良い企業と偉大な企業の違い
名言からLeadershipについて考えるシリーズ - 7 -
私の考えたこと
企業の存在意義とは何か?というのが根本にあると思います。
存在意義を理解し、意義を実現しようとする企業は「偉大な企業」ですし、結果的に存在意義を実現していても、その手段までしか理解していない企業は「良い企業」に留まるということだと思います。
なぜならば企業としての意思決定をするときに、意義がわかっているかどうかで、何を基準に意思決定をするかに差が出てくるからです。
なぜ社会に企業は存在できるのでしょうか。なぜ企業は存在している意味があるのでしょうか。
それは社会に「価値」をもたらすからです。社会の豊かさを増やすからです。優れた製品やサービスというのは、あくまで社会に価値をもたらす「手段」です。
企業は社会から求められて存在しているのです。本来なら、社会の富を増やさない企業は存在する意味がありません。ですから企業を存続するということは社会で暮らす人に対する道徳的な行いでもあるとも言えます。
企業が上げる利益についての考え方
前項の前提に立つと、利益を得る競争には良いものと悪いものが存在することもわかります。
一部の人の中には利益を上げることが後ろめたいことかのように考える人がいますが、利益を上げること自体は必要なことです。
利益は企業が存続するために必要ですし、企業の活動を向上するためにも必要です。つまり、より大きな富を社会にもたらすために必要だということです。
こういった論理で考えると、小手先の手段で他社の利益を奪うような競争は悪いものだとわかりますし、商品の質やサービスの向上を行うような競争は良いものだとわかります。
前者は社会の富を「増やさない」ゼロサムゲームを前提とした競争で、後者は社会の富を「増やす」方向の競争だからです。
ピーター・ドラッカーは「富の総量100の自社シェア80%と、富の総量250の自社シェア50%なら後者の方が大きい」と指摘します。企業は富を奪い合うのではなく、新たな富を生みだすことによって利益を得るのが良いという事になります。ドラッカーが「イノベーション」を自身の理論の重要な位置に置いているのもまた、イノベーションが社会の新しい富を産み出すことだからです。
社会に富をもたらすために働く…という誇りを持った仕事をしたいものです。
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