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たんぽぽを、育てたい。
こんにちは。
ひでろうです。
キラキラしてる人、と言われたらどんな人を思い浮かべますか?
日々生活していく中で、「あ〜、あの人キラキラしてるなあ。」 「今の自分めちゃくちゃキラキラしてる!」 等々、そんなことを思う機会は多々あると思います。
その"キラキラ"とはなんなのか、僕がどう捉えているのか、そのことから、生きていくこととはどういうことなのか、という所を数回に分けて書いていきたいと思います。
前回の「今を生きるということ」に書いたことと通じるものもあるので、興味のある方はそちらも読んでみてください。
キラキラしてるってなんだろう?
この"キラキラ"って、"イキイキしている"、とか、"輝いてる"、とかの表現と似た感じがしますよね。ではそれっていったいなんなんでしょうか?
自分の人生において、そういったものを感じた時のことを思い出してみてください。
僕は、自分の過去を思い返すと、とても印象深いことを思い出します。それは、「今を生きる」ということを自分で体現した時の話です。
自分の中の本当の願いに耳を傾けて、その願いをただ叶えてあげる。
それを、自分の中で強く意識してはじめて実践してみた時のことです。自分自身がとてもキラキラしていたし、輝いていたと感じています。ここでは詳しくは述べませんが、その時は本当に心からイキイキしていたし、心からの喜びに満ち溢れていました。
、、とはいうものの、、そのことを上手く言葉で表現することができないまま、日々を暮らしていました。
そこで、先日『ザ・メンタルモデル』という本を読んだ時、まさにこれだ!という表現に出会いました。
人間が一番光ることができるのって、その人らしさなんですよね。命が全うされているというのが、一番美しいというふうに、人間は感じるようにできているから。だから、自然は美しいんですよ。タンポポは、タンポポで、精一杯生きるし。
あるがままの自分を見て、それを育んでいくことが大切なことだよ、という文脈の中で出てきた表現です。
この文章を読んだ瞬間、僕の頭の中に点在していたたくさんの点が、繋がったような感じがしました。言葉の力って凄いですよね。
自分らしさ、つまりありのままの自分、あるがままの自分を育て、それを全うすること。
これが「光ること」、つまりキラキラするということであると著者の遊佐さんは述べているんです。
じゃあ、自分らしさって何なんだろう?それを全うするってどういうことなんだろう?自然をヒントに見ていきたいと思います。この文中で遊佐さんがたんぽぽを使っているので、ここでもたんぽぽを使ってみます。
そうです、ここでたんぽぽが登場してくるんですね。笑
たんぽぽの話
ここで、たんぽぽの話を少しだけします。
春になると綺麗な黄色の花を咲かせるたんぽぽ。多年草であり、種類でいうと単なる雑草の区分に入るんですけど、とてつもなく生命力がある植物なんです。
たとえ、いくら踏まれても、そんなことをものともせずに花を咲かせます。
たとえ、動物に葉っぱをかじられたとしても、根元に芽があり、その芽が残る構造になっているのでまた育つことができます。
たとえ、地上部分を全て刈り取られたとしても、根を50cm以上も張っているため、またそこから生きていくことができます。
そのため、どんな環境でも、、田舎の土地にも、アスファルトに囲まれた都会の片隅でも、生きていくのです。
どんな困難があろうと、生き続け、花を咲かせるのです。
これが、たんぽぽです。自分らしくありのままの姿で、精一杯生きているたんぽぽです。
人間も、たんぽぽも、同じ自然界の一部分
僕たち人間も、そのたんぽぽと同じ、地球という自然界の中の環境に生を受ける有機体、生物です。
そう、人間は―人間も―、ともすれば忘れてしまうこともあるかもしれませんが、自然界の一部分です。
「今を生きる」上で、自分自身の本当の声を聴く、というのはその自然の声を聞くことだと僕は考えています。そして、その自然の声こそが、あるがままの自分の声なのです。
そのありのままの自分の声を聴き、「今を生きる」ためにはありのままの自分、自分らしさを育てていく必要があります。
人格を育む
ありのままの自分を、同じ自然界のたんぽぽと例えて見てみます。
たんぽぽが育つうえでまず大事なことは、種が根を張ることです。この根をしっかりと張ることで、育っていくための大事な土台が出来上がります。人間でいうと、この種、根の部分は人格ととらえることができるでしょう。
『考え方』で著者の稲盛さんは、この人格についてこのように述べています。
「人格」とは、人間が生まれながらに持っている「性格」と、その後人生を歩む過程で学び、身につけていった「哲学」から成り立っている(中略)つまり、先天的な性格に、後天的に加えられた哲学によって形成されている
生まれ持った自分らしさの種が「性格」で、そこから張っていく根が「哲学」であるととらえることができます。ここでいう「哲学」について稲盛さんは次のように述べています。
身につけるべき素晴らしい「哲学」とは、歴史という風雪に耐え、人類が長く継承してきたものであるべきです。つまり、(中略)素晴らしい聖人や賢人の教えのことです。
それとともに、その人間のあるべき姿を示した素晴らしい「哲学」を繰り返し学び続け、常に自分の中の血肉とし続けることが重要である、とも述べています。
つまり、自分らしさを育て花を咲かせるためには、多くのことを学び続け、根を太く長く張り続けることが必要不可欠であるということになります。養分を吸収し、根を伸ばし続けることが大切であるということです。
自分らしさを育む
この根っこが育つと、ついに芽がでてきます。自分らしさの芽です。芽を育てていくには、水をやり光を当てることが必要です。
水をやるという行為は、自分自身の声を聴いてやることだと考えています。そう、「今を生きる」ことです。あるがままの自分の願いを、小さな願いでもそれを叶えてやることです。(「今を生きる」ことに関しては、前回詳しく述べているので、こちらから参照ください。)
それを続けることによって、ありのままの自分、自分らしさ、芽がだんだんと育っていくのです。
(光を当てるということについて述べるには、まずはその光とは何なのか、という所から見ていく必要があるので、この部分を次回以降詳しく書いていきたいと思います。)
芽を、ありのままの自分を、自分らしさを育み続けることによって、たんぽぽは花を咲かせるのです。
そのようにたんぽぽが精一杯生きていくことが、命を全うしていくことが美しく、キラキラして、光り輝いているということになるのです。
(たんぽぽが花を咲かせるまでの過程、その中での困難を乗り越えること、そして咲かせる花についても、次回以降述べていきます。)
冒頭に述べたように、僕が「今を生きる」ことを実践した時に、イキイキとしているように感じた、生きる喜びを感じたのは、ありのままの自分という芽に水をやることができたからなんだと考えています。水を与えられたことによって、僕の中の本当の僕が喜んだのです。
たんぽぽを、育てたい
僕は、たんぽぽが花を咲かせていくために、自分らしさ、ありのままの自分を育てていきたいです。
そのために、今回述べたように、根を張り続けるために養分を吸収する―多くの事を学び続ける―こと、そして芽が育つように水をやりつづける―「今を生きる」―こと、これらを大切に生きていきます。
それを通じて、たんぽぽ―ありのままの自分―を育てていきます。
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長くなってしまったので、今回はここら辺でおわりにします。次回以降、光の話や花を咲かせる話を述べていきたいと思います。
おわり。
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