まやかしのポジティブ 第7章【小説/ヒューマンドラマ/心理学】
-1- ラッサルシティ
「どんな町なんですかね」
北への道を歩きながら、マイは言った。
「さぞかし明るい町なんじゃないか、見た目は」
ラディスは答えた。
北へ続く道は、舗装されているとまではいかないまでも、馬車が通るにも支障がない程度には平らになっている。すでにかなり登ってきたせいか、勾配もほとんどなく、左右に草原が広がる道は気持ちいいが、どこからでもこちらが見える場所を歩いていることを想像すると、少し怖い気もした。
「これですね、分かれ道」
ちょうど丘の一番上にあたる場所に、ウエストサイド、イーストサイドと書かれた、木のプレートが立っている。矢印は右側と左側に向き、どちらも丘を下る道が続いている。
「海があるほうと言ってたが」
ラディスは道の先に目を向けた。
「森が見えるな」
ウエストサイドへの道、数百メートル先に、森が広がっている。それほど深い森ではなさそうだが、海沿いに続く道としては、それっぽくないように思える。
「でも、見てください。あれ、海じゃないですか?」
マイは、丘の先端でつま先立ちになって、森よりさらに先を指差した。
「……なるほど、ここまで来ると、海が見えるのか」
ラディスは、マイの隣に来て目を細めた。
どれぐらいの距離があるか分からないが、確かに海が広がっていて、陸側には、扇形に広がる形で、街らしいものが見える。
「今まで通ってきた町とは、規模が違うみたいだな」
「そうですね、大きい……」
マイは、まだ青空が残る空を見上げてから、もう一度海と、街を見た。雲間から差す光が海をキラキラと反射させ、そのせいか、街も輝いて見える。
「村を出た若い人たちも、同じ景色を見たんですよね、きっと。ここに立って、街を見て、希望を膨らませて……」
「そうかもしれないな。そういうときに人間が思い浮かべる想像は、自分も、自分を取り巻く環境も、大きく良くなっている未来だ。なんの障害もなく、主人公が欲しいものを手に入れる物語」
ラディスが言うと、一瞬強い風が吹き、陽の光が隠れた。
「現実には、手に入れるまでに障害がある。言われてみれば当たり前のことが、希望を持って胸が高鳴ってるようなときは、それを忘れてしまう」
ラディスはそう言ってから、ウエストサイドのほうへ歩き出した。
「行こう。場所はあそこで間違いないだろうけど、街までどれぐらいかかるか分からない。雨に降られたら厄介だ」
マイは頷くと、ラディスの後について歩き出した。
道は、それほど急勾配ではなく、緩やかに下へと続いている。街が近づくにつれて、気持ちが高まっていくようで、もしかしたらローブの男たちは、そこまで踏まえてあの場所に街を作ったのではないかと思えた。ローブの男たちが街を作ったという証拠はなかったが、何かしらの形で関わってはいるはず……
「わ……!」
考え事をしながら歩いていると、何かにぶつかって、マイは顔を上げた。見ると、ラディスの背中で、どういうわけか立ち止まっている。
「ラディスさん?」
「このあたりの森は、どこも人が住んでるのか?」
「え……?」
丘の上から見えた森から、石器時代の人類のような服装をした人間が数人、こちらを窺っている。手には何も持っていないが、友好的な雰囲気はない。
「そこにいろ」
ラディスは言うと、ゆっくりと近づいた。
「何か用か?」
三メートルほどの距離まで近づくと、ラディスは言った。
「俺たちは森に用はない。海沿いの、あの街に行きたいだけだ」
森の人間たちから目を離さずに、街のほうを指差す。
「ラッサルシティの住人か?」
先頭に立っている、一番背の高い男が言った。
「ラッサルシティ? それが街の名前か?」
「街の住人ではないのか? ということは、街の噂を聞いて浮かれたバカどもか」
「浮かれたバカとはご挨拶だな。噂がどんなものか知らないが、あんたら、街について何か知ってるのか?」
「希望の街、それがラッサルシティの別名だ。街に行けば誰でも夢を叶えられる」
「それはまた、素敵な街だ」
「だが実情は違う」
「どんな街か、見たことがあるのか?」
「いや、ない」
「ないのに違うと言い切れる理由は?」
「そんなことも分からんのか?」
背の高い男が鼻で笑うと、後ろに立っている数人の男女も、見下すように笑った。
「あの街は、諦めの悪い奴らが巣食う場所だ。誰でも努力すれば必ず報われると触れ回り、鵜呑みにしたバカどもが集まる街。それがラッサルシティだ」
「努力することが問題なのか?」
「愚か者め、だからバカだというのだ。
人の能力は決まっている。努力で変わる部分などほんの僅かだ。才能も能力もない者がいくら努力したところで何も変わりはしない、何も成し遂げられはしない。ラッサルに行く者は、その事実が分かっていないバカども。あの街に行くおまえらもバカども」
背の高い男は、今度は肩を揺らして笑った。
「なるほど、あんたらの考え方は分かった。で、この森で分相応に生きてるってわけか?」
「そうではない。我らは解放を祈っているのだ」
「解放? 何からの?」
「能力は変えることができない、それを変えようとするから苦しむ。だから我らは、我らの神に祈るのだ。すべての人間を、その苦しみから解放する。マルキスの教えこそ悪の元凶よ」
「マルキスの教え? なんだそれは」
「ラッサルシティに行くのだろう? 自分の目で確かめるといい」
背の高い男は再び笑うと、森に戻っていった。後ろにいた男女も、ラディスとマイを見て鼻で笑うと、森に戻っていき、あたりは風の音だけになった。
「行こう。もう大丈夫だ」
ラディスは、マイのほうを向いて手を上げた。
「努力は必ず報われる……」
マイは、ラディスの隣に来ると呟いた。
「子供の頃、両親によく言われました。私がダメなのは、努力が足りないから。努力すれば必ず報われるって……」
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