第4章 まやかしのポジティブ(小説/ヒューマンドラマ/心理学)
-1- ティナルインの谷
町を出てから二時間弱。二人は途中から無言になり、黙々と歩き続け、ようやくエルブの言っていた谷の前に辿り着いた。
「ちょっと、疲れました……」
マイが両膝に手をつくと、ラディスは額に浮かんだ汗を拭った。
「かなり歩いたからな。急いできたのもあるし。けど、野宿はしなくて済みそうだ」
ラディスの視線を辿ると、コテージが並んでいる平地が見えた。谷から吹く風のせいか、少し白いものも見えるが、草原のようで、草の香りが風に乗って流れてくる。
「あれって、谷に入る人たちの?」
「そうだろうな」
受付棟らしい一軒を除き、全部で10軒あるコテージは、半分は明かりが灯っており、半分は暗闇と同化している。
「コテージを借りたいんだが」
受付棟に入り、ラディスはカウンターの向こうにいる女性に言った。
「お二人ですか?」
女性は一瞥して言った。
「ああ。けど、部屋は二部屋借りたい」
「あ~、すみません、今残ってるのは一つだけなので、二人同じコテージでしたら可能です」
「分かった、それでいい。
……悪いな」
ラディスは、少し後ろにいたマイに小声で言った。
マイは無言のまま頷いたが、予想していなかったことに、無表情、無感情を装った。
「よし、行こう」
鍵を受け取って、コテージに向かう途中も、二人の間に会話はなかったが、マイは、疲れているからなのか、何か思うところがあってのことか分からず、自分が考えていることも、まとめるだけの余力はなく、コテージに入ると荷物を床に下ろして、体は椅子の上に置いた。
「疲れた……」
「山に入って、下りて、ここまで歩いたからな。俺も疲れたよ」
言葉と相容れない表情で、ラディスはコテージの中を確かめている。動きにも無駄がなく、マイは口をヘの字にした。
「ラディスさん、本当は疲れてないでしょ?」
「いや、疲れてるよ。腹も減ってるし」
「そんなふうに見えない……」
「そうか? 別に隠してるつもりはないが」
「丸一日歩き回ってた人の動きじゃないですよ、そのテキパキ感」
「疲れを感じても、そのまま動くことはできる。一度座ると動きたくなくなるから、今のしんどさを耐えて動いてるってだけだよ」
「そういうものなんですかね……」
「風呂はすぐに入れそうだ」
マイがビクっとすると、ラディスは驚いた顔で、
「どうした?」
と聞いた。
「なんでもないです……」
「俺は飯を作る。寝てしまう前に、風呂に入ってきたらどうだ?」
「……そうします」
湯船も洗い場も、すべてが木でできた風呂は、木の香りとお湯の温かさが癒やしの空間を作り出しており、コテージという見た目からは想像できないほど心地よく、湯船に浸かっていると、そのまま眠ってしまいそうになる。
『明日は昼までに抜けるぞ』
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