自分のRock’nRollの師匠 影響を受けたVocalist
こんにちは、Hideです♪( ´θ`)
中学の頃から、人前で歌ってきた私ですが…
ボーカリストとして格好いいなぁ〜と憧れたり、あんなアクションで歌ったらウケるだろうなぁ〜とか、お手本というか勝手にボーカルの師匠と崇めたシンガーの方達を紹介したいと思います。
ご存知の通り、永ちゃんがNo.1の目標でしたが、感受性の強いピュアな時期に出会った歌手の方々は、私に多大な影響を及ぼしてくれました。
それぞれ個性を持った素晴らしいボーカリスト達です🎵
今回は、師匠達をリスペクトを持って紹介していきたいと思います。
Rod" Stewar ロッドスチュワート 78歳
中学1年生で洋楽と出会い、初めて憧れた外国のボーカリストです。
イギリス出身のロックンローラーだったロッドスチュワートは、本当に格好良くて衝撃的でした。
白いマイクスタンドを鮮やかに振り回す、あのアクションは自分が描いていたロックシンガー像そのものでした。
顔もイケメンだし、ロック界のプレイボーイと呼ばれ幾度となく美女と結婚と離婚を繰り返しました。
サッカーが大好きで、ライヴではステージから客席にサッカーボールを蹴るなどの演出も外国だなぁ〜と衝撃を受けましたね。
若い時期には、サッカーが好きで、サッカーの試合を観に行くのにライヴをすっぽかしたりしたなんて逸話もあります。
日本では考えられないエピソードを持っているのにも憧れました。
初めて聴いた曲は、邦題「アイムセクシー Da Ya Think I'm Sexy?」で、当時はディスコブームで、ロッドも新鋭機材のシンセサイザーを取り入れたディスコ調のリズムにのって、ロッドがシャウトする曲です。
シンセサイザーの印象的なイントロメロディーが耳に残る、ロッドには珍しい名曲でした。
日本でも勿論大ヒットしました。私もアルバムも輸入版を購入しました。
邦題は「スーパースターはブロンドがお好き」
原題は「Blondes Have More Fun」マリリンモンローの映画の邦題「紳士は金髪がお好き」を文字ったのだと思います。
当時の洋楽の邦題なんて相当テキトーでしたね(笑)
とにかくマイクスタンドのアクションを交えて、ハスキーボイスで歌うロッドスチュアートは、HIde少年から見てもとってもセクシーなスーパースターでしたね。
ロッドの好きな曲では、前に紹介した「ホットレッグス」や「今夜決めよう Tonight's the Night (Gonna Be Alright)」「Sailing 」「Maggie May」などです。
マニアックなところだと77年のLP「明日へのキックオフ」に収録されている「You Keep Me Hangin' On」です。
1966年のスープリームスのカバーですが、見事にロッドの味を出したバラードに仕上がっています。
1977年のシングルのみでリリースしたビートルズの名曲「Get Back」がロッドによってファンキーでチープな雰囲気に仕上がっています。
これもまた格好良いのです。カバー曲も自分のものにしてしまうボーカル力はやはり凄いですね。
1997年8月16日、イギリスのウェンブリースタジアムで、ロックンロールの王様であるエルビスプレスリーの20周忌を記念したライヴで、ロッドと永ちゃんが並んで歌ったのを観た時は感激しました。
テレビに釘付けでしたね。
日本とアメリカのロックボーカルの師匠が共演したなんて、もう中年だった私にとって超感激した出来事でした。
因みにもう一人ボンジョビも一緒に歌っていました。世界のスーパーロックシンガーにも引けを取らなかった永ちゃんは、やっぱり”世界のYAZAWA”でした。
ロッドの矢沢に対する評価も高かったです。
共演後ロッドから矢沢に「今度一緒にツアーやろう」なんて言葉が出たそうです。
ロッドは現在も現役ですが、アメリカのスタンダード曲をアルバムにして、新たな世界に挑戦して成功しています。
永ちゃんもそうですが、バラードを得意とするロッドの魅力が一段と溢れますね。
世良公則 TWISTのボーカリスト 67歳
これも中学1年生の頃にテレビで観て、なんだこの人は〜と衝撃を受けたボーカリストです。
当時、ヤマハのオーディションからプロデビューするバンドやアーティストが多数いましたが、その中でも激しいアクションとしゃがれた声でシャウトする世良さんは格好良かったです。
男臭い硬派なイメージが、瞬く間に若い女性を虜にしました。
当時は、アイドル並みの人気でしたね。
78年当時のTBSザ・ベストテンで10週連続1位を記録した「銃爪」 (引き金)
やはりマイクスタンドを操るアクションが売りでしたね。
デビュー曲の「あんたのバラード」は、皮の上下を着て、ハンドマイクで空手風のアクションで歌っていましたが、2曲目の「宿なし」からマイクスタンドを振り回すアクションになりました。
そこで私が思ったのは、小学生の時に見た西城秀樹のマイクスタンドアクションが印象に残っていて、やっぱロックシンガーはマイクスタンドを振り回して歌うのが、スタンダードなんだなという認識が、私の中にインプットされました。
ロッドのマイクスタンドは白でしたが、世良公則はシルバーの艶消しでした。
