見出し画像

動画と美爪クリエイターへの道*Part1

はじめまして(o´∀︎`o)
動画&美爪クリエイターのキョロです。
このたびnoteデビュー☆致しました。

「動画&美爪クリエイター」!?

どゆこと??ってお思いの方もいらっしゃるかと思います。

ここでは私が今の職業に至った経緯やこれまでに得た知識と経験からの学びを発信し、様々な方のお役に立てればと考えています。


*自己紹介*

まずは自己紹介から。

私は熊野古道で有名な和歌山県の熊野地方に住んでいます。

コロナ禍の2020年6月末に、長年勤めていたケーブルTV局を退社し、現在は自営業でネイルサロンをしています。
実は会社勤めをしながら、休みを利用して月1回のペースでスクールに通い、自爪を大切にしながらジェルネイルを楽しむ『美爪クリエイター』の資格を取りました。

また自営業と並行して社員として勤めていたケーブルTV局で、番組特派員とアナウンサーとしても活動しています。社員でなく業務委託契約なので、いわゆるフリーアナウンサー、フリーカメラマンっという肩書きです。


コロナで厳しいこんな時になぜお店をOPENしたのか…
しかも安定したお給料も貰ってたのになぜ?
とよく聞かれます(笑)

それは私が

やりたい事をやって人生存分に楽しみたかったから

なのです。


*私の職歴*

実は私、これまで職を転々としてるんです。

始まりは学生時代のアルバイト、マクドナルドクルーから。

その次は地元JAが経営するスーパーの社員(レジ担当)

そして前職のケーブルTV局の番組制作スタッフです。

続いては、これまでの職歴を振り返りつつ、現在に至った経緯をお話しします。


*『働く』という事を教えてくれたマクドナルド*

地元の高校を卒業後、大阪にあるアナウンス技術を学べる専門学校に進学した私が選んだアルバイト先、それがマクドナルドでした。

学校とは違うコミュニティができ、働いて出来る事が増えると時給もどんどんUP!とてもやりがいがあり大好きだったので、専門学校を卒業して地元に帰ってからも地元のマクドナルドでフリーターとして働き、最終的にはアルバイトの最高位スウィングマネージャーまでなりました☆

私に働くという事を最初に教えてくれたのが、マクドナルドでした!


*フリーターを卒業し正規雇用へ…JA職員時代*

でも、このままじゃいけない!正社員にならなければ!と思っていた頃…
マクドナルドの勤めていた店舗と
並行してパートとして働いていたJA経営のスーパーから
同時期に「社員にならないか」とのお声がけを頂き
悩みに悩んでJAを選び就職。
パートとして働いていた店舗で引き続き、社員としてチェッカー(レジ担当)として働くことに。

就職してからは同じ接客業ながらも環境が変わり
毎日新たな刺激があって楽しかったんです。
レジ打ちも楽しかった!
系列店舗のチェッカーが集まって行われたチェッカーコンテストでは見事、優勝した事もありました。


*夢をあきらめきれず転職!ケーブルTVへ*

JA職員として数年経ち慣れてくると「このままでいいのか?」との疑問が湧いてきました。
本来私がやりたかった事、やってみたかった仕事は別にあったんです。

中学時代から将来はアナウンサーになりたい♡
そんな夢があり、高校卒業後はアナウンスが学べる専門学校へ行ってたんです。でも卒業時に仕事が決まらなかった。
だから一時はもう諦めて別の仕事をしようと、学生時代から続けていたマクドナルドのバイトをしていたんです。

せっかく専門学校も出たのにこのままでいいんだろうか…。


そう思いはじめた頃、今度は母親がパートを始めようとハローワークで貰ってきた求人一覧に、地元のケーブルテレビ局の制作スタッフの求人を発見!

やりたい事が出来るかも!と思い即応募。
そして面接へ。

見事合格し、勤めていたJAを退社して
ローカルではありますが念願のテレビ業界へ入りました!


テレビの仕事も楽しかった♪
制作スタッフとしての採用なのでカメラもまわさなければいけないから、入った当初は先輩と一緒に取材へ。そしてまさかの1ヶ月で同行取材も終わり、独り立ち。
ケーブルテレビは民放と違って、カメラはカメラ、音声は音声…と役割分担がなく少人数なので何でも出来なきゃいけないんです。
そして、それは自ら使いながら覚える…というものでした。

色んなイベントの取材に行ったり、取材で母校に行ってお世話になった先生に再会したり…撮影や編集の技術のほかにも、取材では地元の歴史や魅力などたくさんの事を学びました。そして色んな番組も作りました。


*再び現れた2度のモヤモヤ期*

カメラを覚え、編集を覚え、裏方としての仕事もそれなりに出来るようになってきた頃、再びモヤモヤが…。

やりたかったアナウンサーの仕事が出来ていない…。

私が勤めていたケーブルテレビでは局アナはおらず、外部委託のフリーアナウンサーの方が来られていたんですね。
でも、私が住んでいる町は大阪からも電車で4時間、名古屋からも電車で3時間と遠く、都会の事務所から呼ぶにしても交通費がかかる。制作費も限られている。
なので、私が勤めていたケーブルTVでは1人だけ嫁いでこちらに移住したアナウンサー経験者の方がいらっしゃいましたが、その方以外は市民アナウンサーを募集したりしていました。

だから「え?私、学校で学んで知識あるのにやらせてもらえんの?なんで?」って感じで、モヤモヤがどんどんストレスになっていったんです。

そんなこんなでストレスが溜まりにたまり、トイレで一人泣いた事もありました。

それがいつしか癒え、スタッフとして番組を作る裏方に集中。
すると今度は、ずっと同じ地域で毎年同じイベントの取材に行って…と同じ一年の繰り返しにモヤモヤ…。

このモヤモヤを打破するにはどうすればいいんだろう?
そう思っていたのがちょうど女性活躍推進法が制定された頃の事でした。

勤めていた会社はローカルながらも隣県にも放送局があり、
女性活躍推進法の制定と共に、女性の出世や異動を積極的に行っていこうという姿勢に。

これはチャンスかも!?と思い、他の放送局への異動希望を出しました。


しかし、待てども待てども辞令が来ない…。


最終的に上司から言われたのは、私が抜けた穴を埋めるには他の局からの異動が必要。その調整がつかない…との事でした。

私が勤めていた局は8つある放送局の中でも最も不便な場所だったので、ここに異動したいという人がいない…結果、調整がつかない。

はぁ?って感じで、不満ばかりが溜まる日々でした。


続きは、Part2で♪

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?