー



柔らかな心を持った はじめて君と出会った
少しだけで変わると思っていた 夢のような
唇をすり抜ける くすぐったい言葉の
たとえ全てがウソであっても それでいいと

私がスピッツの中で一番好きな曲を最後に持ってきた。
その影響もあり、今までよりも更に独自の解釈が多いので注意を。


『フェイクファー』は、1998年に発売されたアルバム『フェイクファー』の表題曲である。実はスピッツの作品で表題曲がアルバムのトリを務めるパターンは、後にも先にもこれ一つのみ。何となく特別感があって良い。

何故殊更にアルバムの話を持ち出したかと言うと、この曲が一枚の最後に流れることこそが、「フェイクファー」という言葉自体に大きな意味を付与していると考えているからである。そういう観点だと、前の『僕はきっと旅に出る』も立場としては近いかもしれない。


その説明をするためにはまず、アルバム『フェイクファー』の先頭打者である曲『エトランゼ』に言及せねばならない。以下に『エトランゼ』の歌詞を一部引用。

目を閉じてすぐ 浮かび上がる人
ウミガメの頃 すれ違っただけの


『エトランゼ』はフランス語で「見知らぬ人」の意。この曲は約1分半しか演奏時間がなく、2021年10月現在ではスピッツの中で最も短い曲である。シンセが鳴らすオルガンのような幻想的な伴奏の中に、何か昔の恋しい記憶が一瞬だけ艶やかに蘇ってくるような感覚を受ける。ワンフレーズだけ入るアコギのフレーズや口数の少ない歌詞も、その儚さの演出に一役買っている。かつてほんの少しの間だけ自分の生と交わった他者を回想する、そんな追憶を皮切りにアルバムは幕を開けるのだ。


ここから『フェイクファー』の話に入っていく。
そもそも「フェイクファー」は何の比喩なのだろう。語義に忠実であるならば、コートやバッグに使用されている人工毛皮のことを指す。ここで言う「人工の毛皮」とは一体?

私はこれが「人工」である事にこそミソがあると思う。フェイクファーはリアルファーに対してのフェイク、所謂偽物である。そして毛皮とは人を温めるために使うもので、「愛」という語にも同様に「あたたかい」という修飾語が前に付く。
ここで「フェイクファー」は「偽物の恋愛」を表していると考えてみた。


では、「偽物の恋愛」とは。人には様々な恋愛の形があり、その熱病に浮かされている時はパートナーと永遠で真実の愛を育んでいるかのように錯覚するが、終わってしまえば所詮幻想だったと思い知らされる。
「偽物の恋愛」は、「既に過去のものとなってしまった恋愛」を示しているのではなかろうか。

この仮定を踏まえると『エトランゼ』が活きてくる。「昔すれ違っただけの見知らぬ人」は、つまりもう「完全な他人になってしまった、かつてのパートナー」のことであり、その人物への回顧の曲としての『エトランゼ』の姿が見え始める。

『エトランゼ』と『フェイクファー』の二曲の関連性を示す要素として、『フェイクファー』の以下の一節を挙げたい。

憧れだけ引きずって でたらめに道歩いた
君の名前探し求めていた たどり着いて

辿り着いた名前の主こそ、冒頭の曲『エトランゼ』で思い浮かべた人物なのではないか。詞の主人公にとってはその相手と酷い別れを迎えたとか、何かあまりよくない事情があって「見知らぬ人」として底に沈めていたい記憶だったのかもしれない。
その思い出はラストの曲『フェイクファー』に至って具体性のある熱と形を取り戻し、時が経ったことで初めて肯定的に受け入れられていく

分かち合う物は何も無いけど
恋のよろこびにあふれてる

偽りの海に身体委ねて
恋のよろこびにあふれてる


そして【少しだけで変わると思っていた、夢のような】昔日達は2曲目『センチメンタル』から11曲目『スカーレット』で振り返られており、文字通り過ぎ去っていった青き日々を愛おしく抱きしめるようになるまでの過程が、アルバム『フェイクファー』である。そう捉えてみた。


