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杜の都のRocknRollerが青春時代に聴いた邦楽ROCK名盤 80年代前期~中期編

⑪P.M.9 / 矢沢永吉 1982年7月10日リリース オリコン最高順位週間1位 オリコン1982年度年間順位12位

もうこれは私の嗜好で選ばせていただきました(笑)

矢沢永吉のアルバムから選ぶのは非常に難しかったです。

出世作の「ドアを開けろ」か、時間よ止まれ収録の「ゴールドラッシュ」か、名曲揃いの「アイラブユー’OK」か迷いましたが、ウエストコーストサウンドを輸入した名作「PM9」を選ぶ事にしました。

1981年から活動の場をアメリカに移し、これまでの矢沢サウンドを一新し新たな境地に挑戦して、仕上がった80年代のYAZAWAを代表する傑作アルバムです。

ドゥービ―ブラザースのメンバーを引き連れ、武道館で行った凱旋ライブも日本のロック界では歴史に残る事でした。

最初にこのアルバムを聴いた時、当時の日本のロックでは出せなかった音にはぶっ飛びましたね。

これが本物のロックの音か~と感じましたね。

ドラムのスネアの音、ギターの滑らかで洒落て煌びやかな音色は、当時の日本のミュージシャンや、サウンドエンジニアには出せなかった音です。

アメリカとの感性の違いを、まざまざと感じさせられました。

野球で言えば、メジャーリーグに日本人が初めて参加したみたいな感じでしたね。

アルバムのオープニング曲の「WITH OUT YOU」のイントロのギターカッティングは、キレのあるゴキゲンなサウンドでした。

実際、宮城県スポーツセンターで、PM9ツアーを観ましたが、アメリカ人の中で歌う永ちゃんは、外国人の中にいても、見劣りする事無く凄くイカしてました。

日本のロックシーンでは革新的な出来事でした。

⑫MELODIES / 山下 達郎 1983年6月8日リリース オリコン最高順位週間1位 オリコン1983年度年間順位7位

大瀧詠一氏と並ぶミュージシャン兼エンジニアもこなす山下達郎。

1980年のアルバム「RIDE ON TIME」(後にキムタクのドラマ主題歌で再ブレイクした曲)でブレイクして、1982年に全曲英語詩の「FOR YOU」で商業的に成功。

このアルバムからシングルカットとして、この年の12月にリリースされた「クリスマスイブ」は、アルバムのラストを飾っています。

当時はそれほどクリスマスイブは注目を集めていなかった気がします。

本来は1981年発売の、妻である竹内まりやの為に作られた曲であったが、結局使われておらずもったいないので山下自身が歌う事になった。

この曲がJR東海のCMソングに起用されたのは、1988年。

「クリスマスイブ」は、再発を繰り返し累計販売枚数300万枚とも言われています。

2016年に「日本のシングルチャートに連続でチャートインした最多年数の曲」でギネスに認定されている。

私は、このアルバムを発売して即購入しました。

「クリスマスイブ」は良い曲だなぁ~と思いつつ、しばらくしてからヒットしたので、気づくの遅いよ~と思っていましたね(笑)

「悲しみのジョディ―」など、シングル曲「高気圧ガール」の他にも聴きごたえのある曲が満載である。

前作「FOR YOU」と比べ、日本語の詩なので、誰にも聴きやすいアルバムです。

⑬BRASH BOY / HOUND DOG 1983年7月1日リリース

こちらも私の趣味嗜好で選ばせていただきました。

彼らの5枚目のアルバム。セールス的にはさほどでしたが、後のハウンドドッグの礎となる傑作アルバムでしょう。

ffでブレイク後も、このアルバムの収録曲は、全曲ライブで披露されている。

このアルバムが発売後の11月に初の日本武道館公演を控え、目標に向かって突き進むパワーが感じられる一枚です。

私もこの初の武道館ライヴは観に行きましたよ~♬

当時、ハウンドドッグの本を書いた藤沢映子氏が、この夜のライブを”処女と童貞の夜”と呼びました。

「BrushBoy」というアルバムタイトルだが、野球好きのボーカル大友康平が付けたもの。

野球で、投手が打者の内角をえぐるボールをブラッシュボールと呼ぶ事から、聴いているオーディエンスをのけぞらせたいという気持ちからこのタイトルを付けたと、大友は語っている。

二年後、メンバーチェンジをしてフォルティシモでブレイク、アルバム「sprit's」が大ヒットしたが、そこからは、ギターの八島順一とキーボードの箕輪単志のみが作曲するようになった。

デビュー当時からのファンとしては、メンバーチェンジ後は、たしかに演奏能力は向上したものの、メンバー全員が作詞作曲をしていた頃に比べ、楽曲のバリエーションが減ってしまった感は否めない。

