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突然思い出して原田知世の「時をかける少女」を見た

細田版「時をかける少女」の主人公役、仲里依紗が、その後実写版でも主役を演じているという情報に接して、1983年版の原田知世主演の角川映画を見た30数年前の記憶が蘇ってきた。

たぶん、併映の「探偵物語」を期待して見に行ったのだと思うが、原田知世のまっすぐな素人っぽさが印象的だったのと、ラストでの上原謙と入江たか子のお二人のにじみ出るような表情が圧倒的にエモーショナルでむしろこのシーンに心を奪われてしまった。

Wikipediaを検索してみると、大林監督が本当に愛情込めて大切に撮ったんだなと思わせるインタビュー記事の抜粋を見つけた。

「映画監督と女優の関係というのは非常に難しいもんでね。映画というのは共同作業といいながら、実は監督の個人的な夢を描くわけです。それも他人の人生を借りて表現するのね。映画というのは短いものでも3ヵ月から半年くらいは撮影するのに必要ですから、『時をかける少女』でいえば、ボクにとっての45歳の数ヵ月、原田知世にとっては16歳の数ヵ月を一緒に過ごすわけです。ボクは自分の映画を撮るからいいんだけど彼女にとっては人生の中で非常に貴重な時間でしょ。それをボクに貸してくれるわけ。半年でも映画の中に生きていると、人間ってのはその映画に影響されるものなんですよ。映画の中の原田知世、役名芳山和子は、ある青年に恋をするんです。それもこの世にないくらいの理想の恋を。すると原田知世と芳山和子の区別が、彼女自身つかなくなってくるんですね。その半年の間、芳山和子が体験した恋愛は原田知世の16歳の体験にもなってしまう。もし、彼女がその後、誰かのことを好きになったときに、少しでも芳山和子的な部分があったとしたらね。それは原田知世にとって幸福か不幸かと言えば、ボクは不幸だと思うんです。ボクは彼女の実人生をどこかで少しづつ傷つけているのかもしれない。そういう恐怖感を監督は持っているわけですよ。で、ボクは彼女に大して何をしてやれるかと考える。彼女の頭上のライトが落ちてきたらどうするか。ボクは彼女を突き飛ばして身代わりに死ねるか。これは思い込んでいくと恋愛と一緒でね。オレは知世が大好きだ、身代わりに死んでもいいと思える瞬間が来るんですよ。その時に、ヨーイ、スタートの声をかけるわけですね。『時をかける少女』の原田知世は、演技するうちにどんどん芳山和子に成りきっていきました。芳山和子って、ようするにボクが創ったボクの恋人ですからね。カットをかけたくないですよ。でも映画というのは、眼を閉じたり開いたりするように、時間を断ち切る作業ですから。いつかストップしなくちゃいけない。ボクにとっては、あらかじめ失恋を予想したプラトニックラブみたいなもんですよ。で、遂にカットの声をかけます。瞬間、それこそ『ここはどこ、私は誰?』って顔するんです。これはね、地獄を見た顔ですよ。今まで愛していると言われ続けた少女が、突然、嫌いだと言われた顔ですよ。同時に『そうか、私は原田知世なのね』という顔もするんです。カットと声をかけた後も、フィルムは少し回っているんだけど、3コマくらいにその瞬間が映ってるんですよ。ボクの恋人が逃げて行く瞬間だね。そういうフィルムをボクは大事に持っているんです」
「原田の資質を見た時にこれはタレント映画にしてはいかん、この子はいろいろな役柄ができると信じているので、今回はストイックな役に閉じ込めてみたんです。正統派の映画で芳山和子という役をきっちり演じさせてみようと思いました。アイドル映画にも、タレント映画にもしなかったつもりです。そのことによって原田知世という新人の魅力は光るだろうし、二作目、三作目で全く違うことがやれるだろうと思う。彼女はそういう演技の幅は持ってると思います」
「いくら相手が子供や少女でも、演出しているということは、感情的には男と女の関係にあるわけです。その感情が乗り移らないと、少女は少女として輝かないんですね。その辺がタレント映画を作るのとはちょっと違う。というところを、自ら課しているところもあります。これは『転校生』以降に変化した僕の演出論です」
「僕は一年前に『転校生』で、生まれ育った尾道の夏を撮ったんです。本当は二度と尾道は撮らないつもりでしたが、春樹さんが『尾道で』と言うから、考え込んだ末、よし『転校生』で撮った尾道の海と明るさは撮らず、山と暗さだけを撮ろうと決めました。尾道は春樹さんの勘でしたが、偶然のようで必然だった。それがこの映画の不思議な翳りを生み、大正ロマンチシズムを醸し出した」
「(撮影時には)知世が主役のアイドル映画を撮っている気はまったくなく、惚れた子を映画で輝かせたいとしか思っていなかった」
「この映画と知世は天の配剤めいていた。映画の神様が降りて来たんでしょうかね。あの頃の知世でしか撮れなかった。半年遅れても撮れなかったでしょう」 

