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AKIRAが歌う開催迄147日のこの日、僕は八王子のレコード屋で彼と出会った

今日でちょうど東京オリンピックまで147日。後はAKIRAくんが覚醒するのを待つだけとなる。僕は周りにいる親しい人間に、今年、特にオリンピック開催期間についてはその前後も含めて日本から離れた方が良いと伝えている。

・毎年、その破壊の規模を増していく台風等の天災
・関東近郊におそらく100年ほど来ていない大地震
・東京オリンピック開催による都心部の混乱
・改元直後

以上の事柄を考えると、AKIRAは別に大友克洋の予言でも何でもなく、彼を含めてかつてのSF作品に関わった一部の冴えた人々には確実に”見えていた”ことなのだ。そしてそれは作品の中で繰り返し”警鐘”が鳴らされている。後は、これらの伝承と、その伝承を語り継ぐに値するだけの外部事象を各自がどう捉えるか、ということだけだ。

僕の親しい友人はすでに五輪期間、日本を離れるためのチケットを手にしている。どうするかは個人の自由。僕はまだ決めていない。崩壊するならそれとともにあるということも、物語としては美しいとも思うからだ。

僕らは結局、どう生きるかということを問われている。


朝、起きて本を読んだ。

”ものおと”を聴き、”もの悲しさ”を感じることができたはずの日本人が、よく分からないデマに踊らされてトイレットペーパーを買い占める今日まさに起こっていることと何の関係があるのだろうか、と考えながら。

昼には”浅草おと”へ行き、定例ミーティング。

そしてその後、特に予定がなかったので、昨夜から下記に行こうと思っていた。

ドキュメント番組で彼の作品と生前の彼の姿を見た。子ども向けの絵本であるにも関わらず生物学、科学的な考証をしっかりと行い、それを間引くことなく、かつ分かりやすく絵本という形にしたしめていく彼の作業は神に近いもののすることだった。すでに形而下の人ではないが、その作品が遺作も含めて展示されているということで、中央線で八王子まで行った。美術館までは歩いて12, 13分ほど。

そして、臨時閉館であることを知った。
理由はもちろん大流行しているアレだ。

かこ先生は、遺作として地球上の全ての生物の類型について時間軸を遡る巨大絵巻をつくっていた。その生物絵巻の中にアレは登場するのだろうか。もしくはアレに意思があるとすれば(個としては無いと判断できるが)、その末端の傍流に位置づけて描かれている人類について、どう思っているのだろうか。


さて、せっかく八王子に来てやることも無くなったので、レコード屋でも探そうと、うらぶれた道を歩くこと7, 8分、ソープランドが軒を連ねるその一角にその店はあった。

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味のあるエレベーターに乗って6Fまで上がると、雑然とした空間にレコードが並んでいた。右に眼をやれば、5Fにあるスタジオが空くのを待っているバンド連中が練習前の独特の期待と不安の入り混じったテンションで、それぞれの自己主張をしていた。

僕がレコードやCD, カセットテープを見繕っていても誰も気にしない。客は僕しかいない。スタッフは1人しかいない。しかし、その店、隣のバンドの若い子がたむろしているラウンジも含めて、そこにいる全ての人のものではないなんともいえず濃く温かい気配があった。

帰る道すがら、このレコード屋にまつわる情報を調べると、名物オーナー店長が2014年に亡くなっていたことが分かった。彼のことを懐かしく思う文章もあったし、彼自身がSNS上で表現したものも残っていた。

彼と僕は、どこで出会ったということになるのか。
それでも僕は彼と出会ったのだ。

5Fのスタジオから、シンプルだけどエモーショナルなコード進行が聴こえた。想いも力も感じさせる、とてもいい感じだった。

それを聴いているのかいないのか。僕がいた6Fのラウンジで待機する若者の一人は、しきりに歌っていた。

ボールを相手のゴールにシュート

エモコアだったり、千の風になって、のパロディだったり、それはそれは様々なアレンジだった。思わず笑ってしまう。

彼の歌う声を聞いて、そのレコード屋にあった雰囲気、色というのか、また少し濃くなったように感じた。亡くなった彼がインターネットに残したかけらからからサッカーが誰よりも好きだったことが分かる。

僕は彼と出会ったのだ。

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