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書けない時期を超えて

大学時代にタグ打ちでホームページに日記を書いたら友達に

「めっちゃ面白くて楽しみにしているよ!」

そう言われてからmixiやブログ、Facebook、Instagramそして、noteと様々なSNSに触れてきて。

必ず、書けない時期とぶつかってきた。

いくつかやったブログなんかはそのままフェードアウトになった。

「継続できない。」

このワードは昔からつきまとう。

コツコツが苦手なのだ。

三日坊主の代表。

そう自分でも自覚がある。

やはりこのnoteでも同じ現象が起こった。

思い返せば小学校時代。

教科書の谷川俊太郎さんなどの詩に触れて
最初は授業で書いたのがきっかけで詩をひたすら書くようになり。(先生がファンだと言ってくれたのは嬉しかった)

クラスの劇の台本を書いたり。

手書きで作文用紙や絵日記帳から始まり、小3くらいの時に父がくれたお下がりのワープロで、ひたすら何かを書いてた。

小説も書いてたが、残念ながら最後までは書けてない。

この中途半端さをダメだと思っていた。

もちろん、小説家には向かない。

何百ページも書いて一冊の本にまとめあげられることは本当に尊敬しかない。

楽しませてもらう側として心からのリスペクトをもって読むことを堪能させてもらっている。


この書けない時期、継続が途絶えてしまうこと。

それをあまり良くないものと思っていた。

のだが、なんだか最近

「それが自分自身なんだよな。」

と、逆にそう思うようになった。

自分の特性。

だって、書くことはすごくパワーがいるのだ。

読み手にも読みやすいように。
伝わりやすいように。

そう考えるから投稿するまでに何度も読み返す。

文章は表情が見えないから
誤解を招く表現になってないか。

誰かを傷つけてしまう表現になってないか。

過去の苦い経験もあって
何度も読み返す。

さらにメモ帳にまでコピペして
何度も読み返す。

果たして投稿しても良いものなのか。

そこまで自分自身で自問自答しながら書いている。

そう気付いた。

だからこそ、書けない時期もあって普通だと。


単純にパワーが枯渇していたり
取り巻く環境が変わったり

誰かに発信することよりも
自分自身と向き合いたかったり。

そんな時間も必要なもので。

まったく悪いことではない。

そもそも生業としているわけでもなく
別に書かなくたってよいのだから。

なんだか、そんな風に思えた。

そう思えたら、また書きたいなって思ったので。

書いたり書けなくなったりしながら、またnoteを続けていきたいなと思う。

「書くことが好き。」

それはずっと変わらないことがわかったから。

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