特に元ドラマーの藤村一清は多くの名曲を手がけていた。

このアルバムのオープニング曲「ラストヒーロー」はライブ終盤に使われる定番曲。

ベースの鮫島秀樹と大友康平が一緒に歌う事が恒例になっています。

私個人では5曲目の「ジェラスガイ」8曲目のシングルになった「STILL」9曲目の「Jのバラード」がお薦めです。

ハウンドドッグが好きでフォルティシモからしか知らない方は、一度是非聴いてみて下さい。

このアルバム知らずしてドッグファンは語れません。

⑭十七歳の地図<SEVENTEEN'S MAP> / 尾崎 豊 1983年12月1日リリース

1982年CBSソニーオーディションに合格し、須藤晃氏プロデュースによるファーストアルバム。

デビュー曲「15の夜」、「I LOVE YOU」、「十七歳の地図」収録

後にオリコンでミリオンを記録するが、発売当初は、事務所がプロモーションに力を入れておらず、大型レコードショップでしか販売されていなかった。

尾崎は美少年だったので、アイドル路線とは一線を画す為、未成年の時期は、写真は白黒とされていた。

アルバムジャケットも、イラストで少年が壁を超えている場面が描かれていて、本人の写真を使用しない戦略がなされた。

私がCBSソニーでアルバイトを始めたのは1984年3月でちょうどシングル「十七歳の地図」が発売された時期で、ソニーの営業所の皆が口々に「尾崎は凄い」と言っていた。

私には、凄さがよくわからなかったが、あまりにもリアルな歌詞と、これまでにない若者のパワーや切なさや儚さを描かれていた曲には、驚きを覚えました。

ちょっと暗いイメージがしましたが、今の米津玄師みたいな雰囲気を感じましたね。

ラジオに出演した米津のコメントを聞いていると、尾崎と似た様なことを話していました。

「ライブを観に行っても、前の方で盛り上がるのじゃなくて、会場の後ろの方で静かに観ていたい」と語っていた。

尾崎も「自分は協調性が無く、一人でいる事が好きだ」とラジオ番組で話していた。

同級生仲間の間では、明るくて楽しい奴と言われている。

次作の「回帰線」はリアルタイムで大ヒットし、尾崎をスターダムにのし上げたアルバムでした。

尾崎自身はこのファーストアルバムを最高傑作と自画自賛しており、亡くなるまでファーストを超えるアルバムを制作したいと言っていたそうです。

今でも時々聞きますが、未成年にしてこのような素晴らしい楽曲を作るとは、やっぱり尾崎は天才だと感じます。

うちの息子も「僕が僕であるために」を良くカラオケで歌うそうです。

良い音楽は人から人へと、世代を超えて繋がっていくのだな~と、切々と感じました。

尾崎に関しては、また違う機会に記事を出したいと思います。

これは間違いなく尾崎豊、いや昭和の終盤を飾った名盤のひとつでしょう。

⑮REBECCA IV 〜Maybe Tomorrow〜 / REBECCA 1985年11月1日リリース オリコン最高順位週間1位 オリコン1985年度年間順位45位 オリコン1986年度年間順位3位 売上枚数:130万枚

80年代の中でも、数ある女性ボーカルのロックバンドの中では一番成功したのは、やはりレベッカでしょうね。

ヒット曲でドラマの主題歌「フレンズ」そのドラマのエンディングソング「ガールズブラボー」を収録。

私個人は「76th Star」が好きでしたね。

エンディングを飾るタイトル曲「Maybe Tomorrow」も、若い女性の切なさを感じる良い曲だと思います。

レベッカは私がソニーでバイトし始めて間もなくのデビューで、私はいち早く知る事が出来たのですが、当時は曲調も違い、かなりマニアックなバンドだな~と感じていました。

「ウエラムボートクラブ」でデビューしましたが、85年にギタリストとドラマーが交替して大分イメージも変った感じでしたね。

キーボードの土橋安埼緒夫がサウンド面では中心だったのかなと感じます。

かなりシンセサイザーの音が際立っていましたね。

しかし、このバンドの演奏能力の高さは、素人の私から見ても分かるくらい素晴らしいと思います。

ボーカルノッコのシンディーローパーやマドンナ風の衣装も派手で目立っていましたが、独特な声とダンスパフォーマンスはステージで映えていましたね。

ビジネス面だけでもなく音楽性においても観ている我々を引き付ける魅力に溢れたバンドでしたね。


*因みに、CBSのオーディションから、今回紹介したハウンドドッグや尾崎豊、レベッカの他、大江千里や村下孝蔵・爆風スランプ・白井貴子・バービーボーイズ・聖飢魔Ⅱ・エレファントカシマシ、XJAPAN等錚々たるアーティストを輩出している。
私は82年にテープ審査で落選(笑)


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