ある日、隣のクラスの担任のY先生は私の書く詩が好きだと言った。
何故、隣のクラスの先生が私の書いた詩を読んだのかはわからないが、そう言ってくれた。
雪が降った日、なんとなく休みたくて仮病を装い体育を見学した。
そしたら、何故か居合わせたY先生が「こんな日に外で見学は寒いだろう」と言った。
そして、連れてってくれたのは校庭が見渡せる校長室。
「ここで、詩でも書くといいよ。」
とY先生は笑って言った。
「ファンだからたくさん読みたいんだ。」
作文用紙もたくさんくれた。
わたしはこんな部屋にいてよいのかと、戸惑いながらも、雪の中で体育をするクラスメートを眺めながら、詩を書いた。
ふかふかの校長先生の椅子に座って。
みんなが雪合戦を始めたものだから、「あ、やっぱり休まなければ良かったかな」とちょっと後悔しつつ。
暖かな部屋で詩を書いた。
◆
図工のD先生は変わった先生だった。
「僕はアンドロメダ星雲第三王子デリーちゃんだ。」
大真面目にそうのたまう。子供みたいなおじいちゃん先生。
「デリーちゃん。デリーちゃん。」
みんなそのことを普通に受け入れて、先生にまとわりつく。
工作準備室はアトリエのように先生や子供達の作品が展示され、常に珈琲の香りが漂う。
その部屋に入るのも好きだった。
大好きな図工の授業。
わたしは一度環境ポスターを作って、佳作に入選した。
「ゴミから生まれたゴミラ」
新聞紙をちぎったり、ゴミを貼ってゴジラを作って、「たいへん地球が食べられる」と添えたもの。
それ以来、先生は私に期待をしていた、と思う。
私の自由な発想に。
ある日「教科書に掲載する工作を作ってみないか?」と声をかけられた。
私は困った。とても困った。
トイレットペーパーの箱とプリンの容器と色紙で作ったのはカニ。
先生の顔に少し落胆の色が浮かんだ。
さぞ、自由な発想の工作が出来てくると思っていたのに、無難なクオリティのカニだったからだ。
そう、実はポスターのアイディアは父の手助けによるものだった。
わたしには自由な発想などないのです。
自由な発想を持ってたのは父なのです。
あの時は騙してごめんなさい。先生。
でも大好きなあなたの授業で、大人になってもずっと自由を心から楽しむことを学びました。
◆
「お前クロール泳げないのか?」
クラスの水泳リレーで25mをバタ足のみで泳いだ私を見て担任のK先生は言った。
幼少期習っていたスイミングで不幸なことにトラウマがあった。
コーチに足で沈められて苦しかった。
プールを浅くする台にぶつかって、上の歯茎をえぐった。
あとは夏に火傷やスネをえぐるなどの大怪我をして、夏休みのプールに何年か参加出来なかった。
そのため、バタ足以外の泳ぎ方を知らなかった。
既に小5なのに。
K先生は言った、「夏のプール教室に来い。」
そして、2学年も下の3年生のクラスに入れてくれた。
恥ずかしかったけど、そのおかげで泳げるようになった。クロールだけでなく、平泳も。
そして、プールの後、「ちょっと来い」と給食室に連れて行かれた。
スイカをくれた。
甘かった。
そんな夏休みの思い出。
◆
これは、全て私の小学生の頃の実話だ。
本当に校長室だったのかどうか(教頭室だったかも?)とか、夏休みに給食室に何故スイカ?とか細かい部分は自信はないけれど、まぎれもなくわたしが出会った先生たちとの思い出。
まだまだ沢山あるけれど、特に心に残っている大切な思い出。
学校がどうあるべきかとかではなく、こんな先生たちに出会えたから、学校が楽しかった。
学校が好きだった。
こんな温かな交流があったことが私の糧になっている。
最近は色々制約が多くなっているけれど。
学校というのは色んな友達との出会い。認めてくれる、受け入れてくれる大人との出会い。
そんな場であって欲しい。
私はそう願っている。
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