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初めての8ミリ映画 映画監督爆誕

今から40年以上前、当時通っていた高校の文化祭で、8ミリフィルムを使った自主映画の上映会がありました。今みたいにお手軽にデジタルで動画が撮れるわけではありませんでしたから、8ミリカメラを駆使して撮影して映写する、とてもアナログで手間のかかる時代でした。

その映画のタイトルは忘れてしまいましたが、”高校生の不条理な日常”を描いたものでした。その映画は、メトロノームなどの効果音や、フォークソングなどをBGMにした”台詞のない映画”でした。その映画の主人公は、その後同じ大学に進学することになった同級生のS君でした。お世辞にもカッコいいとは言えないS君ですが、映画の中では存在感がありました。

白黒フィルムなので、地味目な映像でしたが、S君の動きがメトロノームの効果音にシンクロしていて、不思議な雰囲気を醸し出していました。また、バックには森田童子もりたどうじさんが歌う物悲しいメロディの歌が流れていました。その映画を見た時は、森田童子さんを知らなかったのですが、少し後になって、この歌が『地平線』という歌だということを知りました。最初の歌詞はこんな感じです。

地平線の向こうには おかあさんと おなじやさしさがある♪
だからぼくはいつも 地平線の向こうで 死にたいと思います♪

かなりネガティブな歌詞で、メンタルがやられていたら、”アチラの世界”に行ってしまいそうになる歌詞でした。この映画を作ったのが、まだ高校生の瀬々敬久ぜぜたかひさ監督でした。「京大に行って、第二の大島渚に俺はなる!」と何処かの海賊みたいなことを言っていましたが、本当に映画監督になってしまいました。最近は”大島渚監督を超えた?”映画監督みたいで、多くの話題作の監督をしています。最近では、二宮和也さん主演の『ラーゲリより愛をこめて』の監督をしていました。

瀬々監督は、高校時代に8ミリ映画の監督として誕生しました。この自主製作映画が無ければ、瀬々監督は生まれていなかったかもしれません。

瀬々敬久監督と二宮和也さん

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