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「恵方巻」がどうしてもなじめなくて、節分とは何かを考えてみた。

「節分」ってなんだや?

 時節は2月に入ろうとしています。
そういえば幼稚園や保育園のそばを通ると、
鬼の扮装をした先生たちが
そっと物陰で待機してるのも風物詩になりました。

今年はコロナ禍の影響で、
例年とはかなり様変わりしたものになるのでしょうが、
節分は子どもたちの年中行事には、欠かせないものではあります。

まぁ、節分といえば、
鬼は外~福はうち~。
って唱えながら豆まきをするってのがごく一般的ですよね。

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ところが最近は「恵方巻」なるものが目立つようになりまして、
はて、自分が幼少の頃にこんな風習ってあったかしら?
なんて首をかしげてます。

後で述べますが、コイツはバレンタインチョコと、
クリスマスケーキなどの
商業ベースであることは確かなことなんです。

まぁ、「福を呼ぶ」という点では、
かろうじて「節分」にリンクしてはいるものの、
この風習は相当無理がある事だけは
確かなことでございます。

「節分」は年4回ある

さて、お話をもどしますと、
そもそも「節分」というのは季節の変わり目を指す言葉でして、
春夏秋冬の最後の切れ目。

すなわち、立春、立夏、立秋、立冬の前日を「節分」と呼ぶんです。
したがって、節分は年4回あるということなんです。

で、なにゆえ2月の節分が目立つのかというと、
2月の節分の翌日は「立春」だからなんです。

すなわち「季節の大晦日」ということになるんですね。
ですから、1年の季節が一巡りし、
新たな春を迎えるわけですから、
この日は1年分の「厄」を祓って、次の日は
福徳に満ちた新たな「四季の始まり」を期そうという
「厄払い」の日なんです。

厄災の権化といえば「鬼」でございますから、
その鬼を追い出すことは、まんま「厄払い」になる訳なんですな。
まぁ、ぶっちゃけ「厄払い」の行事であれば、
何でもいい
わけなんでございます。

 そもそも古からこの日には、
「追儺(ついな)、鬼遣らい」と呼ばれる行事が、
各地の神社や寺院で執り行われてきました。

この追儺という神事は、もともと中国のもので、
唐時代の宮廷では、節分の日に、
熊の皮と金の面、赤い装束の「方相氏」というものに扮装して、
矛と楯ををもち、疫の楯を追い払うという行事がございました。

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で、日本の朝廷にも、この方式が
取り入れられたというわけなんです。

特に「続日本紀」では、文武天皇の御代、
慶雲3年(706)に、全国で疫病が流行したので、
年末の晦日に土牛を作り、鬼遣らいを執り行ったという記録があり、
これを中国風のやり方で行ったという事が知られております。

また、寒気払いの意味も併せて持たせたともいわれております。
そして家で行う「豆まき」は、この行事の簡易版というか、
普及版とも言える行事でございまして、
古くは室町時代の文献にも、
豆まきが行われていたという記録が残されております。

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また、豆まきに関していえば、
本来は除夜の大晦日にも行われていたそうです。
それが「立春」の節分に統一された。
というのがおおかたの経緯であろうといわれています。

「疫病」の象徴が「鬼」。だからこれを追い払う

さて、この厄除けの行事が、
いわゆる節分のメインだとすると、「焼嗅(やいかがし)」
という風習もございました。

今ではほとんど行うことも無いでしょうが、
一般的にはイワシの頭を
柊の小枝に刺して火であぶって少し焼いてから
それを家の入口にさすというものです。

その他、ニンニクとかネギ、らっきょうという
においのきついものを門口に置くという風習が「焼嗅」です。

これも悪霊や邪気が、そのにおいを嫌って、
家に入り込めなくさせようという、まじないです。
まぁ、これも大事な厄払いですが、
さすがにこれを一斉に都市部でやられたんじゃ、
たまったもんではございませんね。

さて、昨今「節分」といえば・・
豆とは別に台頭してきたのが
「恵方巻」と呼ばれるものなんですが、
なんと現在6割もの方が節分に恵方巻を召し上がるんだそうで、
あたしとしてはこっちの数字の方が驚きで、
どこかのお役所みたいに「偽装統計」してんじゃないの?
とまで疑ってしまいますな。

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なにかしら一本まるまるの「太巻き」を「今年の恵方」を向いて、
無言で食べろというのが「招福」のおまじないなんだそうですが、
あたしとしては「奇習」としか思えない風習でございます。

そもそも切ってもいない太巻きなんか
丸ごと一本なんか食べられっこありませんので、
我が家ではこの「恵方巻」なるものは未だかって、
購入したり、調理したことも、
このように食べたこともございません。

「恵方巻」の謎。こんな風習いつできた?

そもそも「恵方巻」の名称・由来は
1998年(平成10年)にセブン-イレブンが全国発売にあたり、
商品名に「恵方巻」とつけたことに始まる
といわれています。

そもそも「恵方巻」などという言葉は
これ以前のどの文献を調べても見当たらない代物でして、
同様のものは、大阪地方の地元において、
単に「巻き寿司」とか「丸かぶり寿司」
と呼ばれていたものがございます。

昭和の初期に大阪の寿司店や鮓商組合が配布したチラシに
「縁起物」として販促した経緯があり、
これには「巻き寿司の丸かぶり」という記載が見えます。

これが戦後大阪の海苔商人らが中心になって組織した
「大阪昭和会」によって全国に広める試みがなされていたところ、
たまたまセブンイレブンのマーケット戦略に採用された。
という事が有力でございます。

 例えば同様にクリスマスケーキやバレンタインチョコは、
お菓子メーカーの不二家のマーケット戦略が介在しているような、
そんな気がしないでもございません・・。

まぁ、庶民の「風習」は作られるものですから、
そんなに目くじらは立てませんが、
昨今に見られる「食品ロス」はさすがにいただけません。
その点でいえば「土用丑の日」も、
信仰的には何の根拠もありません
から、
食品ロスにつながる事はいくら商魂たくましくとも、
ご一考願いたいものでございます。


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