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ユーフォ3期は原作を超えたのか?(泣)

なんか嫌な予感がして4話で見るのをやめていた「響け!ユーフォニアム」3期、ラストで原作と変えてきたという噂を耳にして、え〜なんでまた?とは思ったものの、吹奏楽コンクール全国大会高校の部で金賞取れるような学校は、麗奈クラスの奏者が何人もいるような学校だろうしな、そう言う意味ではこれから強豪校に成長していく北宇治はナイーブすぎるよな?オーディションが常態化しているような伝統がある強豪校ならともかく、初めて取り入れたのなら荒れるだろうなぁ、、、やっぱり変えてくるとしたらオーディション絡みだろうな、、、。

などと思いつつも、見るならちゃんと見たい、込められた描写もすべて味わいたい、自分の体調の良い日に時間を取ってちゃんと見たいと思っていた。

で、やっと決意して見て、ギスギスしていく部の空気を幹部3人がどうにも出来なくて、お互いに信じ合えなくてバラバラになっていく雰囲気をグサグサと味わいつくし、10話で久々登場のあすか先輩に癒やされ、よりにもよって香織先輩にオーディションの話を聞いてもらうという流れはもしかして?と思ったら、12話で2年前と同じ会場での全員参加の再オーディション!

これは原作にはなかった流れ。でもここではっきりと、アニメオリジナルでしか出せない「意味」を、「深み」を産み出そうとしている創作者たちの意気込みを感じた。「原作とはちょっと変えてみましたテヘ」なんてものでは到底なかったのだ!脚本の花田十輝氏をはじめとする制作陣と、それを受け入れた原作者の武田綾乃氏の、とてつもない度量に感嘆する。この改変で、これまでのユーフォらしさは何ひとつ失われていないし、さらなる可能性を推し広げ、アニメならではの深みに到達したのだ!原作を超えた、なんて失礼な言い方では原作に対するリスペクトが足りなすぎるので、原作とアニメに主従関係があるのではなく、どちらもが聳え立つ金字塔となった、とでも言えようか?

また、執拗とも取れるほど何度も辞退を申し出る真由も、12話でその背景がちゃんと描かれていた。これもアニメオリジナルだと思う。


元管楽器奏者として言わせてもらうと、覆面審査と言っても、ずっと一緒に吹いてきた仲間だったら音だけでも、音を出す前の息遣いだけでも「これは真由」「これは久美子」ってわかるものなのだ。映像でも何人かは誰かわかって「久美子」に挙手したメンバーがいたように描かれていたと思う。

その上で、絶対に誰の音かわかっている麗奈が、自分たち二人が2年前に勝ち取ったルールを守って、いや、ルールを、約束を、自分たちの築き上げてきた北宇治での吹奏楽人生を嘘にしないために、真由を選んだ。そのことを久美子もちゃんとわかっている。

ステージ上から、オーディションの結果を「私達は全国で金を取るためにベストの選択をしたのだ!」と決意を持って叫ぶ久美子。入部した頃の消極的な姿からは見違えるような成長ぶりに涙腺が決壊する。自分が高校生のときに同じ立場だったとして、こんな言葉を言えただろうか?

もちろん、それでみんなの感情が収まる訳ではないので、その後で奏も麗奈もそれぞれに「それと自分の感情は別!」と叫ぶ。自分と久美子がちゃんと泣いて感情を解放できるように、お互いの感情を大切にしつつも、それを超えていくために。

そして、真由がいろいろな面倒事を避けたいと思っていても、いざ吹くとなったら「決して手抜きはできない」という設定も原作にはないオリジナルだと思うが、とても納得できる。あるレベルの演奏ができる者は、楽譜に対する誠意、作曲者に対する敬意を無視して演奏することは出来ない。眼の前に楽譜があれば、自ずと自分のベストをつくしてしまうものなのだ。そこが前年のオーディションでの奏と違う、自分の演奏というアイデンティティがすでに確立している真由のキャラクターをきっちりと描き出していた。

それは、友達以上のかけがえのないパートナーだからと久美子を選ぶのではなく、音楽を優先して真由を選んだ麗奈とも通じる。ここでの彼女らは、感情や思考すら超えた「魂による選択」へと近づいたとも言えるのだ。それは利害関係を超えて、目先の痛みや悲しみをわかった上で、自分の中の曇りなき澄んだ心・魂を信じていないと出来ない選択、決断なのだ。私達は自分の人生の中で、いったい何度そんな選択ができるだろうか?(感情や思考・
マインド、魂を階層構造として捕える考え方は日本人には馴染みがないので後日解説したいとおもっています)

京アニは本当にとんでもない作品を創ってしまった!
きっとこの物語は、今後のリアルな吹奏楽や音楽を、仲間たちと頑張って生み出していく人たちの心の支えとなり、その人生に深みと彩りを与え、楽しさだけではない、自分の感情や思考だけが全てではない音楽のリアルを育んでいくことになるだろう。

「あしたのジョー」がボクシングに、「スラムダンク」がバスケットのリアルに影響を与え続けたように、創作物からリアルへのとてつもない影響が、リアルを超えるほどの影響を与える作品が生まれたことに、あらん限りの深い感謝と感動を捧げたいと思う。この時代に生きていて本当によかったと思う。

あの事件から5年というタイミングでこの物語が公開されたことに、様々な想いを抱く人もいるであろうが、自分としては作品そのものから受け取った想いや感情(およびそれらを超えたもの?)を大切にしたいと思うので、そのことには触れず、ここでこの文章を閉じることにする。



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