因みに西城秀樹は、ロッドと同じ白。永ちゃんもロッドを意識したのか白です。
世良公則&TWISTで一世を風靡しましたが、そのデビュー当時、西城秀樹もアメリカのカバー曲で「ヤングマンYMCA」を白いマイクスタンドで歌っていました。
YMCAの文字を体で表現する為にマイクスタンドを使用したので振り回すことはありませんでした。
話はそれましたが、続々とロックな曲でヒット曲を連発するTWISTの曲はレコードも買いましたし、歌も真似ていました。
これが女子から大ウケしましたね。
修学旅行のキャンプファイヤーや文化祭でも、TWISTの曲はレパートリーからは外せませんでした。
Hide少年の得意な曲は「燃えろいい女」でした。
キャンプファイヤーでも歌った思い出深い曲です。
日本のロックンロールをお茶の間に届けたのは、まさに世良公則率いるTWISTが最初だったと思います。
演歌っぽい日本人特有な雰囲気があったからだと、私は分析しています。
永ちゃんはテレビに出ないことをポリシーにしていたので、大衆の面前でロックを披露して、多くのロック少年達に日本でもロックはウケる、ということを証明してくれたバンドでしたね。
今でも現役でロックしています。
歌も上手いのですが、ボーカリストの中でもギターの腕前はピカ一ですね。
アコースティックもエレキも器用に格好良く弾きこなすんですよ。
因みに世良は左利きなのですが、ギターは右用で弾いています。
Bruce Springsteen ブルーススプリングスティーン 74歳
アメリカ出身の米国を象徴するロックシンガーです。矢沢永吉氏と同じ歳で誕生日も9日違い(ブルース1949年9月23日、矢沢1949年9月14日)
二人の共通は、ニックネームが”BOSS” (ブルースはTheBOSS)ROCKなら「日本の矢沢 アメリカのブルース」と呼べる位の両国を代表するロックシンガーですね。
永ちゃんは、サントリーのコーヒーのBOSSから付いたのかもしれません。
一説によると、矢沢永吉のCM出演を前提に商品名をBOSSにしたという説も有ります。
サントリーフーズは、初のコーヒー飲料を発売することから、缶コーヒーで一番になりたいという思いからそうなったのではないか、というのが私の仮説です。
発売当初のCMのキャッチコピーは『缶コーヒーのBOSS」でした。
そしてCMには矢沢永吉がサラリーマン役で出演する。
ギャラは○億円という噂も有りました。
日本のロックの帝王矢沢永吉に多額のギャラを払ってCM出演を依頼するとは、当時のサントリーの本気度がわかります。
ブルースは、アメリカで6,400万枚、全世界で1億3,500万枚を越えるレコードセールスを記録するスーパースターです。
84年の大規模ツアーでは、興行収入でギネス世界記録で「世界で最も成功したコンサート」として当時認定されていました。
1985年にはアフリカを救おうと有名ミュージシャン達がノーギャラでレコーディングして世界中でヒットした「ウィーアーザワールド」にも参加しています。
曲中も独特のハスキーボイスで存在感を見せました。
ブルースはニュージャージー州出身で労働者階級の家族の元に生まれ育ちました。
労働者や農民の立場の楽曲が”アメリカンドリーム”のブルーススプリングスティーンをスーパースターまで押し上げたのかもしれませんね。
日本のミュージシャンも影響を受け、浜田省吾や佐野元春などの歌詞を聴いていると、日本版ブルースといった印象を受けます。
1980年の大ヒット二枚組アルバム「リバー」からシングルカットされた「ハングリーハート」は、佐野元春の「サムデイ」に酷似しています。
その割にはパクリだとかという話は聞かれなかったですね。
ブルースの偉大さが、そんな噂も起こすことさえ自然とさせなかったのでしょう。
佐野は当時「サムデイ」のヒットでやっと世間から認知度を得た頃で、アルバムサムデイが売れなかったら歌手を辞めようと思っていたらしく発売した崖っぷちで生み出した曲だった。
私の個人的な批評だが、スケール感にあふれた「ハングリーハート」に対して「サムデイ」は楽曲としてのクオリティーとしては、ブルースをも上回る出来だったと感じています。
いつか自分も日の当たる場所へ行きたいと思う佐野は、気持ちはハングリーだったのが共通していたのだと感じます。
後に、佐野は和製ブルーススプリングスティーンなどと呼ばれるようになったのも、都会の片隅で、誰からも目立たず働く男の様子を描いていたのが、ブルースの労働者の歌に重なったのでしょう。
浜田省吾も佐野よりキャリアは古く長いロック界の苦労人だが、私的には和製ブルースは浜田の方が似合っているという印象を抱く。
ロッドなどに比べると荒々しいワイルドな印象がするブルースだが、バラードを聴くと身近に感じる切なさがある。
母国愛と庶民の気持ちに寄り添った感じの歌もあります。
そこがアメリカの民衆から支持される要因かもしれませんね。
いずれにしろ、偉大なアメリカいや世界のロックンローラーですよね。
まだまだ歌っていて欲しいものです。
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