「犬ヶ島」の感想。
ウェスアンダーソンの映画を見続けてきて5作目の今回は、ストップモーションアニメの「犬ヶ島」を見ることにした。
映像を見てまず最初に「確かに〜」と思った。
ウェスアンダーソン映画の統御された画面と、1フレームずつ配置を微調整して動きを作っていくストップモーションアニメって、確かに親和性が高そう。
話の感想。野生を奪われたままの犬。
話は、まあまあまあ、と思いながら見ていたんだけど、最後で急にグチャグチャになっててウケた。
ウェスアンダーソン的なオシャレさやストップモーションアニメにつきものの寓話性が表層を覆っているとはいえ、結構シリアスな世界のはずだったのに、クライマックスではハッカーが毒ガス攻撃を防いでドヤ顔をかまして、初出の謎の法律でアタリ少年が新市長になって全てを解決していた。何だこれ、もう何もかもどうでも良くなっちゃったのか?
冒頭の昔話で、「犬は野生のものだったのが、ペットに貶められてしまった」と語られていたのが印象的だった。
犬からすると、人に仕えるのは元々不本意なことであったらしい。だとすると、アタリ少年が作中度々行っていた餌付けや、彼とチーフ達との最終的な着地点(主従関係)は本来であれば犬にとって理想的な形ではないということになる。
ハッピーエンド的な演出をされた終わり方ではあるんだけど、幸せにしても不幸せにしても、それらは全部、かつての犬の敗北を前提とした相対論でしかないっていうしょうもなさがあった。
(この結末を犬達の積極的な妥協として好意的にみるのは苦しい、だって現代の犬達は、ペットとして生きることを、自らの価値を貶めることだと理解してすらいないから)
薄々感じていたけど、この監督って結構性格悪いのでは?
日本語の使い方について。
英語圏の観客達がこの映画を見ると、犬の言葉は聞き取れるけど、人間の話す日本語はわからないというねじれた印象を受けるんだろう。
だけど、この映画を日本語圏の観客が見ると、人間の話す日本語は親しんだ母国語として、犬達の話す英語は異国語として聞くことになる。ねじれにねじれが重なることで、結果的に普通の映画っぽくなってるのが面白かった。裏の裏は表的な。
面白かったんだけど、実際には人間達の話す日本語に英語の同時通訳が被さってくるせいであまり日本語を聞く機会はなかったのが残念。(それこそ英語字幕をつけるだけで良くないか?)
あとアタリの声には日本語話者を使って欲しかった。
その他、細かな感想。
・威厳のある少年とやさぐれた野良犬のコンビは最高だった。
・日本描写も面白かった。
寿司そのものではなく、その作り方に注目するあたりにセンスが出ていた。
・最後にスポッツ達にご飯をあげる神主が謎に険しい顔をしてて、何でだろうと見返してみたら、冒頭の猫神社の神主と同じ人だった。なるほど。
・父から子への腎臓移植、正義は違っても臓器は同じ、同じ人間だね。みたいな?いい話どすな〜。
・画面上に映し出される日本語のテロップに、小さく英語字幕が付いてくるのがなんかいいなって思った。
・七人の侍の音楽が使われていて、チーフはもろに菊千代と重なるような描かれ方をしていた。(1人だけ野良だったり、みんなでご飯を食べるときに、1人だけ離れた場所にいたり)
だけど七人の侍って、主人を持たず死に場所を求める侍達の哀しさ、みたいな話なので、今作のチーフの辿る変遷には合っていない。これは菊千代君願いを叶えられてよかったね、と受け取るのが妥当か。
最後に。
ウェスアンダーソンの映画の感想を連続して書いてきたけど、ひとまずこれで満足。2本前に見た「ライフ・アクアティック」があまりに面白すぎて、これを超えるやつは無さそうだなと、何となく山を登り切った感じになってしまった。
ファンタスティックMr.Foxにもちょっと興味があるけど、それを見るのはまた今度でいいかな。
近いうちに個人的なウェスアンダーソン観を書いて締めようかなと思う。
以下、これまでに書いたウェスアンダーソン映画の感想。