角川春樹もベタぼれである。

「『時をかける少女』には知世の魅力がすべて入っていると思います」「知世は目の前にいる本人よりフィルムの中で輝きを放った、非常に希有な女優でした」「未完成なものの美しさが際立って表せた映画を残せて、本当に良かった」「知世の映画を撮った時代は、私たちの青春でした」

一方、原田知世は自分の初の主演映画を複雑な思いで受け止めていたようだ。

原田は完成した映画を初めて観た時
「なんだか映画の私、ポキポキしていて、変ですね」
と言っていたというが、3-4年が過ぎると
「なんか、あれは大変すごい映画のようですね」
と話したという。デビュー作が代表作になったことが重くなり、原田は映画も歌も避けてきたといわれる。
「映画の印象が強すぎて、どう歌ったらいいのか分からなくなった。あの時の感じは今の私には出せないし」
と話していたが、2007年のデビュー25周年アルバム『music & me』の中で長い封印を解き、ボサノヴァにアレンジした「時をかける少女」を歌った。
2011年5月7日、東京有楽町で本作の上映会、大林と原田のトークイベントが行われ、これに高柳も参加、28年ぶりとなる3人の「3ショット」が披露された。この時、原田は
私、ようやくあの映画でデビューしたことが本当によかったと思えるようになりました」
と大林に話したという。
2012年、大林の上映会に訪れた原田は
「いまでは監督の演出がよく分かります。あの原田知世はいいですね。私じゃないけど」
と話したという。
2015年の朝日新聞の特集「映画の旅人」では、
「10代の少女って毎年変わる。15歳の私を大林監督が残してくれた。そして見て下さった方々の青春の一ページにも、私の知らないところで刻み込まれている。私にとって、この映画は宝物です」
と話した。

ここまで読んで、ついに懐かしさがこみ上げてきてAmazonで324円でレンタルしてみてしまいました(^o^)

ああ〜、大林映画だぁ〜。昭和の尾道、竹原の風景が、ほんとに生活感をもって刻み込まれている映像。まだバブル前の日本の地方都市って、こんな感じだったんだなあと。

そして大林監督がほんとうに原田知世という「原石」を大切に扱っているのが映像から伝わってくる。本作を撮った当時の大林監督の年齢をこちらもとうに超えてしまったので、昭和映画の質感を大切に抑えながらフィルムを構築されたことが伝わってくる。そして後半の特殊効果の嵐!当時まだデジタル加工やVFXなんてなかったと思うのだけど、大林監督にとっては得意な分野だったのだろう、本当に今見てもこの特殊効果の奔流はどこか懐かしさを感じさせるものの説得力のある名場面だ。

それまで抑えていた映像テクニックが、ここで奔流のように一気に噴出し、コマ撮り、アニメーション、合成、多重露光、ソラリゼーションなど、二重三重に絡み合い、魔的映像を現出させた。

あとは、相手役の高柳良一氏は「棒読みで良い」と指示されたとのこと。ヒロインの素人っぽさを際立たせないため?でも、ラストで ”未来に一緒に連れて行ってほしい” と涙を流す原田知世にあの時代の元祖オタク(まだオタクという言葉は一般的ではなかった)たちは心を奪われてしまったのだ。

40年近く経って見返してみて、本当に角川と大林の「脚長ならぬ胴長おじさん」二人が原田知世にプレゼントした愛の結実なんだなあと実感。

そして最後に入江たか子さんの絶妙な表情にまたも心を奪われる。大林監督は同じ尾道が登場した小津安二郎監督の「東京物語」をリスペクトしたのだろうか。若い役者たちの体当たりの演技とのバランスをとるような、大ベテランならではの味わい深いシーンだった。


ということでYoutubeで映画のエンディングそのもの見つけました。

こちらはユーミンの音声PR用で35秒のみ。さすがの余裕たっぷりの歌声。

こちらは2017年の原田知世35周年ライブから、アダルトな彼女も良いね。


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