【未来と別の世界 見つけた そんな気がした】。曲の方の『フェイクファー
』は最後のサビで演奏的な盛り上がりを見せた後、この歌詞でその淡い泡沫がはじけたかのごとく、イントロと同じ静かなギターアルペジオへと回帰していく。アルバムを頭から通して聴き、この『フェイクファー』の最後のギターコードが響いた余韻で自分が何をどう感じるかは、私の解釈に全く関わらず是非各自で己と向き合ってみて欲しいところだ。


『フェイクファー』はジャケットも秀逸。どこか温もりを感じさせる写真だが、一方で背後からの光で輪郭が曖昧になっており、人物の顔が髪で隠れていて目線もこちらから外れている。きっと彼女こそが『エトランゼ』であり、視覚情報における全体的な不明瞭さは頭の中のイメージに過ぎないからなのだろう。完成度が凄い。

バンドメンバー的には主にサウンド面で不満足な出来だと聞くし、マサムネも当時は様々な苦しみを抱えながら生んだ作品らしいが、私はとても良いアルバム(曲)だと思います。

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終わりに


本文章でピックアップしたのはたった10曲、それもごく一部の歌詞に注目したものばかりだ。メジャーデビュー後の曲に絞っても確か250曲近くあったと思うし、今回サウンド的な側面には殆ど触っていない。スピッツが今年で結成34年目であることを踏まえても、まだ広大な海原をほんの一掬いしただけであることが分かるだろう。
機会があれば、また違う角度から自分の思考を整理してみたい。美しいアルペジオでバンドに独特な色を塗っているギター、キメのラインが最高でタイトなベース、手数が多く要所のフレーズで細かいアクセントを付けているテクニカルなドラムなど、一曲一曲まだまだ語りたいことは山積している。


それにしても昨今は各種サブスクリプションが充実し、音楽との距離が非常に身近になった。手軽にいつでもどこでも選り取り見取りの音を耳に出来る環境が整備されたことは、素晴らしい変化なのは間違いない。
片や個人の裁量で取れる選択肢が一気に増えたことで、アルバム一枚の曲順の妙を汲んでみたり、一曲一曲を一秒残らず隅々まで深く噛み砕いたり、楽曲の機微を咀嚼する余裕を喪失してしまうかもしれない、そういう恐怖も自分の心には内在している。事実、例えば『フェイクファー』は上述したように、アルバム全体を俯瞰しなければ得られなかった気付きがあった。
【余計な事はしすぎるほどいいよ】と歌っていたバンドもいたが、時代に流され過ぎずゆとりを持ちながら音楽を楽しんでいきたい。
そんなちょっとした願望を最後に滲ませつつ、本編はここで書き置いておく。




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最新アルバム『見っけ』のツアー、『SPITZ JAMBOREE TOUR 2021 “NEW MIKKE”』の6月19日の横浜・ぴあアリーナMM公演を映像化した作品が、現在オンライン上映されている。スピッツはライブの演奏がとにかく只管に上手いミュージシャンなので、気になった方は是非にでも時間を作って観て欲しい。原曲を忠実に再現しつつライブとしてのクオリティの担保する力量は、プロの中でも特に頭一つ抜けていると個人的には感じる。
ネタバレ防止のために曲名は伏せるが、ダイジェストの中のとある曲の2Aメロに新たなギターフレーズが加わっているなど、新曲だけでなく既存曲にも聴き所があって楽しめると思う。

上映期間は2021年11月14日(日)までなのでお早めに。




劇場版『きのう何食べた?』の主題歌、スピッツの新曲『大好物』が、映画公開日である11月3日より配信リリースされるので要チェック。
こちらはまだ私にとってもほぼ未知数のコンテンツなので、一体全体どんなものを放り込んでくれるのか、童心に帰ったかのように非常にワクワクしている。映画の特番でちょっと聴けた感じだとギターソロ~Cメロの展開がかなり好きでした。


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