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密教という、巨大な「真意」を追求してみる@苦行するだけで、それが描けるのか、実践的に考えてみるのだ。    講座「仏教と日本の関わり」はいかに?その8

「性」がタブーである理由づけ

一般的に文明社会においては性の分野はタブーだし、
これを前面に出すのは破廉恥だというのが
ルールであるのは否めません。

何故なら、人は社会を作り「人間」という
進化の選択肢を採ったわけですから、
子孫を保存させるためには、
生殖行為そのものを社会的な観点で
コントロールする
必要があるわけです。

これは社会的生物として進化を遂げた
「ホモサピエンス」の宿命
でもあると言うことです。
したがって、たとえば婚姻という制度がうまれることによって
持続可能性を作り出していったというわけです。

人間に限らず、少なくとも子育ての間においては、
「つがい」を作るのは生物のなせることであり、
優性遺伝を確保するために人間は「婚姻」という制度を
作り出した
のだという事だというわけです。

性道徳は、人間の都合で創り出されたもの

 しかし、これらは「宇宙摂理の観点」から言えば、
ほんのいっときの現象でしかありません。
あの偉大な「ゴータマブッダ(釈迦如来)」ですら、
宇宙の一部でしかないというのが「曼荼羅」なんです。

その観点から言うと、人が子孫を残すためには、
必ず性行為が必要だと言うことは「まったくの真実」です。

性行為に拠らないで生まれた人がいたとしたら、
まさに見てみたいですが、
ある宗教の立場からは、
「処女受胎」というファクトもありますから
突っ込むのはやめます。

ただ、あたしの知る限りでは見たことがありません。
ですから、性行為そのものは現実としてあるので、
それに対する思いというのは
まったくの「後付け」である
わけです。

そのものは白でも黒でも何色でもない、
色を付けるのは人の心の迷いである。
ですから般若理趣経では
いきなり「十二清浄句」をガン!と
突きつけるわけです。 

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性行為そのものは自然の理によるもの

であるから、こういった性行為をタブーとせず、
むしろそれを儀礼化して
ありのままに観じようという立場に立ったのが
「真言立川流」だったというわけです。

また、この観点そのものは
ヒンズー教における「シヴァ神」の信仰
もとになっているとも言われていますが、

敢えて言ってみれば
「普通の人は関わらない方が良いよね」
と言うくらい難解であり
先鋭化した考えであったともとらえられ、
立川流は結局「邪教」扱いされてしまいました。

ただ、この立川流を主催していた文観に、
後醍醐天皇が帰依していたという記録も残っております。

 性に限らず、なににおいても
それそのものは必ず有って然るものである以上、
それはそのまま「真理」であると言うことです。

問題になるのは、「真理」に対する心のあり方

問題なのはそれに対して、
良いだの悪いだの、貴賤を決めるような
「分別」の目でとらえることだと言うことでしょう。

さらに言うならばそれらを
ポルノ化してしまうことに
迷いがあると言うことなんです。

すべてのものにはそもそも優劣とか、
汚いとか清いとか、
そういうものはもともと存在しない
のです。

そういった真理の中に生きているにもかかわらず、
人を含めた諸々の存在は、
その中のちいちゃな領域に拠って立っているのが
今の現状なのでございます。

その領域それぞれにちゃんとそこを「鎮護」する存在があり、
即身成仏への道筋を守っているのだというのが
「曼荼羅」で表される宇宙なのです。

密教の加持祈祷とは、
これらの拠って立つ領域の守護を
行なっているのだと言うことなのです。

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したがって、これに応えるためには、
人はそのおのおのの領域にしたがい、
真摯な努力を不断にしていくことが
肝要なのだと言うことが、
たとえば「八十八箇所巡礼」などのかたちをとって
象徴的な実践行として体系化されているのです。

身近に「分別」の種はないか

最後にもし、
これらの密教的な「全肯定」「大楽」のような
感覚を観じるのであれば、卑近な例でいえば、

「オリンピックとパラリンピックの違いとは一体何なのだ」
という命題に行き着くことかも知れません。

これらを分別することは何か、
また、これらの違いとは「根本的」になにが違うのか
と言う事です。

即ち、「スポーツとはなんだ?」という観点から
この両者を見比べ、その違いの定義こそが
まさに迷いのもとになる「分別」ではないのか。

という事まで思いを巡らす作業が出て来るでしょう。
ぶっちゃけ、「じゃぁ、やってみろよ」
というような感じでしょうか。

まぁ、おぼろげながら推察するとするならば、
胎蔵界と金剛界の曼荼羅の違いであるのかもしれませんね。
そして、加持祈祷とはあたしたちが、
コンサートでシャウトするような、
非日常な「一瞬」に身をゆだねることでもあるのかな

という事を何となく最近思うわけでございます。

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